赤い名のプレイヤー
イロモの世界では基本的に街から離れれば離れるほどに魔物との遭遇率は上昇する。
それだけ危険も増すわけだが、そうはいっても初心者のうちに徒歩でいける範囲で出てくる魔物の強さなど限りがある。
よほどの無謀か油断、あるいは不運でもないかぎり、パーティーが全滅するような事態は避けられるだろう。
「うりゃああああ!!」
「もらった!!」
宝条の攻撃を受け、動きの止まった魔物の急所に俺が止めの一撃を加える。
初日の冒険が嘘のように思えてくる見事な連携。
実際このように、ドルボ山を目指す道中で出てきた魔物など俺達戦士の近接攻撃だけでほとんど対処出来ていた。
時には多少手強い魔物とも遭遇したが……。
「青き力の子らよ、我が敵を貫く刃となれ、イアス!!」
ポム嬢の魔法攻撃も加われば、そんな敵も危なげなく倒せた。
「思ってたより全然余裕だな」
パーティーの先頭をいく宝条の言葉に姫岸さんがにこにこと同意する。
「私達もそれだけ強くなったって事だね」
「これならもうちょっと難しそうなクエでもよかったかもな」
余裕綽綽の宝条に。
「まだ山のモンスターとは戦ってない、油断大敵……」
慎重派のポム嬢。
「ポムは心配性だなぁ。ハイオークだっけ? たいした事ないんだろ、イージス」
近頃の活躍もあってかへっぽこ戦士呼びを卒業して、宝条に呼び捨てされる事が多くなっていた俺。
こっちはまだ宝条に対して『さん』付けなのだがね……。
「まぁ、数十体一斉に襲ってくるみたいな馬鹿げた状況でもない限り、大丈夫だと思うよ」
「だってよ、ポム」
「でも、もしかしたら本当にたくさんハイオークがいるかも……」
そんな会話をゆるゆると、時に魔物との戦闘を繰り返し、俺達はドルボ山の麓へと到着する。
「着いた、着いた。このままいっきに山登って、さっさと花取って帰ろうぜ」
宝条の言葉に従い皆が山に登ろうとした時、傍らの繁みで何かが動く。
――モンスターか!?
繁みの動きに気を取られた俺達はその場で足を止めてしまう。
そこへ……。
「きゃっ!?」
反対側の死角から何者かが飛び出し、小柄なポム嬢の方へと襲い掛かってきた。
突然の事態に、姫岸さんや宝条は反応出来ない。
自分達の身に何が起ころうとしているのか、瞬時には理解出来なかったのだ。
しかし、俺だけは違った。
経験の浅い彼女らとは違い、この謎の襲撃が今まで戦ってきたような魔物によるものではないと言う事を見抜いていた。
――プレイヤーキラーか!?
プレイヤーキラー、通称PK。
利益や快楽の為だけに他のプレイヤーに害を加えるプレイヤー達。
旧時代のMMOゲームと同様に、イロモにもそのような者達が存在した。
「ポム嬢!!」
俺は急いでポム嬢の助けに入る。
レベルアップ時のステータス成長で、自分で割り振れる分は、キャラクターの運動性能に大きく影響する『俊敏』の値に集中させていた俺。
それが功を奏したのか、なんとか襲撃者の攻撃に割って入る事が出来た。
「ちっ、こいつ!! NPCの分際で!!」
邪魔された襲撃者が俺に悪態をつく。
頭部装備に覆われていて顔は見えなかったが、声質からしてどうやら男らしい。
装備品を見れば一目瞭然、真っ先に飛び出し襲い掛かってきたこの男、戦士系のキャラクターであるが、いくらなんでも襲撃者がこの一人だけとは考え難い。
まずは……。
――ステータスチェック!!
