015
「危ないから目を合わせちゃいけません!」
自分を指差す子供に母親がそう叱りつける声が耳に入る。
セフュは放心状態のまま東区に向かって歩いていた。東区は特に見どころもないことから地価が安く、宿屋も安い。フロンテリアにいる間は東区の、しかも地下鉄の駅からかなり離れた、今にも潰れそうなほど寂びれた木造の宿屋に宿泊している。その宿屋の客はおそらくセフュしかいない。失礼ながら、消えて無くなるのもそう遠くないと勝手に思っている。
そんな宿屋でもまだ存在しているのには理由がある。
八年前、突如フロンテリア東区の端に何かの結晶のようなものが出現したのだ。それは全長二メートルほどの、先が尖った六角柱のようなもので、淡い水色をしている。クリスタルのように美しく、妖艶な光は人々を魅了する。その結晶は五つあり、外径十メートルほどの円弧を描くように等間隔に、だがそれぞれ乱雑に大地に突き刺さっている。
当時、青白い光がオーロラのように上空にベールを形作っているのを見た者はいたらしいが、それ以外にこの結晶について分かっていることはない。どのような経緯で現れ、なんの意味を持つのか。
一夜にして出現した謎の結晶群。たちまち話題となり、研究機関が殺到したと聞く。セフュの泊まるボロ宿屋も当時は盛況だったに違いない。今はその時の恩恵でまだ存在できているというわけだ。だが、底を突くのも時間の問題である。
今では〝クリスタルリング〟と呼ばれ、極稀に観光客が来ることもある。だが大抵、旅行会社が打ち出している観光プランには華やかな南区しか含まれていないので、興味を持った個人旅行者でないと訪れる人はあまりいない。東区には名所という名所がまるでないためである。
クリスタルリングは幸い、東区の端の端、すぐ隣が断崖絶壁の海というような丘陵にでき上がった。若草色の芝に水色の巨大クリスタルが突き刺さっている様は圧巻で、実に爽やかで不思議な印象を与える。バックには蒼海と蒼穹が広がっているのだから、自然の織り成す神秘を絵にしたかのような神聖さがある。
あのボロい宿屋に戻って、極東の島ジパングで買った〝忍Tシャツ〟を着ようと思っていると、東区の地下鉄口から一人の少年が上がって来た。白銀の髪に透き通るような蒼い瞳。手にはメモ用紙を携え、それを難しい顔をして睨みつけている。
まさか……。
セフュは自分が上半身裸であることも忘れ、彼を凝視した。だが、すぐに自分の考えを否定する。彼がフロンテリアにいるわけがない。
他人の空似か、と思って彼に背を向けたが、どうしても宿屋に向かう足を踏み出すことができない。
他人の空似……、あの独特な外見や雰囲気を纏う人物に似ている奴がそうそういて堪るものか。あれはきっと本人だ。
セフュがそう思い直し、振り返ろうとしたその時だった。
「あのー、すみません。ちょっと道を教えてほしいんですけど……」
向こうから声がかかった。
若干の緊張を纏いながら、セフュはゆっくりと少年に振り向く。そして彼を正面から捉えて、その懐かしい顔に暫し言葉を失くした。声をかけた本人も自分が誰であるか気づいたのか、驚きつつも相好を崩す。
「もしかしてセフュ!?」
自分の格好になんのツッコミも入れずに、それだけを問う少年。ドラゴン使いであり、セフュの昔からの仲間であるリントだ。
「やっぱリントだったんだ! 久しぶりだねぇ! ってゆーか、なんでこんな所いるわけ?」
「バレッジとの調印式のためにフロンテリアに来たんだけど、たまたまシュタルクと会って、それでシュタルクの寮に泊まらせてもらうことになったんだ。地図書いてもらったんだけど、その寮の場所が分からなくて……」
セフュは、ふーん、と相槌を打ちながら、リントの持つ地図を覗き込む。そして目を瞠った。
購入したのかと思うほど精緻な地図。縮尺完璧。このクオリティをフリーハンドで即行書けるとは信じられない。ゴッドハンドか。
そしてその地図を読めないリントは一体なんなんだと言いたくなる。
この地図を見て、セフュはシュタルクの職業を初めて知った。
セフュはフロンテリアに来てすぐ、とある経緯で情報屋として活動をしていたが、数ヶ月後には既にフロンテリアの地を離れていた。だから仲間たちがどこで何をしているかなんて知らない。そもそもフロンテリアに留まっているかどうかさえも把握していなかったのだ。