第8話
数日後、ムサシは路地裏に隠れるように停車したパトカーの助手席にいた。
いつもどおり座席を倒しタバコをふかしている。
だがその視線は動くことなくまっすぐ「ジャスミン」を指していた。
「ムサシ先輩、なかなか現れませんね例のストーカー」
運転席には仕事の雰囲気には随分慣れたジャクソンがいた。
「あぁ、付き合わせちまって悪いな。
このことだけはほっとけねぇからな」
「仕方ないですよ。エリスちゃんがストーカーに狙われているって言うんなら
これも立派な職務ですし」
ムサシはなんとかエリスを見張る口実を作る為に、存在もしないストーカーをでっち上げたのだ。
素直なジャクソンは何の疑いもなくムサシに従い、タバコや昼食の買出しまでやっていた。
そしてその迷惑な任務に付き合わされていた男がもう一人。
「おい、ムサシ!そのストーカーってのはホントにいるんだろうな?」
「おいおいウォード、疑うのか?愛しのエリスちゃんが変質者に付け狙われて るとなればこうして体を張るのは当然だろ。
俺がこんなに真剣になるのはどんな時だ?お前なら分かるだろ?」
ウォードは狭い後部座席で少し窮屈そうに腰掛け、ギブスが取れて再びヒゲが生えかけたあごを手でなでながら軽くうなずいた。
しかしムサシ自身にも迷惑な話であった。
まさかエリスに軍部高官暗殺の容疑がかかるとは思ってもいなかったからである。
あり得ないと分かっていながらもサファイアの口から言われると頭の片隅に不安が付きまとう。
「はぁ……」
ため息をもらしたムサシを運転席からジャクソンが心配そうに見ていたが、
後部座席のウォードは未だに疑いの目を持っていた。
サファイアと会った後にエリスのストーカー被害。「何かある」という考えがどうしても
出てくる。
「しかし人が多いですね。さすがは英雄の凱旋帰還だ。
今日はどこの工場も昼間で止まるらしいですよ」
先日、反帝国勢力で3年間ミッドルト帝国の進軍を阻み続けた強豪国バレンクスを指揮官として派遣されてからわずか1ヶ月で占領してみせた英雄フォレスト大佐が勲章授与のために凱旋帰還する。
このニュースでここ3日間、帝都は活気付いていた。
大佐が通るとされる、第6地区のセントラルゲートへ続くメインストリート目指し帝都中から群衆が集まりだしていた。
群衆の足は迷うことなく隣の第6地区に向かって流れていたが、
ムサシはそんなこと気にも留めずに時折視界を妨げる人ごみを邪魔そうにしては険しい表情を浮かべていた。
そんな光景の中でムサシの頭の中には「ブルーシー」での光景が甦る。
「とても素晴らしい食事だったわ。
おかげで久しぶりにゆっくりできた…」
綺麗な声とは裏腹に偽ウェイターに手伝われ、再び醜いマダムの姿に変装をとげたサファイアは席を立った。
「ところでこの任務はジョーカーが現れるまで続くんだよな?なかなかハードな内容だが
報酬の話はないのかい?」
図々しくもムサシはサファイアを引き止めた。
「フフッ…面白い人ね。例えば何がいいかしら?」
「そうだな…君ほどの頭のきれる女性なら聞かずとも分かってくれると思うけ どね」
ムサシの態度に偽ウェイターの表情が一瞬曇る。
「いいわ。ただし報酬が出せるほどこの任務は続かないと思うわよ」
「何?どう言うことだ?」
サファイアは変わり果てたその姿でムサシに歩み寄ると顔を近づけたが、
ムサシはあまりにもよく出来たマスクに一瞬顔をそむけそうになった。
「フォレスト大佐の凱旋帰還。この日は特に注意して彼女を見張ってちょうだ い」
「???」
あっけにとられた表情のムサシにマスクの唇で頬にキスすると、サファイアは
偽ウェイターを連れ、入口の方へと消えていった。
一人回想が終わり、再びむさくるしい群衆の姿がムサシの視界に飛び込んでくる。
ウォードからして今日のムサシは明らかに怪しく見えた。
そんなコンビ改め、警官トリオの乗ったパトカーを偵察用長距離望遠鏡が睨んでいる。
第7地区の居住区中央の広場にそびえ立つ時計塔の屋上。
2人組の黒ずくめ。
肘と膝には鉄製のプロテクターを装着。
1人が望遠鏡で監視。
もう一人は木製の銃床に帝国軍のエンブレムが刻まれたスナイパーライフル「YT-400」を構え、スコープを通して同じくトリオの乗ったパトカーを特徴のある垂れ目で見つめている。
スナイパーの束ねられた黒く長い髪は風でなびいていて、
その美しい射撃姿勢は微動だにすることはない。
2人組を包む漆黒の軍服の袖に縫い付けられたワッペンにははっきりとこう刻まれている。
…………「I.R.F」
「久しぶりだね…ムサシ巡査長」
テラはそうつぶやくと、ニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
「第6地区外境監視所、大佐はまだご到着にならないか?」
「は、通達では1400時の予定です。そろそろではないかと…」
帝都ランブルグの全体を囲む強固なコンクリート製の外郭壁。
第1から第10まで存在する各地区の外郭壁には
一箇所ずつ外境監視所が鋼鉄製の赤いゲートの横に設置されており、
日頃帝都を出入りする車両や人間をチェックしている。
「監視員!まだ見えないか!?」
「はっ!いまだ確認できません」
双眼鏡で帝都周辺の乾いた大地を、英雄の乗る軍用車両が見えるまで監視員はじっと眺め続けていた。
第6外境監視所はそのせいで緊張感に包まれている。
………と、その時監視員の覗く双眼鏡のレンズに、荒野に舞う砂ぼこりが映った。
さらに数秒待つと太陽の熱で生まれた大地に踊るモヤの中に迷彩色の装甲車と、それを囲む護衛のジープ数台が確認できた。
「車両確認!フォレスト大佐ご到着です!!!」
「よし!!ただちに司令部に報告。総員出迎え用意!!!」
第6地区では戦勝ムードが沸き返り、出迎える帝都駐留軍の兵士達には緊張が走っていたのだが、荒野を荒々しく走る車両群の車内は驚くほど静かである。
皆、帝都帰還前に前線基地に立ち寄り、正装に着替えたのだが、彼らの身体に刻まれた無数の傷跡は新しいものばかりでつい先日まで続いていた戦闘の激しさを物語っている。
護衛のジープに囲まれた鋼鉄のボディの装甲車。
その広い後部座席で大股を広げ、腕を組んだまま座っている岩石のように屈強な体つきをした男。
角刈りの頭に片方しかないが鋭い眼光でただ真っ直ぐフロントガラス越しに帝都を凝視している……もう片方は額から縦に伸びる深い古傷によって光を奪われていた。
「大佐、あと10分で第6地区外郭ゲートに到着します」
「来る…………」
通常なら何の事かさっぱり分からないところだが運転手はその言葉を聞いて引き締まった表情をさらに強ばらせた。
「大佐…全員に臨戦体勢を命じますか?」
「……………」
何も答えずに黙ったままフォレストは座席に立てかけた愛用の日本刀をゆっくりと手に取り、自らの肩に立てかけた。
「全員臨戦体勢をとれ!!」
運転手が無線で指示を出すと各車両では銃の装填音が一斉に響いた。