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足音が完全に聞こえなくなってから、キルスはアリスペルを解除した。彼の唱えたアリスペルは、二人を覆うほど大きな反射板のようなものを出現させるものだ。角度を僅かに斜めにしてセットすることで反対側の壁を映し出し、見事男たちを騙したというわけだ。
ジャンヌは腕の力が緩んだキルスから体を離し、彼の瞳を一瞥してからすぐに視線を逸らした。
「……ありがとう。助かった」
「ホントだよ。俺がいなかったら、今頃どうなってたことか」
なんだか馬鹿にされたような気がして、ジャンヌは口を尖らせた。折角素直にお礼を言ったのに、と心中で文句を言う。
「それにしても、どうしてわたしが〝神速の魔女〟だって……?」
ジャンヌは思い出して声を震わせる。そもそもなぜ自分の正体があんな連中にバレているのか。あの張り紙を見て、ESOの誰かが自分を売ってしまったのか。
「バーカ。そんなことも分かんないのかよ」
キルスの口から重い言葉が放たれると思っていたジャンヌは、予想だにしない彼の返答に鳩が豆鉄砲を食らったような顔を見せた。
「ちょ、ちょっと! バカって何よ!」
「だって考えてもみろよ。夜にしか行動していない、しかも神速と言われる魔女の顔をはっきり見た奴がいると思うか? 人間の一瞬の記憶なんて当てにならない。まあ、知り合いっていうなら話は別だけど、奴らはそんな感じでもない。正体を知ってるESOのメンバーも、そんなことを話すわけがない。言ったら裏でESOが何やってるかってバレるからな」
そこまで言われて、確かに、と納得しかけてから、ジャンヌは眉根を寄せた。
「じゃあ誰が一体……?」
「誰がジャンヌの正体をバラしたのか。――誰もバラしてないんだよ」
「!?」
「あの張り紙がされたことで、フロンテリアのあちこちで〝魔女狩り〟が始まってる。夜に街をうろつく、指にアリスペルの指輪を嵌めた若い女性。それが奴らのターゲットだ。自信満々に彼女たちが〝神速の魔女〟であるというブラフをかまし、相手の様子を窺い、本物かどうかを見極めるって算段だろうな。けど、彼女たちはまず否定に入るだろうし、本物か否かを判断するのは意外と難しい。だからアリスペルを発動させて、強さを見るのさ。そこまでしてくれる奴らはまだ優しい方で、そんなことお構いなしに、数打ちゃ当たるって考えで、とにかく魔女は全員とっ捕まえて監察に差し出すって連中もいるらしい」
それを聞いて、ジャンヌは表情を強張らせ、息を呑んだ。
「わたしのせいで他の女性たちにも危害が……?」
キルスは俯くジャンヌを見て暫し黙ってから、すぐにいつもの明るい声を出した。
「まあ心配すんな! とっととあの張り紙の真相暴いて、その女性たちも助けてやろうぜ! 勿論、ジャンヌのことは俺たちがちゃんと守るしな。ESOのみんなも心配してたぞ」
ジャンヌの髪をキルスの骨ばった手がくしゃくしゃっと撫でる。
もう! と文句を言いながら両手で乱れた髪を直し、ジャンヌは表情を引き締めてキルスとともにESOへ向かった。