038
クラジーバたちの実験を敢えて見ずに、ルカは研究室に戻った。入って来たルカにベルーナとゴルゴンゾーラの視線が集まる。
ルカは無言で自席に座る。そして、いつも机に立てかけてある本や資料がごっそりないことに気づいた。彼女は怪訝な表情で立ち上がり、ベルーナの顔を見やる。
「ボクの術式開発の資料がないんですけど」
「ああ、それならゴルゴンゾーラに渡した」
ベルーナが当然と言わんばかりに、ルカの顔を見ることもなく口だけ動かす。
「それ、どういう意味ですか」
ベルーナとゴルゴンゾーラを交互に見るルカに気づき、ゴルゴンゾーラが顔を上げた。
「ルカちゃん全然進んでないとか言ってたけど、九割方完成してんじゃん! これならあと数日で術式が完成するよ」
彼の声が、呆然と立ち尽くすルカを駆け抜ける。
「お前に任せていてもいつ完成するか分からないから、残りはゴルゴンゾーラにやってもらうことにした。代わりにルカはゴルゴンゾーラの研究を引き継げ。ドラゴン使いがいつまでここに留まっているか分からないんだ。時は一刻を争う」
ゴルゴンゾーラはきっと本当にあと数日で術式を完成させる。ルカの脳内にその事実が到達した時、彼女の視界が暗転した。もう自分にはどうすることもできない。
ルカは力なくすとんと椅子に腰を下ろし、代わりに置かれた魔法量分析資料をぼんやりと眺めた。
更にルカを苦しめたのは、その二日後だった。
「ルカ、例のドラゴン使いを連れて来い」
ベルーナはルカを一瞥だけして、そう言い放った。ルカは拳を握りしめ、歯を食い縛る。きっとゴルゴンゾーラの研究が大詰めだからだろう。
「五日以内に連れて来るように。もし連れて来られなければ、当初の約束通り、お前の村バレッジは瞬時に姿を消すことになるぞ」
ルカは無言のまま研究室を出た。どこへ向かうでもなく歩く。
初めてフロンテリアに着いたとき、ベルーナは言った。もしルカがベルーナの言う通りにしなければ、バレッジを消すと。
バレッジを消失させる方法は分からない。だが、小さな村一つを消す方法などいくらでもある。強力なアリスペルがあれば崩壊は一瞬だし、それがなくても第三研究所が研究している高威力爆弾を提供してもらえば簡単だ。ベルーナは各研究所に伝手があるし、それくらい容易いだろう。もしかしたらバレッジの中に既にそのような爆弾が埋め込まれているかもしれない。
人体実験で失われた沢山の命を救うために動いているベルーナが、バレッジの村に住む人々を殺すことなんてできるはずない。
ルカは心の底でそう思っていた。
だが、徐々に冷たさを増す彼女の瞳を見るにつけ、それは自分の間違いなのではないかと思うようになっていた。