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ルカは駆け出した。訳も分からない囚人は彼女の言う通りにする他ない。
松明のように揺れるランプが照らす長い廊下を直走る。
「キミは自分で逃げた。誰の手も借りてない。それがキミを逃がす条件。もしボクのことを誰かに言ったら、すぐに分かるから。この秘密はキミの墓まで持って行って」
囚人は走りながらブンブンと首を上下する。
囚人を逃がす先として、犯罪者収容所ではなく市内も考えた。しかし、第一研究所から外へ出るには正面を通るしかないし、それだと誰かに見つかる可能性が高くなる。もし刑期がまだ終わっていないのに市内に囚人がいることが分かったら、犯罪者収容所の管理体制を問われ、監察が内部を調査に入るだろう。
ルカは本当はそれを狙っていたのだが、実際にそうなるためには自分が手を貸したことがバレず、且つ囚人が上手く第一研究所の外へ脱出しなくてはならない。失敗したときのリスクが高すぎる。だから今回は犯罪者収容所へ逆送することにしたのだ。
いよいよ犯罪者収容所の扉が近くなる。
「キミ名前は?」
囚人はそんなことを訊かれて驚いていた。番号管理されている彼になぜ名前を訊ねたのか、ルカ自身も分からなかった。自分が命を懸けて逃がした人間の名前くらい憶えておこうと思ったのかもしれない。
「ア、アドラ=ドラスキー」
囚人は狼狽しながらも、それだけ口にした。ルカは走りながら後ろに振り向き、満足げに微笑む。
「いい響き」
自分が助けた人間がこの先どのような人生を送るのか興味がある。できれば、アドラを助けたことによってこの世の中にプラスに働く何かが起こればいいと思う。
廊下を走り切り、階段を上って扉の前に立つ。第一研究所と犯罪者収容所を繋ぐ扉はどちらも同じ鍵で開く。カチャという音が鳴ったことに安堵して、ルカはアドラに向き直った。
「この扉の向こうは、犯罪者収容所。キミがついさっきまでいた場所より多分安全。それじゃ」
ルカはカッターで手首の縄も解いてやった。囚人は赤く縄跡が付いた手首を擦ると、ルカの瞳を見つめた。
「ありがとう」
まさか囚人にお礼を言われると思っていなかったルカは、アドラの縄をポケットに仕舞いながら恥ずかしくて目を逸らした。
「どういたしまして」
小さな声でそう言うと、ルカは踵を返し、第一研究所の方へ走って行った。
カチャリという扉が閉まる音を背後に感じながら、地下牢のような廊下を疾駆する。
現時点で誰にも気づかれていない保障はない。第三実験室にアドラがいないことが判明し、今頃第一研究所内では捜索が開始されているかもしれない。ルカの鼓動が速くなる。
第一研究所のドアノブをゆっくり捻り、細く開けた隙間から向こうを覗き見る。左右を見て人がいないことを確認し、さっと出る。扉の鍵は施錠せず、元の場所へ戻す。偶然開いていた扉から脱走したと見せかけるためだ。
ルカはそのまま何食わぬ顔で研究室に戻り、荷物を取って第一研究所を後にした。
あの出来事からもう二週間である。
運よくアドラは自らの力で犯罪者収容所に逃げたと思われていて、ルカに疑いの目は向いていない。だが残念なのは、そのアドラが刑期が過ぎても犯罪者収容所内に収監されていることだ。第一研究所内では、秘密裏に殺害されるのではないかという説が有力である。
初めてその話を耳にしたとき、ルカは残念に思った。
折角助けた人間が殺されてしまう運命にあるなんて、自分のしたことは一体なんだったんだと思うのと同時に、アドラにひどく申し訳なく思った。助けるなんて言っておいて、結局は助けられない。彼に生きる希望を与えてしまったことが、罪に感じられた。それでも人体実験の末に死ぬより、普通に殺された方がまだマシかもしれない。自分はほんの少しだけ彼を救ったのだと思うようにした。