第30話
わずかな時間であったが、『零式』の初披露は終了した。
北方連合国軍に対しては絶大な衝撃と『零式』そのものの価値を知らしめ、
『零式』をもってして『百式』を止めようと画策するサファイアの思惑通り事は運んだわけである。
そしてムサシもほぼ初めてとなる『零式』との対話を済ませ、思いの丈をぶつけることで平常心を得たのであろう、落ち着いた様子でクレバニスタ城内にある礼拝堂の椅子に腰かけ、この国の為に祈りを捧げる王女の姿を眺めていた。同じく椅子に腰かけるサファイアもセラティア王女の美しい横顔を眺めては自然と微笑みを浮かべ、その静寂を堪能している。その表情とは裏腹にサファイアは自身の胸中に潜む不安を口に出さざる負えない。
「とりあえず、デモンストレーションは成功ね。ご苦労だったわムサシ」
「まずは第一段階としてはな・・・ただ」
「ええ、分かっているわ。『零式』の唯一にして最大の弱点。覚醒と進化のタイムラグ」
「・・・このことはまだラファエルに伝えていないんだろ?どうするかだな・・・」
一見、ムサシの言うことを聞いて攻撃を仕掛けたかに見せた『零式』ではあるが、本当のところはミッドルト帝国の戦力に対して無差別に攻撃するのが実状であり、サファイアの言う覚醒と進化のタイムラグとは、『零式』が望んだタイミングで覚醒してくれない事を指す。つまり兵器としては最大の欠点、使用したい時に使用できないという致命的なものであった。
「あのガマガエルにうまく説明するには慎重にやらないといけないけれど、北方連合国軍と『零式』を上手く連携させることができればこの国を守ることが出来るわ。まだラフプランではあるけれど、ミッドルト帝国第一艦隊を誘い出し、北方連合国艦隊との艦隊決戦に持ち込む。第一艦隊の戦力を一カ所に結集させたところにタイミング良く『零式』を投入し一気に殲滅させる」
「そう上手くいくかね?」
「やるしかないわ。ミッドルト帝国も新設の海上戦力を意気揚々と進軍させたものの、初戦で壊滅となれば面目は保てない。何より敗走による恥を嫌う体質から侵攻を諦めて、名誉回復の為、多方面へ手を伸ばす可能性が高い」
「さすが元少将。だが、もともと味方だった連中に対してそこまでやれるのかい?」
「覚悟のうえよ、ムサシ」
サファイアの固い決意がみなぎる蒼い瞳から目を逸らすと、ムサシは再び礼拝堂の壇上で祈るセラティアの姿に目を向けた。
数年前に父である先代の王を病で亡くしてから、即位してクレバニスタ王国の王女となったセラティア。先代王は男子の跡取りには恵まれず、セラティアとシャルロットの姉妹のみをこの世に残すことしかできなかったが、それでも心を込めて育てた愛娘が今はこうして自身の後を継いで王国を一つにまとめてくれている。決して政治手腕に優れているわけではないが、何よりも臣下をはじめ国民から愛されている。本来であれば齢18の娘に一国の政治を任せる事には無理があるため、経験豊富な大臣などが摂政となり補佐していくものだが、セラティアは昼夜を問わずに勉強を欠かさず、未熟ながらも周囲をリードして王国の舵取りを立派にこなしていた。その多忙な中でも暇さえあれば城下に出かけ、国民との触れ合いの時間も欠かさずに、商業で問題があると知ればその意見に真剣に耳を傾け、医療機関に問題があると聞けば病院まで足を運び医療現場を視察して回り、城下で得た多くの宿題を城に持ち帰っては大臣たちとその解決のために寝る間も惜しまず話し合った。彼女は誰よりもこの王国を愛していたのだ。
祈りを終えたセラティアはその純粋な眼差しを礼拝堂中央にそびえる荘厳な祭壇からムサシらに移すと、ゆっくりとした歩調でその歩を進めた。礼拝堂に差し込む日差しがステンドグラスを通過し眩い輝きを放ち辺りを照らす中、その輝き無くしても十分に輝いて見える純白の装束を身に纏った王女の表情はどこか寂しさを漂わせている。
「サファイアさん、ムサシさん、すみません話の途中だったのに。礼拝は欠かせませんので」
「気にしないで、セラティア。それにしても随分立派になったわね。お父上も鼻が高いでしょうね」
「いえ、私など・・・国がこんな事態だというのにこうして祈りを捧げることが精一杯。サファイアさんが来て下さらなければ今頃どうなっていた事か。それにムサシさんも、本当にありがうございます」
