025
波が揺れる音。僅かに髪を撫でる風。色白の半月から漏れいづる光は、目の前のクリスタルたちに吸収され、それらは淡く氷のように透き通った青を放つ。
「ルカ、数値はどうだ?」
真剣な顔つきでクリスタルの一つを触っては何かを書き込む女性。キチッとアップに纏められた髪、ノンフレームのメガネ、すらりと背が高く線の細い体、足が攣ってしまいそうなほど高さがあるピンヒール。
彼女に声をかけられ、クリスタルリングの中央に立っていたルカは自分の手に持っていた計数器に目をやって驚いた。
「ベルーナさん、計数器のメーターが振り切れています」
事実だけを伝える抑揚のない声に、ベルーナはペンの動きを止める。だが彼女はそんなことを気にする様子もなく、身を翻してルカの前まで来ると、彼女の手から計数器を奪取した。
「思った通りだ……」
ベルーナは僅かに笑みを浮かべ、すぐにルカに向き直った。
「今日はもう引き上げるぞ」
そう言って背を向けるベルーナを追うルカ。人気のない草原を踏みしめ、前を行く彼女をぼんやりと見つめる。ベルーナの言いなりになっていても、今更なんの感情も湧いてこない。
『お前、バレッジ出身者だな?』
その一言がルカを今の世界に引き込む魔の言葉だった。ベルーナから発されたその音は、今でも耳にこびりついて離れない。
フロンテリアに船が到着し、一歩地に足を着けた時だった。ルカに近づいて来る、颯爽と歩く女性。その顔に笑顔はなかった。
訊かれて勿論頷いたルカはそのまま腕を引っ張られ、人通りの少ない場所に連れて行かれた。田舎者のルカは戸惑いつつも、あまりに突然のことで彼女の手を振り払うという考えは浮かばなかった。
立ち止まり、彼女の手がルカの腕から離れる。そこでようやく口にされた二言目はルカが全く想像していないものだった。
『お前の村にドラゴンという生き物がいるな?』
体が凍てついたかのように硬直する。
なんでそのことを知ってるの? これは村の人間しか知らない極秘事項なのに……。
ベルーナはルカのその反応から答えを割り出したのだろう。当たりとでも言わんばかりの満足げな笑みを浮かべ、力強く言い放ったのだ。
『お前に選択肢はない。村を守りたければ私の言う通りにするんだな』
期待に胸を膨らませ、フロンテリアの地に降り立ってから既に四年という歳月が過ぎ去っている。それだけ時間を重ねてもルカとベルーナの関係は何も変わっていなかった。
研究官の証を提示して第一研究所内に入る。そこは窓さえも存在しない廊下が続く隔離された空間。息が詰まるほど空気が淀んだ世界。ここから逃げ出したいと何度思ったことだろう。それでもルカは今日もベルーナのすぐ後ろを歩く。
ベルーナの研究室は第一研究所二階の東側にある。時刻は既に十時半を回っている。ここの研究官は毎日夜遅くまで研究を続けるのが当たり前。研究成果を出せないと政府からの予算が止められてしまうからだ。
「ゴルゴンゾーラ、いたのか。今日は一ヶ月ぶりの休みじゃなかったか?」
研究室の扉を開けると、そこには白衣に身を包んだ青年がいた。
一見女性と見間違うほどの美しい容姿、華奢な体型。ゲストグラスをかけて椅子に座り、目の前の装置で魔法量測定の実験をしていた。細く小さい稲妻のようなものがビリリと青白く光る。彼はベルーナの声に気づくと、一時手を止めてゲストグラスを外した。
「あ、ベルーナさん。お疲れ様です。――そうだったんですけど、用が済んで暇だったので研究室に戻ってきたんです。今日クリスタルリングの測定に行くって仰ってたんで、居ても立ってもいられなくて……。それで、どうでした? 測定の方は」
ゴルゴンゾーラに視線を向けることもなく、ルカは黙って自分の席に着く。彼女と対照的に満足げな笑みを形成するのはベルーナだ。
「思った通りだった。クリスタルリングには魔力が集まっている。リングの中央なんてメーターで測定できないほどだ」
ゴルゴンゾーラはそれを聞いて息を呑む。
クリスタルリングで測定していたものは、あの場で発生している魔法量。それを測定するためにベルーナ研究室が開発したのが、魔法測定器。魔法量を測定できる大きな装置はあるが、とても持ち運びできるようなものではない。ベルーナ研究室は世界で初めて、携帯できる魔法量測定器を開発したのだ。これでモノだけではない、土地などの動かせない自然物の魔法量も測定することができる。
人間が神秘的だと感じる場所や所謂パワースポットと呼ばれるような場所には、その場所自体から魔法が漏れ出していると考えられている。だがそれを証明できた人物はいない。
本来であればこの研究成果を政府に報告し、ベルーナ研究室の功績とするところである。しかし、ベルーナには今回の開発を公表するつもりはない。その理由をルカもゴルゴンゾーラも知っている。
「そうですか……。それを聞いて安心しました。――実はこちらも朗報があるんです」
ゴルゴンゾーラは嬉々としてベルーナに近づく。
「本当はそのために研究室に来たんですけどね。今日、いとこが経営している喫茶店の手伝いを頼まれてたんです。中央区にある〝ビショップ〟っていうカフェで、ホールやってたんですよ。そうしたら、一人の監察官と白銀の髪の少年が入ってきたんです」
そこでルカの体の動きが停止する。
彼は今なんて言った? 白銀の髪? そんな色の髪の人間はそうそういない。
ルカの鼓動がじわりじわりと速くなる。