ボンバイエの意味とは
イージスとして生まれ変わり、イロモ世界のNPCとして過ごし始めて幾日後の夜、俺はナナムのギルドハウスで独りパンをかじりながら星空を眺めていた。
このイロモ世界が自分の世界である俺とは違い、リリナ、ライナ、ポム、三人の少女には帰るべき別の世界、彼女らにとっての現実世界がある。
そこには温かいスープがあり、家族がいて、友達がいて……、彼女らにとってここにはないものがたくさんあるのだ。
世界が異なる。
今更ではあるが『ギルドガーディアン』として孤独にギルドハウスで待機しているこのどうしようもない時間が、嫌でもそれを実感させる。
『あの現実』に帰りたいわけじゃない。
自分が死んだところで悲しむ人間などいない世界に戻れたとして、そこにどれほどの意味があるだろう。
未練。
そう呼ぶにはあまりに空虚な感情だった。
――らしくないな。
うじうじ悩むのは好きじゃない。
それで何かが変わるわけではないのだから。
もうゲームのNPCとして生まれ変わったのだから、この新しい人生を楽しめばいいだけだ。
それだけの事なのだ。
「順調ですかあああああああ!?」
つまらぬ事を考えていた俺の前に、テンションの高い天使ミカエルが何故か顎を突き出しながらひょっこりと現れる。
「えっ、いや、ああ、はい。まぁ順調だと思いますけど……」
期待させておいてのレベル1NPCへの転生。
いろいろ言いたい事はあったのだが、いきなりのテンションと顎に気圧されて頷いてしまう俺。
「というか、急に現れてどうしたんですか。そもそもなんでそんなにテンションあがってるんですか」
初めて会った時の印象では面白顔でいきなり登場するような奴には見えなかったのだが……。
「だって~、今日は~、お給料日だもの~。テンションあがっちゃうわ!!」
「天使って給料とかあったのか……」
「当たり前よ。お仕事なのに給料もなしでやらされちゃたまったんもんじゃないわ」
「それは確かに……、やっぱり天使のお仕事って儲かるんですか?」
「飴ちゃん三個よ」
滅茶苦茶ブラック企業じゃねぇか!!
「飴三個って……」
「やりがいが欲しいと言う天使達の要望に応えて始まった給料制度だからね。そもそも人間世界で言うお金なんて貰っても使うお店がないから意味ないし」
「それもそうか……」
しかし飴三個がやりがいとは……、そこまでピュアにならなければ天使にはなれないものなのか。
「……テンション高い理由はわかりましたけど、俺の前にいきなり現れたのはどういった理由で」
「見回りのお仕事よ。新米NPCを優しくサポートする為のね」
「優しく……」
「そうよ優しくサポートよ」
さすがにレベル1のNPCに転生させといて『はい、頑張ってね』じゃ酷すぎるもんね。
「具体的にはどういった事をしてくださるんでしょうか」
「声掛けとか?」
天使のお仕事、相変わらずてきとうだなぁ……。
「……いや、もっとこうなんか、……良いのないですか?」
「良いの?」
「だってほら、あれだけ期待させといてこれですよ。特別だ、ぴったりだ何だと言っておいてレベル1のNPCだなんてあんまりじゃないですか!?」
「でも今レベル2よ」
あの赤毛のコボルトとの死闘を経て俺のレベルは1上がって2になっていた。
「それは俺がここ数日頑張ったからであってですね。最初はひどいもんでしたよ。慣れない低ステでコボルト如きに不覚をとってしまうし……」
「そっかぁ。頑張ったのね」
「ええ、頑張りました」
「えらいえらい、よしよし」
ぱたぱたと白い羽を動かしながら、ふわふわ浮遊し俺に近付き頭を撫でる天使ミカエル。
これが『優しい』サポートなのだろうか。
「いや、あの、その、褒めて下さるのは嬉しいんですけど……」
「けど?」
「良いアイテムくれるとか……、あっお金でもいいですよ。初心者用のクエストで貰える報酬じゃパンと水の生活で、正直、ちょっときついものがありますもん」
低難度クエストのただでさえ少ない報酬のうち、雇われNPCに割り当てられる額などほんとに雀の涙ほどである。
イロモ世界ではPCのみならず、当然NPCも一定の食事を必要としている。
これが旧時代のゲーム、匂いも味もしないゲームだったらパンと水の毎日でも平気なのだろうが、イロモはそうではない。
「たまには肉とか食べたいです!!」
結構切実な俺の要求に天使様は……。
「そう……」
「はい、そうなんです」
頷く俺を見て、天使のエンジェルフェイスに変化が。
「いい加減にしなさいよ……」
「えっ」
「こちとら飴三個で働いとるんじゃあああい。それを何だ、ああしろ、ここしろだああ? ふざけんじゃねぇぞ」
全然ピュアじゃなかった。まぁ、飴三個だものね。ほんとは不満ありありだよね。
「今の待遇が不満だぁ? じゃあコボルト役やるか? 席が三つほど空いてるぞ!!」
「ごめんなさい、それだけはどうかご勘弁を……」
赤毛のコボルトよスマン。
あんたの事は尊敬しているが、あんたのようになりたいとは思えない。
そんな俺の汚れた心を許してくれ。
土下座で許しを乞う俺を見ながらぜぇぜぇ息を切らした後に天使は微笑みながら言う。
「自分がどれだけ恵まれているかわかってくれたならいいの。これからも真面目にお仕事頑張りなさいよ~」
そう言ってまたぱたぱたとどこかへ飛んでいく天使ミカエル。
彼女を見送りながら俺は心に誓う。
二度と彼女を怒らせるような事はしないでおこうと。
だって微笑む天使の目は笑っていなかったから……。