丁寧な言葉遣いに加え、自分にまで気を遣う王女を前に申し訳ない気持ちに襲われるムサシ。
過去に多くの女性達と会話してきたが、こういった高貴なタイプは不慣れなのかいつものような気軽なトークが思い浮かばず、つい言葉に詰まり、軽く苦笑いしながらの会釈で対応する事しかできなかった。
「『零式』でしたわね?外見は私と歳も変わらないお方にしか見えなかったけれど。あの方は一体?」
セラティアは『零式』の力を目の当たりにした一同の中で唯一、恐怖の念しか抱くことが出来なかった。自らの国を救ってくれる救世主となり得る存在であるとサファイアから諭されたものの、あれだけの破壊力を秘めた代物が自国に存在している事により強い不安に襲われていた。『零式』だけではない。ここ最近の情勢により自国の港に停泊するようになった北方連合国軍の艦船や、城壁に半ば強引に設置された対空砲座群、日に日に増えていく街を行き交う群衆に混ざる軍服姿の男達。どれも先代の頃には存在すらしなかったものばかり。国民を戦火から守るためとは言え、招き入れるほか無かったものだが、変わりゆく王国の姿は若き王女の心を少しづつだが確実にすり減らしていく。
「ええ、『零式』の使用者はあなたと歳が変わらないエリスという女性。エリスの意思によって『零式』は動いているの」
「・・・・」
「セラティア、気持ちはわかるわ。だけどこの王国を戦火から守る方法はこれしかないわ。ミッドルト帝国の今後の戦略から考えれば北方連合国軍の力だけでは侵攻を止められない」
「けれど・・・そのためにも多くの血が流れてしまうのですね」
現実を理解しているとはいえ、それを受け入れるにはセラティアの心はまだ未熟過ぎた。
それでも臣下や国民の前では不安の表情を浮かべることもできない。こうして数少ない心を許せる者を前にしてようやく本音を吐露することが出来るのである。
「お姉様~!!サファイア~!!」
礼拝堂の静かな空気に割って入ったのはセラティアの10歳年下の妹君シャルロット。
まだまだ国の行く末などを考えるには至らない遊び盛りの少女だがその愛らしさから姉君と同様に多くの者からシャルルの愛称で可愛がられている。とにかく動き回り、すぐに姿をくらますため戦技鍛錬の時間以外はドラグノフ騎士団長自らが常に護衛に付き添っている。今も礼拝堂の入口にはあの屈強な体つきをした騎士団長が遠くからこのお転婆な姫君を見守っていた。
「シャルル!礼拝堂では静かにしなきゃダメって何回も言ってるでしょ!」
「へへ~ん!いいじゃんか~。ねぇサファイア、こっちに来て一緒に遊ぼ!」
「ふふ、相変わらずね、シャルル」
さっきまでの雰囲気とは打って変わって平和な空気が流れる。ムサシにはまるで仲の良い三姉妹のようにも見てとれた。そんなムサシと目が合うと、シャルルはサファイアの影に隠れ、アッカンベーをお見舞いする。ムサシも同じ事をして応酬するとそれを見ていたセラティアの表情に笑みがこぼれ、ムサシは何とも照れくさくなり、また苦笑いを浮かべる。
「サファイア、来て!こっちこっち!ドラグノフが鬼さんだから捕まらないように逃げるんだよ〜」
「えっ!?ちょっと!!」
強引に手を引かれ礼拝堂の裏口に連れて行かれるサファイア。その姿を見るや否や、ドラグノフ騎士団長は血相を変えて礼拝堂に足を踏み入れる。
「シャルロット様!!なりませんぞ!!このドラグノフのそばを離れなさるな!!」
礼拝堂内に響き渡るドラグノフの野太い声など知った事かと、シャルルはサファイアの手を引いたまま裏口へと姿を消していった。困り果てた様子のドラグノフではあるが、戦技鍛錬の際には決して見せない、どこか柔らかな表情を浮かべながらその巨体を礼拝堂内へと押し進めていく。その途中セラティアの前を通るわけだが、足を止め、律儀に片膝を着いて頭を垂れてその忠誠心を示す。セラティアも慣れたもので、クスッと笑って見せ、「妹をお願い」と無言ながら笑顔で応える。
「して、ムサシ殿。先日は当方の非礼誠に申し訳なかった」
再び立ち上がったドラグノフがムサシにぎこちなく話しかける。
「なーに。良いって事よ。俺の方こそ何も知らずに悪かったよ、気にしないでくれ」
「ふむ、ムサシ殿。おぬし、タンゲン殿に弟子入りしたそうだな・・・
おぬしが強くなったその時はあらためて手合わせを願う」
「いいぜ、この左腕一本でぶっ飛ばしてやるよ!」
「ふん!ぬかせ!
