037
「今度はこっちの番」
セフュはルカの質問が一区切りついたタイミングでニヤリと笑みを溢す。そのいやらしい笑みに警戒するルカ。
「逃げ出した囚人」
「…………」
セフュの口から放たれた一つの単語に、思わずルカの顔の角度が僅かに上昇する。
「さすがにルカも知ってるみたいだね。彼、なんだか、目隠しされて手足縛られて注射何本も打たれたみたいだけど、それってなんのための実験?」
ルカは唾を呑み込んだ。彼の質問は鋭い。
番号管理が行われている囚人の名前を知らないことは充分に考えられる。それを解った上で、あえてアドラ=ドラスキーという名前ではなく、『逃げ出した囚人』という単語を引っ張ってきたのだ。そして、その単語を出すことでルカの反応を窺う。惜しくも反応してしまったルカは、犯罪者収容所と第一研究所が繋がっていることを肯定してしまったことになる。
更に、人体実験をしていることを前提に〝なんのためか〟という目的を訊いてきている。一つの質問で幾つかの事実が露呈してしまうスマートな訊き方だとルカは思った。注射器を使用していることまで分かっているとなると、人体実験を否定することは難しい。
「そんなの知らない。だってボクが実験してるわけじゃないから」
「なるほどね……。ま、第一研究所が何の研究を主としているのかを考えれば、答えは容易に出るけどね」
じゃあなんで訊いたんだ、と思いながら、セフュにジト目を送るルカ。
「じゃあ次の質問。その囚人、アドラ=ドラスキーは、どうやってここから逃げた?」
「……手足を縛っていた縄は自分で解いたらしい。扉はたまたまあの日施錠されてなかった」
「嘘だね」
即答するセフュにルカは不服そうな表情を向ける。今のは第一研究所内で流布している話だ。それなのに、何が彼に嘘だと判断させたのか。
「なんで?」
「あまりにも出来過ぎてるから」
「………………」
「不自然なんだよね。手足縛られて実験台にされてるような人間が、そんなに都合よく脱出できるわけない。それに怪しいのは、施錠されていなかった扉が第一研究所側だけじゃなくて、犯罪者収容所側もだったってこと」
「それは偶然……」
「だから出来過ぎてるって言ってんの」
ルカは悔しく思いながら、何も言うことができなかった。
確かにセフュの言う通りだ。もしかしたらクラジーバたちも気づいているかもしれない。アドラの逃亡に助力した人間が第一研究所内にいるかもしれないという可能性に。
「まあ彼がどうやって逃げ出したかなんてどうでもいいや。いつも通り施錠されていたのだとしたら、誰かが手を貸さなきゃアドラは研究所を脱出できない。第一研究所内にまだ普通の心を持つ人間がいるって分かっただけで良しとするよ」
普通の心……。
セフュの言葉が〝人体蘇生術式〟を開発しているルカの胸に深く突き刺さる。
セフュはそんなルカを一瞥してから、彼女の隣で壁に寄り掛かった。
「僕が一番不思議に思ってるのは、逃亡したアドラが第一研究所に戻って来ないこと。まだ犯罪者収容所にいるなら、もう一度研究所に引き戻せばいい。だけどそれをせずに、新しい囚人を調達した。その真意が分からないんだよね」
それはルカも引っかかっていた。第一研究所に戻って来ないことが判明したから、研究所内では彼が犯罪者収容所で秘密裏に殺されるのではないかと噂されている。しかし、別の囚人を調達するくらいなら、アドラをもう一度研究所に戻した方がいいに決まっている。でもそれをしないのは、アドラを第一研究所に戻せない理由があるということだ。
「それはボクも気になってる。セフュ、さっきエルクリフさんのところに行くって言ってたし、そのときに詳しく訊けばいい。どういう伝手で彼と仲良くなったのかは知らないけど」
セフュは苦笑いを浮かべながら、そろそろ行くよ、と言って壁から背を離した。出口に向かいながら振り向くことなく右手をひらひらとさせる。彼のそんな背中を見て、ルカは逡巡してから小さく声を震わせた。
「ボクのこと責めないの?」
セフュが立ち止まる。
いっそ、誰かに責められたかった。そうすれば、少しは気持ちが楽になるかもしれないと思ったから。人体実験をしていると分かっていて、誰にも言えずに生きている。行動だけを見れば、それは人体実験を肯定していると受け取られて然るべきだ。
だけど、セフュは彼女を責めなかった。
「僕別に自分に関係ないことは興味ないんだよね。それにルカが悪いってわけじゃないじゃん」
本当に関係ないと思っているのかもしれないが、それでも彼の優しさにルカは心を刺激される。
嬉しいけど、苦しい。
〝人体蘇生術式〟を開発していることを話したら、セフュはそれでもボクの味方でいてくれる?
「あ、色々情報提供してくれたお礼に一ついいこと教えてあげるよ」
セフュはくるりと振り返った。
「今リントがフロンテリアに来てるんだよ。五人全員この街にいるみたいだし、あの日の約束この地で果たせそうだね」
それじゃ、と言ってセフュは実験室を出て行った。
一人残された実験室でルカは俯き、その場に佇む。そして、誰かに助けを求めるかのようにか細い声を漏らした。
「分かんない。どうしたらいいか分かんないよ……」