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二週間ほど前、犯罪者収容所から第一研究所に移送された一人の囚人がいた。まだ若いその囚人は目隠しをされ、早速クラジーバたちの実験材料にされていた。何本もの薬剤を投与し、彼の能力値にどのような変化が現れるかを実験していたのだ。勿論実験を行っていたのは研究室ではない。過去様々な人体実験が行われていた、今でも吐き気のするような臭いを残す第三実験室である。
実験室は研究官であれば誰でも見ることができる。実験している様子を二階の別室から見ることができるのだ。だが、こういう生々しい実験を見たい研究官はそうはいない。
ルカは偶然囚人が第一研究所に入ってくるところを目撃してしまい、そのままクラジーバたちの後を付けていた。そして実験の様子を見て、唇を強く噛んだ。
こんなこと許されるはずない。
その日の深夜、ルカは誰も見ていないことを確認して第三実験室に入り込んだ。囚人は逃げられないように手足を縛られ、椅子に括りつけられていた。更に目隠しをされ、口には猿ぐつわが嵌められていた。彼はルカが入ってくる微かな音に反応し、体を震わせた。
「動かないで。助けに来たの」
ルカは囁き程度にそう口にした。だが、囚人はそんな言葉信じていないようだった。真っ暗闇の中で、何をされているかも分からない状態が続いていたのだ。彼の中に恐怖以外のものは何もなかっただろう。
ルカは囚人の背後に回り、耳元で囁いた。
「今から足の縄を解く。ただし、少しでも抵抗したらその場で殺す」
囚人は黙って首を上下に何度も振った。
勿論ルカは彼を殺すつもりなんてなかったし、殺せと言われてもできなかったが、こう言っておけば抵抗しないと思ったのだ。目が見えない彼には効果覿面である。
ルカは彼の足に結んであった縄をカッターで千切り、彼の腕を持ち上げて立たせた。縄はルカが回収し、代わりに同じくらいの長さの縄を床に残した。きちんと結んだ跡があるものだ。それと、腕を縛っていたように見える縄も同時に床に放った。
ルカがそんな小細工をするのには理由があった。囚人が勝手に抜け出したと思わせなくてはならなかったからだ。誰かが逃がしたと分かれば、その人物の炙り出しが行われる。犯人がルカだと分かるのも時間の問題だ。だから、自分に疑いの目がかからないような偽装工作が必要だったのだ。
背で手首を縛られるとき、両手の小指側の面をくっつけ、親指の方は大きく開いておくと空間が出来て抜けやすくなる。研究官なんて誰かを縄で縛ることなど慣れていないし、囚人は縄から抜け出す方法を知っている人がいてもおかしくない。
囚人の腕を掴み、第三実験室の扉を細く開ける。人の気配はない。
ルカは囚人を連れて、〝開かずの扉〟へ向かう。さすがに深夜零時を過ぎたこの時間に研究所に残っている研究官は少ない。それに、いたとしても研究室だ。研究室と実験室は渡り廊下で繋がっている別棟である。
〝開かずの扉〟とは通称だ。犯罪者収容所へ繋がる通路の扉。通常は開かれることのないその扉の鍵は、実験棟一階の廊下に隠されている。壁に縦横二十センチくらいの小さな扉があり、その中に収納されている。扉といっても取っ手が付いているわけでもないし、色が違うわけでもないため、一見それがどこにあるのか分からない。
キーワードは〝下から二番目、右から五番目〟だ。実験棟の壁は正方形の区切りがついたデザインをしている。〝開かずの扉〟から左に五つ、更に床から二つ上がった正方形をプッシュする。すると、その一つ上の正方形がゆっくり飛び出し、開くという仕掛けになっているのだ。鍵はそこにある。
ルカは鍵を取り出し、鍵穴にそれを差し込んだ。扉を開けて階段を下りる。そこで囚人の目隠しと猿ぐつわを取る。彼は久々に見た光に目を細めてから、自分の視界にぼんやりと映る白衣を着た背の低い少女を眺めた。何か言いたそうな顔をしていたが、ルカはそれに構うこともなく言い放つ。
「黙ってボクに付いて来て」