039
選択はルカに委ねられている。ルカがリントを連れて来れば人体蘇生が行われる。連れて来なければバレッジが消える。
ルカがリントを連れて来なかった場合、バレッジの住民は殺され、人体実験の末に殺された命も戻らないという、元も子もない結果をもたらす。しかし、その結果が導き出されるのはベルーナのせいではなく、ルカのせい。
ベルーナがそういう整理をしていたとしたら、たとえ失われた命が戻って来なかったとしても、ベルーナ自身は悪くないことになり、彼女は救われる。つまり、ベルーナにとってルカがどちらの選択肢を選んだとしても、結果は変わらない。自分に都合のいいようなシナリオを用意しているのだ。
人間の精神は脆い。耐え難い重圧を心が背負ったとき、それは当人が予想もしないようなベクトルを向く。
彼女の思考は今狂気に満ちている。冷静になればベルーナも少しは自分の過ちに気づくのかもしれないが、この数年間ずっと許されざる罪と共に生きてきた彼女にとって、それは容易なことではないだろう。少なくとも、〝人体蘇生術式〟を発動させるか、バレッジが吹っ飛ぶかしない限り、ベルーナがそのことに気づくことはないとルカは思う。
ぼんやりとした頭で歩いていると、意識したわけでもなく、第三実験室の観察室に来ていた。何をやっているんだか、と自分自身に溜息をついて、第三実験室を覗く。そして、ルカは息を呑んだ。体が硬直し、呼吸が止まり、視線が釘付けになる。
そこでは、先日やって来た囚人による実験が行われていた。左腕が切り落とされ、右の指には測定器に繋がったアリスペルの指輪が嵌められている。床には切り落とされた左腕が生々しく放置され、鮮血が滴り紅い湖を形成する。
囚人は口に猿ぐつわを嵌められているが、大きく口を開いて、固定された体を激しく揺らしている。その横で平然とした様子で記録を取り続けるクラジーバとビビ。現在スピーカーはオフになっているから分からないが、それでも囚人の絶叫がここまで聞こえるような、見るに堪えない映像がルカの眼下に広がっていた。
悍ましい光景に体の中で何かが逆流するような感覚が襲い、ルカはその場に膝を着き、体を丸めた。口元を抑えるが空しく、体内のあらゆるものが外に出て行く苦しさがルカを苛む。
何やってんの!? 狂ってる! こんなのおかしい!!
そこで初めてルカは理解した。ベルーナが今まで経験してきた出来事の真の意味を。彼女が人体蘇生に拘るその理由を。
暫くしてガラス越しに下を眺めた時、既にクラジーバたちはいなくなっていた。第三実験室に残っていたのは、動かなくなった囚人一人だった。
どれくらい観察室に留まっていたか分からない。虚ろな瞳のまま研究所の外へ向かう。
ルカに表情はなかった。体が中身のない、ただの入れ物に成り下がる。
第一研究所から出て、北区の街を無気力にふらつく。海風が爽やかに吹き抜ける。その現実が、ルカには偽物にしか思えなかった。世界の全てが嘘で塗り固められているような、そんな陳腐なものに見えた。人工的に作り上げられた世界。今のルカには虚無感しかなかった。
俯いたまま歩いていると、不意に頭に衝撃が走った。仕方なく顔を上げ、その衝撃の正体を確認。前を見て歩いていなかったせいで、電柱にぶつかってしまったらしい。最早ここがどこだか分からない。
ルカは唇を噛みながら、行く当てもなく彷徨っていた自分に嘆息する。元来た道を戻ろうと踵を返し、視界の端に映った張り紙に目を留めた。辺りを見回すと、全ての電柱という電柱に同じ張り紙がしてある。
怪訝な表情のままその張り紙の前に立ち、じっと見つめた。
『指名手配犯:神速の魔女 賞金:百万コルト 容疑:神隠し事件の首謀者』……?