第7話
ウォードが片付けを始める頃から30分ほど時間をさかのぼる。ちょうどリーンと2人で「オールドセブン」に入店した頃、その裏側にある居住区にしては珍しい洒落た造りの建物の2階のレストラン「ブルーシー」にムサシはいた。店内はとても落ち着いた雰囲気で「オールドセブン」に比べると高級なイメージである。居住区に住むも者でも利用したことが無いというのが大半で、主に下級将校や工場の経営者などのちょっとした小金持ちご用達の店となっている。裏路地が望める決して眺めがいいとは言えない窓際の席にムサシは座っていた。テーブルは二人用のものでワインボトルとグラスが2つ並べられ、誰かが来るのを待っているようである。
「お客様、あちらの女性がよろしければご一緒したいと申されていますが?」
ウェイターがムサシにそう告げるとムサシは相手の顔も見ずに
「喜んで、と伝えてくれ」
とてもただの警官とは思えないその言動を見て、2回目の入店に関らずウェイターもムサシの事をどこぞの金持ちと勘違いしたようで、再び女性の方へと戻っていった。
独身であるムサシは給料のほとんどを自分の好きなことにつぎ込む。普段から女だ女だと騒いでいるだけあってお洒落にも手を抜かない。今日もその場にあったキレイ目な格好で、Vネックのインナーに重ねたジャストサイズの白シャツが良く似合っている。
「こんばんは」
想像していたとおりのキレイな声が返ってきたのでムサシがゆっくりと振り向くやいなやムサシは石のように固まってしまった。そこに立っていたのは明らかに自分よりかなり年上の厚化粧の少し太ったマダムで、指には趣味の悪い大きな宝石のついた指輪をはめ、ピンクのワンピースを着てムサシをなんともいやらしい目つきで見つめていた。ムサシは背筋に寒気を感じ、急にげっそりとした表情を浮かべた。
「…………………すいません急に用事を思い出しました」
強引にその場を抜け出そうと立ち上がったがマダムはムサシの腕を掴み、椅子に押し戻した。
「いいからお兄さん、ゆっくりしましょうよ~」
とムサシに体をなすりつけるようにして座らせるとマダムは反対の椅子に軽やかに移動した。と、次の瞬間ムサシはとんでもない光景を目にした。
「ジーーーーッ」
マダムは何を思ったのかいきなりワンピースの背中のファスナーを降ろし始めた!
「ちょっ!!!待て待て待て!!!!」
慌ててそう口走ったがそれよりも早くムサシは手で自分の目を覆っていた。
「かわいいのね」
ムサシはあまりの気色悪さに吐き気まで催してしまったが、そんなことは尻目にマダムが服を脱ぐ「ゴソゴソ」という音は止むことはなかった。
「いつまでそうしてるつもりかしら?ムサシ巡査長」
教えた覚えもない名前を呼ばれムサシが手を降ろし視線を元に戻した。
床にはマダムの首から下の抜け殻が脱ぎ捨てられ、つい最近目にした白の高級将校の軍服に内勤用スカートを着たしなやかな身体が現れたのだが、首から上はその身体に全くマッチしていない先ほどのマダムの太った顔があまりにも不自然に乗っかっていた。
「………ひどいんじゃないか?君がそんなイタズラ好きとは思わなかったよ」
ムサシはようやく事を理解したようで表情にも余裕が戻った。
「フフッ、ごめんなさいね。セントラルの監視が厳しすぎてこうでもしないと司令部の外にも出られないのよ」
「ベリベリ!ベリ!」
最後にマダムはその顔を引き剥がすと下からはサファイア少将の美しい顔が現れた。
「良くできてるでしょ?素材はゴムなんだけど近づいてよく見ないと分からないくらい精巧に作られてるわ。部下に頼んで作らせたの」
「良かった、もう少し君が変装を続けてたら俺は生まれて初めて女に手をあげるところだった」
先ほどのウェイターが現れてサファイアの変装セットを片付けに来た。よく見ると個人オフィスにいたサファイアの秘書だったのでムサシは「やられた」とため息をついた。
すでに「ブルーシー」はサファイアの手によって貸しきり状態となっていたのである。
「よく私が来ることがわかったわね」
「簡単さ、君はあの時任務から外されてもまだ諦めていない目をしていた。そして俺はジョーカーに関する情報を持っている。俺がこうして一人でいれば必ず君の方から会いに来てくれると信じてたよ」
「なるほど、あなた警官にしておくにはもったいないわね」
そう言ってムサシの向かいに腰掛けるとサファイアは長い両足をムサシの片足に絡みつかせ尋ねた。
「早速だけどあの時あなたが私に教えてくれた話、もっと詳しく聞かせてくれる?」
「おいおいせっかちだな?せっかく来たんだ、料理を楽しもう。もしかして厨房のシェフまで君の部下なのかい?」
サファイアは両足を元に戻すとテーブルに肘をついて鼻の下が伸びたムサシに顔を近づけた。