表示された名は『トウタ』。
そしてその文字は赤々と色づいている。
予想通り。
名が赤く表示されるのはPKの証だ。
「気をつけろ、こいつらPKだ!! 他にも仲間がいるはず!!」
俺の声にようやく皆が状況を理解する。
「返り討ちにしてやるよ」
PKと聞いてひどく不安そうな姫岸さんやポム嬢とは違い、宝条はヤル気満々であった……、のだが。
「返り討ちか、ふん」
反撃の態勢を取る俺達の様子を見てPKトウタは鼻で笑った。
そして……。
「タナヤス!!」
恐らく仲間の名だろう。
彼が叫ぶと、最初に何かが動いていた繁みから植物のもののような無数の蔓が飛び出し、姫岸さんの全身に絡みつく。
「きゃああ!?」
そして、そのまま繁みの奥へと連れ去ってしまう。
「マスター!!」
「姫!!」
「とりあえずOKだな」
慌てる俺達とは対照的に、トウタが満足気な顔をして言った。、
――とりあえず? どういう事だ。
気になる言葉だが、考えてる暇はない。
「おい、イージス!! あたしが姫を助けてくる!! そいつはお前に任せた!!」
そう言って姫岸さんを追おうとした宝条だったが、その彼女に向かってどこからか矢が飛んできて。
「くそっ!!」
その動きを封じる。
――まずいな。
イロモでPKになる者の傾向や、この戦闘での一連の動き……、恐らく相手のレベルは同等どころか、上と考える方が自然だろう。
まともに戦っても勝ち目は薄い。
「ライナ!! まずはこいつを倒すのが先だ!!」
緊急事態での呼び捨て、さすがの宝条もそれを気にするほどまで度量は小さくない。
「はっ? 姫はどうすんだよ!!」
「バラバラに戦っても勝ち目はない。この男を一気に倒すんだ!!」
姫岸さんの事を後回しにするのは心苦しいが、ここでバラバラに行動するのはたださえ薄い勝ち目をさらに薄くするようなもの。
それに姫岸さんのPCリリナのレベルは今だ2のまま。レベル2の僧侶系のキャラが分断されてしまった時点で、彼女を助け出す事はたぶん無理だろうという少々冷酷な計算が俺の内にはあった。
ゲーム世界ならではの計算で指示を飛ばす俺に宝条が言う。
「くそっ、姫に何かあったらてめぇも許さねぇからな」
「ああ、わかってる」
全滅を避ける為にも、ここは多少の犠牲者を出しても、一人飛び出してきた男と戦うべきだ。
そんな断腸の思いでの決断だったのだが、肝心の襲撃者の方がここから予想外の行動を取り始めた。
「こいつを倒すのが先ね……、遊んでやってもいいが、悪いが仕事優先だ」
トウタはそう言い、右手に身につけていた指輪を俺達の方へと向ける。
――魔法攻撃か!?
装備品の中にはステータスを上昇させるだけでなく魔法の力を発揮する物が存在する。
そういった装備品は戦士系のキャラでも扱えるものが多く、威力や効力も大小様々。
装備品の魔法だからと言って、油断は出来ない。
身構えた俺達に指輪の魔法が発動する。
それは眩い光だった。
指輪が強烈な光を俺達に放ち、目を眩ませたのだ。
――くそっ、カピトか。
強い光で対象の目を眩ます魔法『カピト』。
まだまだレベルの低い戦士系のキャラでこれをくらってしまっては、眩んだ目が回復するまでほとんど何も出来なくなってしまう。
ここから予想される展開は敵の猛攻である。
ほとんど棒立ちのキャラクターに一方的な攻撃を加えてくるに違いない。
しかし……。
敵の足音は近付いてくるどころか、遠ざかっていく。
弓使いや魔術師ならばわかる。
だが剣を手にした近接の戦士キャラが、目の眩んだ獲物を前にして遠ざかっていくのだ。
その意図が俺にはわからなかった。
――何だ、奴ら何を考えてる。
時間にして三十秒も経っていないだろう。
視界が回復し始め俺達が見た光景、それは自分達以外誰もいないという光景だった。
トウタの姿がどこにもないのだ。
「あのPK野郎どこに消えやがったんだ!? 逃げたのか!?」
宝条が口にした疑問、それと同じ物が口から出掛かっていたのは俺も、そしてポム嬢も一緒だった。
真っ先に思い浮かんだのは不利を悟っての『離脱』、『逃走』である。
しかしそれは有り得ないだろう。
三対一の状況に見えなくもないが、姫岸さんを襲った蔓は恐らく魔法、もしくはPKがスキルで飼いならしてる魔物のものだろう。
それに加えて助けに向かおうとしていた宝条に対して矢が飛んできた事からも近場にPK仲間が潜んでいたのは明白。
タナヤスと仲間の名らしきものも叫んでいた。
数の上の優位などすぐに消せたはずだ。
数を見ての離脱でないならば、単純に戦術的なものであろうか。
つまり、まずは分断に成功した姫岸さんのPC『リリナ』を倒し、仲間と合流して俺達に襲いかかる。
あるいは、リリナを助けに行こうとする俺達に対して罠を張り待ち構える作戦。
だが果たしてそこまでするものなのか?
