第2話
翌朝、帝都ランブルク全体への戒厳令は解徐され、一般市民には軍事産業に携わる労働者を優先的に行動の自由が許された。
地区の半分近くを国営軍需工場の下請けを任された町工場群が占めるここ第7地区では、いつも通り労働者達が軍のディーゼルバスに乗って出勤し、煙突から出る煙が町の空を汚す普段と変わらない何とも鉄くさい雰囲気が漂っていた。
そんな工場郡に対して、帝都の中心部に位置する中央司令部から遠のく形で広がる、窮屈に家屋が密集した第7地区一般居住区がある。ここがムサシやウォードの生活する街である。
2人が運び込まれた総合病院は街の西側の高台に居住区を見下ろす形で建っている。
朝方は指令部側から吹く風が工場の排煙を巻き込むため、居住区の空気は少し悪くな
る。
洗濯物を干せない、と街の奥様方の反感を買うが、午後には風向きが変わり、一変して
多くの人が行き交う活気溢れる町へと姿を変える。
そんなこの街に洗濯物がバタバタとひるがえった昼下がり…
高台の病院のベッドで目を覚ましたムサシは、ぼんやりとはっきりしない視野の中で見覚えのあるお気に入りの色白でショートカットの女の子を見つけた。
「ムサシさん!!気が付いたの!!!?」
「………………………………………エリスちゃん!!!?」
「よかったぁ、先生は命に別状はないって言ってたんだけどなかなか目を覚まさないから心配しちゃった」
ガバッ!!ムサシは慌てて起き上がったが同時に襲ってきた激痛に耐えられずその場にうずくまってしまった。
「痛ってぇえ……………」
「大丈夫?ダメよ、じっとしてなきゃ!!」
痛みに耐えながらもお気に入りの女の子に心配され、寝起きにも関わらずにやけてしまうムサシだが、隣のベッドから聞き慣れた野太い声がして少しがっかりした。
「女の前だからってはしゃぎ過ぎるなよ!お前さん肋骨をやられたんだ、全治2週間だとよ…」
「何だ…二人きりじゃねぇのかよ……」そう思いつつ隣のベッドの上で壁を背もたれに座り、片ひざを立てて新聞を見ているウォードに目をやるとムサシはギョッとした。
「ようウォード、お前のは随分痛々しいな」
「ああ、あごを割られちまった。ほんとなら喋れねぇほどのもんらしいがこいつのおかげでなんとか柔らかい物は食えるし、少し痛むが会話もできる」
そう言ってウォードが自分のあごを指差すと、昨日までは立派なあごひげが生えていたのだが、その代わりに彼の下あご全体を覆うように銀色に輝く金属製のギブスが装着されて
いた。
「…………………………」
「なんだよ?」
ウォードのその姿をじっと見つめるムサシであったが、彼にはこらえきれなかった。
「ぶっ……ぶわはははははははっ!!!痛っつ…わははははは!!!痛ってぇよぉぉ!!!」
痛いのか笑いたいのかわけの分からない状態でベッドの上を転げ回るムサシを見てあ然とした顔をするウォードであったが、だんだんと怒りがこみ上げて来た。
「ははははははは!!ウォードそれすごい似合ってるぞ!!!大型ゴリラ戦闘ロボだ!!!!強そうだーーー!!!わはははははは!!!痛ぇ~!!」
これにはさすがのウォードもキレた。
「誰がゴリラロボだコラァァアア!!!!!!!痛っっつ!!!」
ムサシに飛び掛ろうとしたが大声で怒鳴ると今度はウォードが痛みに襲われてベッドから転げ落ちてしまい、拍子にムサシが寝ている間にウォードの奥さんが持ってきたのであろうフルーツの盛り合わせを床に散らかしてしまった。
「ははははは!!ゴリラロボは欠陥品かぁ?」
「何だと~?」
床に転げ落ちて無様な格好になったウォードはさらに大噴火しようとしたが
「フフフフフ」
ムサシのベッドの影にいたエリスにまで笑われていることに気付き、顔を真っ赤にして黙り込んでしまった。
「二人ともとにかく安静にしてなきゃ、私お店からケーキ持って来たの、良かったら二人で食べて」
と床に落ちたフルーツを片付けながらエリスが二人の間に割って入った。
「うおぉ~サンキューエリスちゃん」
「フン…」
好物の「ベンジャミン」のケーキを前にゴリラロボの機嫌も直ったようだ。
