051
ベルーナからリントを捕まえてくるように言われてから、既に四日が経過していた。明日までに連れて来なければ、バレッジが跡形もなく消し飛んでしまうかもしれない。
「やった……、やりましたよ、ベルーナさん! 遂に〝人体蘇生術式〟が完成しました!!」
ルカの体を刹那強張らせたのは、背後から聞こえてきた歓声にも似たゴルゴンゾーラの声だった。
ゴルゴンゾーラは嬉々として立ち上がると、すぐに術式図を持ってベルーナに報告を始めた。彼女はゴルゴンゾーラの説明に真剣に耳を傾けている。
遂にこの時が来てしまったか、とルカは嘆息する。
クラジーバとビビが囚人に対して行っていた実験を目の当たりにし、ルカは〝人体実験〟という末恐ろしい言葉の真の意味を知った。その光景が脳裏に焼き付いて離れない。
ルカは黙って立ち上がると、研究室の外へ出た。
第一研究所では人体実験を行った全ての人物の血液を冷凍保管している。〝人体蘇生術式〟にはそれが必要不可欠となる。
自分たちがこれから行おうとしていることを再認識するために、研究所三階に保管されている血液を見に行こうとしたルカの視界に、ちょうどクラジーバ研究室から出て来たビビの姿が映った。彼女はルカに気づくと、口角を僅かに上昇させた。
「あ、ルカじゃん。まだ研究所にいたんだー? 最近あんたの研究室の話なんにも聞かないからさー、てっきり研究室ごと無くなったんだと思ってたわ」
可笑しそうに嘲笑うビビを前に、ルカは手を強く握りしめた。
「……なんでそんな平然としてられるの。あんな酷いことしておいて」
ビビは一瞬眉を顰めたが、すぐに人体実験のことだと解ったのだろう。彼女は鼻で笑った。
「まさかあんた、あいつらに同情でもしてるわけ? アホじゃないの!? あいつら、犯罪者だよ!? そんな奴らに普通の人としての人生を歩める権利あると思ってんの?」
「囚人にだって人権はある。あんなことをしていい理由にはならない」
ルカの必死な訴えに不機嫌そうに顔を顰めるビビ。
「話になんない……。あいつらには、せめて世の中の役に立って死ねることを名誉だと思ってほしいね。むしろ感謝してほしいくらいよ」
ビビはそう吐き捨てて行ってしまった。
ルカは一度大きく息を吸ってゆっくり吐いた。力が入ってしまった拳を徐々に開く。
解っていた。ルカやベルーナと同じ考えを持っている人間が、目を逸らしたくなるような場面で平然としていられるわけがない。
唇を噛み締めながら、三階への階段を上がる。
最奥の部屋。そこに今まで犠牲となった人たちの遺伝情報が保管されている。
ルカは扉の前まで来て、通常そこが施錠されていることを思い出した。ついビビと話してしまったせいで、そのことを失念してしまったようだ。
溜息を漏らし、念のため開いていないことを覚悟でドアノブを握って捻る。その瞬間、ルカの体は刹那停止した。
扉が開いている。
こんなところに用があるなんて、一体誰なのか。まさか、また囚人を調達したクラジーバ研究室がその人物のデータを保管しに来ているのか。
ルカは扉を思い切り手前に引いた。
白衣を着た背の低い少年。彼が扉の開く音に気づいてこちらに目を向ける。白衣から出されたパーカーのフードは金髪を隠すように覆っていて、口には棒キャンディーが銜えられている。鋭い双眸がルカと合った。
「レノ? どうしてここに……」
彼はルカの同期であり、クローン研究をしているガザリー研究室のレノ。高研院から第一研究所に派遣されたルカの同期は、ビビとレノの二人である。
ガチャリと音を立てて扉が閉まった。部屋に漏れる電気のジーという音が鬱陶しいほどに大きく感じる。
「お前こそどうしてこんなトコいんだよ」
レノはキャンディーを軍手の嵌った右手で口から離す。そこでルカは気づいた。彼の左手にある長さ五センチほどの細い筒状の容器に。
ここには血液以外にも、人体実験が行われた人々の情報が沢山保管されている。今後何かの研究のために必要となるかもしれないから、出来るだけ多くのサンプルを収集しておこうという趣旨のためである。
ルカはレノの左手を凝視したまま問う。
「それ……何?」
レノはハァーと吐息を漏らすと、面倒臭そうに口を開いた。
「皮膚細胞だよ」
「皮膚細胞? そんなの何に使うの?」
「別になんでもいいだろ」
ルカの前を横切り、部屋から出ようとするレノの腕を彼女は反射的に掴んだ。
「それ、クローン開発にどう関係するの?」
ピクリとレノの体が反応し、彼は静止した。僅かに首をこちらに捻る。だが、彼が何かを話し始める様子はない。
「その皮膚細胞を使ってクローンを作るなんて言わないよね? 知ってると思うけど、それ、囚人の遺伝情報」
ルカは知識として知っていた。クローンを作るには、核を除いた未受精卵にクローン元の情報である体細胞を注入させる方法が一般的であると。ただし、それが人間でできるのかどうかまでは知らないが。
「……ルカが思ってるより、クローン開発は進んでんだよ」
ぽつりと零れ落ちた言葉にルカは眉を顰めた。彼女のその表情に、レノは再び溜息をつく。
「確かにクローンはオリジナルと違って寿命は短い。後天的な影響によって指紋も違うし、性格も変わってくる。だけど、遺伝情報はオリジナルと全く同じ。そうして生まれてきたクローンがオリジナルと出逢ったら……どうなると思う?」
「それは……」
ルカはそこで口を噤んだ。オリジナルとコピーの対面だなんて、そんなこと起こり得るわけない。可能性としてはあるだろうが、実際第一研究所で過去作られたクローンはとうの昔に死んでいるのだ。
「今この世にクローンは一人もいないんだから、そんなの現状で起こり得ない」
何かに縋るようなルカの台詞は、次の瞬間レノの衝撃的な言葉によって崩壊した。
「いんだよ、一人だけ。この世にクローンが」
ルカの瞳孔が大きく見開かれた。