「何がお望み?」
「………まずは君とゆっくり食事を楽しむことだ」
相変わらずのムサシのこの大物ぶり、相手がクルトンならすぐさま連行され過酷な拷問を受けていたに違いない。サファイアは嫌な顔ひとつ浮かべずムサシの要求を受け入れた。
どうやらシェフはこの店の人間だったようで、しばらくして偽ウェイターの手によって料理が運ばれてきた。ムサシは余裕の表情を浮かべていたが、大きめの皿の中央にポツンと盛られたおそらく貝類のカルパッチョであろう物体に何の喜びも感じていなかった。
ただの警官にしてみれば食事の雰囲気や料理の色合いなどこだわりがあるはずもなく、いつも昼食を済ましている「赤松亭」の牛丼の方がよっぽど価値があると感じていたのだった。
「居住区も捨てたものではないのね、このお店なかなかセンスあるじゃない」
「ん、ああそうだな。美味そうだ」
どうやらサファイアはムサシと違った料理の楽しみ方をしているようだ。
偽ウェイターがグラスにワインを注ぐとペコリと頭を下げサファイアの方を向いた。
「ありがとう、問題はなかった?」
「ご安心を、怪しい者もおりませんし盗聴の疑いもございません」
それを聞いてサファイアがニコッと笑顔で応えると偽ウェイターは歩いて入り口の方へと消えていった。
何の不自然さもなく本当のカップルのように会話し、食事が進んでゆく。もし周囲にいつもどおり客の姿があったとしてもそこにいることが当たり前のようなほど2人の振る舞いは自然であった。なお、この時窓の外では相棒ウォードが目の前の光景にオロオロしているのだがムサシはそれにまったく気づいていなかった。
しばらくして蒸し焼きにされたオマールエビが現れると、ムサシはようやく金額に合った料理のご登場ということで料理を見ながら笑みを浮かべていた。が、サファイアは青い瞳でムサシを見つめ続け、偽ウェイターが再び離れていくと少し間をおいて真剣な表情を作った。
「ねぇムサシ、こんなのはどうかしら?」
「?」
今まさにエビに手をつけようかとしたが、ムサシは突然の呼びかけにその動きを静止させられた。
「私と共に『ジョーカー』を追うの。といってもあなたは警官のままいつもどおりにすればいいわ。ただある人物を徹底的にマークするだけ」
「何だそりゃ?ある人物?」
「第7地区市民ナンバーE711462 エリス=ローズ あなたのお気に入りよ」
「何だって!!!エリスちゃんを!!?」
突然の話の展開にムサシは取り乱した。
「私は正直あなた達が民間人だから『ジョーカー』に殺されずに済んだとは思っていないわ。そしてあなたのくれた情報…それを考えれば当然の処置だと思わない?」
「俺はただ「奴は女だ」としか言ってない!!彼女が『ジョーカー』なわけないだろ!!」
いつになく真剣な表情を浮かべるムサシにサファイアはただその瞳で見つめ続けた。
「彼女がクロだって言う証拠はあるのか?」
「ないわ…女のカンよ」
「君はもっと理論派だと思ってたよ。だが俺が彼女をマークすればその疑いも晴れるわけだ、それに中央司令部の少将の依頼ってんなら当然署にも手を回してくれるんだろ?サボれるんなら俺にとって好都合だ」
みごとなポジティブシンキングだったがすぐにサファイアが答えた。
「残念だけどこれは極秘任務よ。私は『ジョーカー』追跡の任務から外された身、このことは絶対に外部に漏らすことは許されないわ」
「………もし俺がここで断ったら?」
「もしクルトン君なら迷わず銃を抜いて強引に従わせるわ、それでも断るなら彼の場合当然のように引き金を引くでしょうね。でも私はいい男をそんな勝手な理由で殺したりはしない。あなたが断れば機密保持のためジョーカーが捕まるまで牢獄に入ってもらうわ、そうね“デザートロック”なんかがいいかしら」
“デザートロック”、帝都から見てはるか辺境の地にある監獄の名だが、情報の遮断が徹底されすぎてその実態は知られて全く知られておらず、ただ「生きて帰って来た者はいない」とだけの情報しかない。主に現体制に逆らう思想を持って逮捕されたものが送られるこの世の地獄であり、ミッドルト帝国の反乱思想抑圧のシンボルでもある。
「さすが少将…恐いこと言うね」
サファイアのことをすっかり美人のおねぇさんとしか見ていなかったムサシの顔は少し引きつった。
「分かった、引き受けよう。これで俺と君は職業の壁を越えてさらに親しくなれたわけだ」
「そうね、あなたとなら上手くやっていけそう」
2人はグラスを持ち上げると、サファイアは爽やかな笑顔で、ムサシは再び余裕の表情で乾杯した。
ただ言われたままエリスを見張るだけ、その最中また『ジョーカー』が現れ暗殺事件が起これば何も問題ない、ただそれだけの事。今のムサシにはその程度の考えしかなかった。