こちらは装備品からして初心者丸出しのパーティーだし、魔法やスキルでこちらのレベルなどのステータスを把握する機会もあったかもしれない。
そもそもドルボ山に用があるのは初心者に毛が生えるかどうかの俺達のようなパーティーがほとんどだろう。
どう考えてもシンプルに戦うだけで奴らは勝ててた。
そう考えるのが自然なのだ。
ではそれ以外に何がある。
プレイヤーを襲うのに手馴れた感じだったPK達がまともな戦闘もせずに姿を消す理由。
ただ姫岸さんのPC『リリナ』だけを分断して……。
――しまった!!
俺はようやくトウタが口にしていた言葉を思い出す。
『とりあえずOKだな』、『遊んでやってもいいが、悪いが仕事優先だ』
その言葉の意味、導かれる答え。
――奴らただのPKじゃなかったのか!!
「くそっ、最悪だ!!」
脳味噌をフル回転させて辿り着いた一つの答え。
それが出た時、俺は疑問が解けた事に対する喜びどころか、絶望に近いほどの気分にさせられた。
「なんだ、なにが最悪なんだよ」
急に大きな声をあげた俺に宝条が反応して言った。
「あいつら、ただのPKじゃない。たぶん……『監禁屋』だ」
「ただのPKじゃないって……、なんだよその監禁屋って、えらく物騒な名前だけど」
宝条は俺の言っている事をよくわかっていないようだったが、ポム嬢の方は違うらしい。
理解しているのだろう、顔を青白くして動揺している。
緊急事態だ。
宝条に説明してやる前に、まず急いでやらなくてはならない事がある。
状況をある程度理解しているポム嬢に、俺は命令する。
「すぐにマスターにログアウトするよう伝えるんだ!!」
「どうやって……」
俺の命令に対して戸惑うポム嬢。
遠くの仲間と思念での会話を可能とする『念話』の技能などこのパーティー内では誰も持っていない。
イロモ世界でどこかへ消えた『リリナ』と連絡を取るなど不可能。
だから。
「もう一つの世界があるだろ!!」
もう一つ世界、それが意味するのは少女達にとっての現実世界。
そこでならばいくらでも連絡がつく。
そんな当たり前の事すら、少女達は気付けぬほどに混乱していたのだ。
プレイヤーは『二つの世界を持つ者』である。
そうイロモの世界観に取り入れられているからこそ出来た、NPCである俺からの指摘だった。
「わかった、すぐに電話する……」
頷いたポム嬢の瞳から光が消え、まるで人形になったかのようにその場で固まる。
彼女がログアウトした証拠だ。
「……なぁ、結局その『監禁屋』ってなんなんだよ。やばそうって事ぐらいはあたしにもわかるけど」
難しい顔でポム嬢を待つ俺に、宝条が再度質問した。
「PKの中でも一番たちの悪い連中さ。普通のPKはその場でプレイヤーを殺すだけだ。被害は基本その場限り。死んだら街に帰って蘇生するなり簡単に復帰出来る。だけど監禁屋は違う」
「何が違うんだよ」
「監禁屋、文字通りの意味さ。襲ったプレイヤーをその場で殺すのではなく、どこかへ連れ去って監禁する」
「……そんな事してどうすんだ。普通のPKより手間がかかるだけじゃねぇか」
「だけど普通のPKより旨みがある」
「旨み?」
「その場で殺した場合、それで手に入る金やアイテムは当然、その時に所持している分だけに限られる。でも、監禁したプレイヤーの解放を餌にして取引すれば、見返りは無限大に多くする事も可能になるんだ。監禁した人間の全財産、あるいは所属するギルドに対して大きな要求をする事も出来る」
