023
「お疲れ様です」
門前に立つ二人の守衛官に敬礼されて、セフュも敬礼を返す。重々しい音を立てながらスライドされる檻の一端は、あっさりとセフュを中へ通した。深々と帽子を被り、面が割れないように注意する。
収容所の建物の中に入り、今度は守衛室で待ち構えている守衛官に身分証を提示する。制服とチェーンで繋がっているパスケースに入る守衛証。そこには顔写真と名前、発行日などが記されている。
守衛官はそこに映る写真と守衛証を見せる人物の顔を一瞥し、僅かに頷いた。セフュも軽く会釈をし、守衛官に悟られないように口角を微かに緩めながら彼の前を通る。
名前は偽名。顔写真は目深に制服の帽子を被るセフュ。どこかに潜入するのは情報屋としては日常茶飯事である。そのため、潜入したいときにすぐに潜入できるように、大抵の施設のパスは既に持っていた。以前、仕事関係の知り合いに全部まとめて作ってもらったのだ。
制服を失敬させてもらった守衛官の口元にはガムテープを貼ってある。人通りの少ないあの道で、ガムテープの下から声を漏らしても、誰も気づかないだろう。
犯罪者収容所には未だ嘗て一度も潜入したことがないため、内部構造が全く分からない。だが、先ほどの巡回員の制服の内ポケットに小さく折り畳まれた見取り図が入っていた。収容所内には監視カメラもある。そう見取り図ばかりを見て歩いていては不自然だ。だからセフュはここに入る前にその見取り図を僅か一分で頭に叩き込んだ。
脳内見取り図を広げ、セフュは一番奥左側の扉を開く。そこには下へ行く階段だけがあった。ここと対面の扉の向こうには上りのみの階段がある。
二回折り返して階段を下り切ると、そこには蛍光灯が無機質に配列された廊下が続いていた。灰色の床、壁、天井。この建物には色がない。ずっとこんな場所に閉じ込められていたら、セフュなら気が狂ってしまう。ここを仕事場にするのも遠慮したい。
分岐された道は無く、廊下は一本道だった。正面には上りの階段が見える。その先にはきっと扉があり、そこが囚人たちの生活するはなれのはずである。
およそ三百メートルの廊下を歩き、階段を上る。出現した扉に背を着け、左手でドアノブを握った。そして、それをゆっくりと捻る。細く入る光の先に目をやる。
人のいる気配は感じるが、少しの隙間だけでは何も見えない。
セフュはそのまま更に扉を押し込む。すると扉がギィーッと鈍い音を立ててしまった。
「そこに誰かいるのかね」
足音がこちらに近づいて来る。セフュは一瞬唇を噛んだが、不自然にならないように扉を勢いよく開け放った。そして、すぐさま背筋を伸ばして敬礼する。
「お疲れ様でございます」
四十歳くらいの落ち着いた雰囲気を醸し出す男性。ロマンスグレーの髪とその雰囲気が、彼に誠実そうな印象を与える。守衛官の制服だが、肩にラインが三本入っている。セフュが今着ているものは二本だ。
彼はセフュをじっと見つめている。なんでも見透かしそうなその瞳に、セフュは若干の焦燥を覚える。
「随分と若いな」
「………………」
「その若さでここにやって来るとは……。君は優秀なんだな」
セフュは彼が何を言っているのか解らなかったが、それを表情に出すわけにはいかない。
「い、いえ、そんなことありません」
セフュの戸惑いを違う意味に取ったのだろうか、男性は穏やかな笑みを漏らした。
「私も若い頃は出世するために一生懸命働いたものだよ。……と、申し訳ない。無駄話だったな。君なのだろう? 今日の当番は」
何を言われているのか益々解らなかったが、ここは頷くしかない。
「ちょっと待っていてくれたまえ」
男性は彼の背後にある扉のロックを外し、中に入って行った。扉がガチャンという音を立てて完全に閉まってから、セフュはそこに耳を当ててみた。だが、防音が完璧なのか、全く音が聞こえてこない。
セフュは諦めて暫くその場で待っていると、先ほどの男性が一人の男を連れて戻って来た。
守衛服と対照的なゼブラ模様のTシャツ。胸元には〝№86〟という丸いプレート。目元は黒い布で覆われ、耳には防音装置と思われるヘッドフォンが装着されている。そして両手首には手錠、口元には猿ぐつわ。視覚と聴覚を絶たれ、今彼は静寂な暗闇の中にいる。そのせいか、体が小刻みに震えていた。
「待たせたな。いつもなら君一人に任せるところなんだが、今日は私も一緒するよ」
守衛官は囚人が転ばないように腕を支えながら、廊下を真っ直ぐに歩く。セフュは黙って彼の後を追う。
「私の名前はエルクリフ。君は?」
「ロバートです」
セフュは守衛証に記載された偽名を名乗る。
「いい名だ」
エルクリフはそう言うのとほぼ同時に立ち止まった。彼の前にはセフュの脳内見取り図にはない扉があった。
エルクリフは鍵の束から一つを選び、開錠する。セフュは彼の背後で扉を見つめながら、唾を呑み込んだ。
これは、もしかすると当たりかもしれない。