それでは、セラティア様。急いでおりますのでこれにて」
ドラグノフは再びその巨体を走らせ、ドスドスと象のような足音と共に礼拝堂の奥へと消えていった。
クレバニスタ王国を訪れてから過ごした時間は短いものの、この国の人間の純真さにはムサシも強く共感と憧れを抱いていた。世界が戦争と混乱に巻き込まれても、世界中が彼らのように振る舞う事ができれば、戦争などとっくの昔に終わっているはずだ。セラティアは本気で今の王国を守りたいと願っているのだろう。そしてムサシ自身も『零式』を使用し、ミッドルト帝国中枢で進化のため眠り続けているという『百式』を葬り去る事の正義をより強固なものと変えていった。
「ムサシさん。私は血統により今の地位に就いているだけの一人の人間です。あなたのように大きな力を操れるわけでもなく、サファイアさんのように軍事に精通しているわけでもありません。ただ・・・ただ私はこの国で平和に暮らす人々に辛い思いをさせたくないのです」
二人きりになった礼拝堂の中では女王の澄んだ声が良く通る。
「女王陛下、このムサシ=ハナノカワ。命に代えてでもクレバニスタ王国をお守りいたしますよ」
ようやく調子を取り戻したムサシは、鼻の下を伸ばしながらも、若き王女の不安を少しでも拭い去ろうと精一杯の見栄を張り応えた。
時間が流れていく中、北方連合国軍には当初から流れていた楽観的な戦況の見方が変わりつつあった。
ミッドルト帝国海軍が持ち合わせていなかった潜水艦戦力を早期に展開し、濃密なな哨戒網を敷くことで制海権を掌握するつもりでいたのだが、潜水艦隊を各方面へ展開してから間もなくその異常に気付く。
「ラファエル司令、これで7隻目です」
「定時報告を最後に通信不能。今回も撃沈の可能性大です」
部下の報告を聞いた北方連合艦隊を率いるラファエル司令に焦りの表情が浮かんだ。
「バカな、新設の海軍がこんなにも早く対潜哨戒を確実にやれるのか!?展開した潜水艦隊の半数をこの1ヶ月に失っただと?」
先手を打ったつもりの潜水艦による哨戒網の展開であるが、ことごとく撃破されているという現実に流石の策士も眉をひそめるほか無かった。
一方、ミッドルト帝国第一艦隊はハイドリッヒ司令の元、早々に痛手を受けた潜水艦攻撃による巡洋艦レイニードルの損害を教訓に対潜警戒の見直しに重点を置いていた。名将ハイドリッヒは慎重な人間であり、一度踏んだ轍は二度と踏む真似はしない。駆逐艦の運用方法に加え、広範囲射出型爆雷の開発を軍上層部に進言し、早期に開発、実用化にまでこぎ着ける手腕の持ち主であった。
広範囲射出型爆雷は従来の投下型に比べ、威力は落ちる代わりに攻撃範囲を大幅に拡大させ、北方連合国軍の潜水艦隊を大いに苦しめる戦果を挙げる程の代物であった。
潜水艦戦力での差を埋め、確実に侵攻の道を築いていく第一艦隊に、さらに追い風となる一報が入る。
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宛 帝国海軍第一艦隊
司令官 ツィードファン=ハイドリッヒ
兼ねてより増派予定であった艦艇を以下の通り派遣する。
<正規航空母艦>
・ライオット型 ドーンスタイン
・上記同型艦 フィンラスタ
・上記同型艦 ツヴァイカー
・上記同型艦 ラッテルモンド 以上4隻
また、別途連絡済みの艦載機群を同時期にシュナルダク軍港へ移動させる故、以上の戦力を加えたうえで
確実かつ絶対的な勝利を献上し、ミッドルト帝国海軍のその名を世界へ轟かせるよう厳命する。
発 中央司令部参謀本部
グレンヴェル=L=クルトン
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絶対的戦力を誇るミッドルト帝国軍がメルデン海を渡り、着実にクレバニスタ王国に迫ろうとしていた。