「それにしても二人とも大変な目に遭ったわね。約束の場所で待っててもムサシさんなかなか来ないんだもん、署の人に聞いたら入院したなんて言うからビックリしたわ昨日は将軍が殺されて戒厳令まで出されるし…ねぇ一体何があったの?」
ムサシは答えようとしたが起きたばかりのせいか記憶が曖昧でつっかかってしまった。
代わりにウォードが
「俺達は『ジョーカー』に遭った」
「えっ!?『ジョーカー』ってあのテロリストの?」
エリスが驚きムサシがその名を聞いてハッと記憶をはっきりさせたその時
「そこまでだ!!!」
突然病室の壁と同じ真っ白のドアが開き、底の硬そうな皮製の軍用ブーツが床を叩く
ドカドカという音と共に、帝都ではよく目にする帝国兵特有の真っ黒なヘルメットを被り、緑色の丈の長い軍服を着た2人の下級兵士が入ってきた。
続いてカツカツと余裕のある歩調で、高級将校の証である、ところどころに金色と黒の刺繍が入った真っ白な軍帽・軍服に身を包み、短髪で丸メガネをかけた眼光の鋭い痩せ型の男が現れた。
突然の来訪者に病室はさっきまでとはうって変わって緊張した空気が張り詰め、エリスは、たまらずムサシの腕を握り彼の影に隠れた。
「帝都中央司令部、中央諜報部顧問のクルトンだ。レッドブルー署所属、H・ムサシ巡査長とJ・ウォード巡査長で間違いないな?」
「俺がムサシで横のでかいのがウォードだ」
ムサシは素直にそれに答えた。
「後ろの娘は?」
「俺のガールフレンドで見舞いに来てくれたんだよ」
クルトンの高圧的な態度にエリスは怯えきってしまい、つかんだムサシの腕をさらに強く抱いた。
「娘、悪いが早急にここから出て行ってもらおうか」
怯えるエリスにムサシが場の空気を察し
「ごめんなエリスちゃん…せっかく来てもらったのに。退院したら今度こそドライブに行こう。またお店に寄るから」
と優しく促すと、エリスは深くうなずき、申し訳なさそうにゆっくりと病室を後にした。
エリスの閉めたドアの音が止んで少し間を置くと、クルトンは街を一望できる病室の窓から遠くを眺めながらその冷たい声を響かせた。
「貴様らが『ジョーカー』に接触したというのは本当か?」
「あぁ、白の気味悪い仮面に黒マント、情報どおりの格好だった。間違えなく奴だろうよ」
喋りにくそうにウォードが質問に答えた。
「そうか…。では私がわざわざここまで出向いた用件を簡潔に話そう。
一連の暗殺事件において軍関係者以外の人間で奴と接触したのは貴様らが始めてだ、ついでに言えば奴と遭遇して生き延びているという事も今回が初めてのケースである。よってこれより貴様ら両名は私と共に中央司令部に出頭し、査問審議会に出席してもらう」
機械のように難しい言葉を連発するクルトンに
「俺達は警官だ、民間人に対して査問会を開くのか?」
とムサシが口を挟むと、すかさず入り口に立っていた兵士が
「余計な質問はするな!!黙って命令に従え!!」
命令という単語を出してムサシの口を塞いでしまった。
「用件は以上だ。10分待つ、さっさと準備しろ」
そう言い放つとクルトンは2人の兵士を残し足早に病室を出て行った。
「………………………」
ムサシもウォードも一瞬ムスッとした顔を見せたが、2人の兵士に睨まれ、渋々ロッカーに掛けられていたブルーの制服に着替えた。あごの鋼鉄ギブスに加えて屈強な身体にぴったりのサイズの制服を着てさらに迫力を増したウォードに、ムサシはその場で笑い転げたいのを必死にこらえ、茶色の少しくせ毛のかかった頭に制帽をかぶせた。
「ついて来い」
そう言われて病室を出ると、コンビは前後を兵士から挟まれた状態で廊下を歩かされた。
一般の病院に軍の人間が、しかも兵装のまま来る事は珍しいのか他の患者や職員にかなり
の注目を受けながら長い廊下を抜け、ガラス張りの広いロビーに着くと二人は思わず足を止めた。
「!!!!」
入り口のガラス越しに見えたのは、深いブラックのボディからまぶしい光沢を放つ軍部高官専用車両「エルフィンカイザー」、この国の超高級車であった。
「カイザーに乗ってるって事ぁ、あの男かなり上の人間か」
ウォードが興奮気味につぶやくとそれを聞いて兵士の一人が横から言った
「あの方の階級は少将だ。短気な性格だからくれぐれも失礼のないようにな」
「ってことは俺達もあれに乗るのか?」
期待した顔でムサシが尋ねるともう一人の兵士が