「なっ……」
俺の説明に言葉を失う宝条。
「最低の連中だよ。だけど金だアイテムだを要求してくれるならまだましな方なんだ。最悪なのは……、快楽。嫌がらせの為だけに監禁する奴らだよ」
「嫌がらせ……」
「この世界に二度とプレイヤーがこないようにする。その為だけに監禁し続けるのさ」
イロモは副アカウントもサブキャラクターも禁止されており、その対策は完璧。
一人の人間がイロモで作れるのは生涯一キャラクターのみ。
だからこそ、監禁という行為の効果はえげつないほどにきいてくる。
「そんな、じゃあまさか姫も……」
こんな話を聞いて不安にならない者はいないだろう。
動揺する宝条を見ながら俺は言う。
「わからない。だけどたぶんそっちの方は今回は大丈夫だと思う。トウタ、あの飛び出してきた戦士のPKが言っていた『仕事優先だ』って。仕事って言うぐらいだから、たぶん何か後で要求がくると思うんだけど……」
違和感があった。
自分の言葉が偽りであるような、というより、ずれている。何かが足りない感覚。
しかし、今の俺には明快な答えなど出せない。
ここでログアウトしていたポム嬢の瞳に光が戻る。
イロモ世界に帰ってきたのだ。
帰ってくるなり彼女は言う。
「姫、もうログアウトしたって、私が電話する前から。ブラックアウトして怖くなってすぐにログアウトしてたみたい……」
ブラックアウト。
姫岸さんの視界が暗転したのは、恐らくPC『リリナ』が眠らされたか、気絶させられたからだろう。
そうしなければ監禁場所がばれてしまう。
「それでいい」
「姫……、泣いてた……」
ポム嬢が悲しそうな口調で言った。
俺の方まで胸が締め付けられる思いになる。
だけど、今は感傷に浸っている場合ではない。
「俺達もすぐに街に帰ろう。マスターのログアウトが完了したら、奴らがこっちにターゲットを変更してくるかもしれない」
プレイヤーがログアウト後、十分ほどで魂の抜けたPCもこの世界から離脱する。
その時、奴らが『リリナ』の監禁は失敗だと判断したら、こちらにターゲットを変更してくる可能性はある。
この場から移動しなくてはならない。
「とにかく急ごう」
移動しようとする俺を宝条が呼び止める。
「おい、姫の事はいいのか? あいつらのあと追わなくてほんとにいいのかよ」
「言ったろ。後であっちから要求があるはずだって」
「もし無かったらどうすんだよ。お前が言う嫌がらせの為に監禁するような奴らだったら、すぐにあとを追わねぇと」
「今の俺達があとを追っても被害が増えるだけだ。監禁屋のレベルは10あると思った方がいい。戦いにも慣れている。レベル5以下三人じゃ勝ち目はない」
「勝ち目はないたって見捨てるわけにはいかねぇだろうが」
「見捨てるんじゃない。まずはシラハさんを頼ろう。俺達がここで無理をするより、そっちの方がいい」
すぐに救助に向かいたい宝条の気持ちはわかる、俺とて同じだ。
でも無策で立ち向かっても、余計に状況は悪化するだけ。
シラハという頼れる人がいるのだ。素直に彼に助けを乞うべきだろう。
「ライナ、イージスに従おう……。お兄ちゃんならなんとかしてくれるはずだから……」
「ちくしょう」
ポム嬢にも説得され、宝条はしぶしぶ俺の指示に従う。
そして俺達三人はクエスト達成を諦め、コソカナの街へ急いだのだった。