「そうだ、いいから早く乗れ!!!」
警官として一生働いたとしても決して乗ることが出来ないほどの超高級車に乗れるということで2人の目は少年のような輝きを放ち、我先にとその重厚なボディに駆け寄った。
「ガッ」と勝手にドアが開くと革張りのシートが2列向かい合わせでコンビを出迎えた。
車内とは思えない広々とした清潔感溢れる空間であったが、後方を向いた前列のシートの中央にクルトンが足を組んでくつろいでいるのを見てコンビの目の輝きは曇ってしまった。
急におとなしくなって静かに席に着いたコンビは目の前に座る別世界の男が気になり落ち着けない様子である。逆にクルトンはコンビの事などまるで気にもとめず、横に置いてあるアタッシュケースから書類を取り出すとただそれにのみ集中していた。
「出せ」
「はっ」
コンビのあこがれ「エルフィンカイザー」は発進すると街の高台を優雅に下っていった。
しばらく下り坂が続いたが、ほどなくカイザーは居住区の中に入った。すれ違う全ての車はその巨体を見るや否や驚いたように路肩に寄ってスピードを落とした。普段パトカーの巡回では決して見ることができないその光景にコンビは気を良くしていた。途中、多くの人でにぎわう地区で一番大きな市場を通った際、病院から帰るエリスを追い抜いたが、気難しそうな少将を前にムサシは大人しくその場を済ませた。
「本当だったら今頃愛車の助手席にエリスちゃんを乗せて、せま苦しい帝都を抜け出して海沿いの道を飛ばしてるとこなのに…」と思いつつも、カイザーに乗って入ったことすらない中央司令部に入れる事に少しわくわくしていた。さらに走り工場街に入ると人通りも車も全くと言っていいほどなくなった。するとそれまで一言も喋らず書類を睨んでいたクルトンが書類をひざの上でトントンと整理すると、それをアタッシュケースに直しながら口を開いた。
「これは個人的興味から出る質問だ………『ジョーカー』は本当に我々と同じ人間なのか?」
突然の質問の答えに困ったコンビはしばらく黙っていたが
「俺達が見た限りでは奴は人間だった、ちゃんと喋ってたし血も流していた」
ムサシがそう答えると、クルトンは「フッ」と鼻で笑った。
「声に血か…わざわざ私が出向いた甲斐はあったな」
「どういうことだ?」
「これまでにやつについて分かっていた事は監視カメラに写っていた容姿と現場に残った足跡だけだった。ようやく新しい手掛かりが手に入る」
コンビは自分達がカイザーに乗せられ手厚く迎えられていることの意味をようやく理解した。これまで対峙したものは一人残らず抹殺してきた『ジョーカー』が珍しくとどめを刺さずに見逃した、つまりコンビは一連の凶悪事件の初の目撃者だというわけだ。そこまで考えるとムサシとウォードの頭の中に共通の疑問が生まれた…………
「なぜ俺達を殺さなかったのか?」
「おそらく民間人だからだ。これまでに奴と遭遇したのは全て軍関係者。さっきも言ったように貴様らは民間人では初めての接触者だ」
とコンビの抜けた表情から疑問を察しクルトンが解説した。
「なるほど、てことは情報どおり奴はただの殺人狂ではなく軍部に不満をもつテロリストってわけだ」
クルトンは再び鼻で笑い
「余計な詮索はするな。これから査問会で嫌と言うほど喋ってもらうことになる。今のうちにその重そうなあごを休めておけ」
「……………」
ウォードは何か言いたそうだったがムサシの「やめとけ」のアイコンタクトでとりあえず黙り込んだ。するとカイザーは減速しこれまでコンビが何度も見てきたが一度もくぐった事のない、第7地区と司令部が存在する中央地区を厳重に区切る第7ゲートを実にスムーズに通過した。セントラルエリアは分厚い鉄の城壁に囲まれ、
入るためには必ず各地区につき1つしかないゲートを通らなければならない。他の軍用車両はゲートで停止しIDチェックを行うがカイザーは顔パスで通れる。ちなみにカイザーのフロント部分には一台一台違ったエンブレムが付いており、門番の兵はそれを見てどの将校かを判断しゲートのポールを上げる。つまり高級将校には軍から一人一台ずつ専用のカイザーが与えられるのだ。
ここから先は完全にコンビにとって見知らぬ土地である。