その3
古い喫茶店のドアを開けると、チリンチリンと小さな鐘がなった。
昔は常連だったこともある店だ。俺の知っている中ではほとんどなくなってしまった個人経営の店であり、禁煙席のない店だ。だから敢えてそこを選んだ。
中高年の男が大半を占める狭い店内で、ブレンドを二杯頼んだ。
「わたしは、あなた達のように」
「いいんだよ、好きにさせてくれ」
それにコーヒーは香りを楽しむものだ、ともっともらしく付け加えてやると奴は張り付いた笑顔を更に明るくして分かりましたと言った。
実のところは、ファミレスの時の様に質問責めにされないように玩具を与えておこうと思っての事だったのだが。
アルデバランは運ばれてきたコーヒーを見つめながら言った。
「いい、においがしますね」
俺はお前らが巨大で愚鈍な異星の動物に擬態している時の嗅覚受容体はどうなってんだと思いながらコーヒーを飲み続けた。
「あれは、雑誌ですね」
言われた方を見やると、白髪の男が古い雑誌を読んでいた。
アルデバランは店内の古い書棚に並んだ古本に視線を移している。
「あなた達は紙面の情報を閲覧すると、落ち着くのですね」
「まぁ、人によってはそうなんじゃないのか」
俺が子供の頃、紙の媒体が数を減らした頃にじいさんが言っていたようなことを言うなと思った。
その後も、アルデバランは古臭い店内をきょろきょろと見渡していた。
「何で俺達があんな虫けらに踊らされなきゃならないんだ」
背後を振り向くと、中年の男達が怒気を孕んだ声で何やらわめいている。
馬鹿じゃねえのか。「虫けら」に関わる情報を公の場でべらべら喋りやがって。
この国に建前では情報統制はない。ただ、不慮の事故や自殺の件数は年々増加している。
「あんな連中、殺虫剤でも撒けば簡単に殺せるんじゃないのか?」
耳障りな男達の笑い声が響く。
「うるせえなぁ」
気がつくと男達に聞こえる声で言っていた。
「ちったぁ静かにしろよ。不味くなる」
男達は不満そうにぶつぶつ言っていたが、俺に食ってかかるほど暇ではないようだった。
* * *
「あれは、わたしの為に怒ったのですか?」
喫茶店を出てすぐにアルデバランは俺に訊いてきた。
「お前達の大層な科学力であいつらを死なせたら可哀そうだと思ったからな」
アルデバランは少し黙ってから、表情のない顔で言った。
「わたし達は中傷を受けたからといって仕返しをするということはしません」
「そりゃあ結構なことで」
「最後に、あなたの家にもう一度行きたいのですが」
「何なんだよ、お前。気持ち悪いな」
「申し訳ありません」
* * *
仕方なく、俺はアルデバランを部屋に連れて帰った。
留守中に部屋に籠った熱気は中々消えていかない。
「あなたの持ち物に、触れてもいいですか?少しでいいですから」
家探しされるのは不愉快だが、面倒なので何も言わずに座った。
アルデバランは俺の本棚から一冊の本を取り出して、俺に見せた。
昔から老若男女に人気のある作家の短編集だった。
「わたしは、この本を読みました」
ほー、と気のない返事をした。
「『百年待っていてください』という台詞が、とても好きです」
ああ、第一夜か。
* * *
アルデバランは来た時と同じように、かしこまった様子で扉を開けた。
「それでは、おいとまいたします」
俺はどうしても気になって、おい、と声をかけた。
「お前、何で俺の所に来たんだ」
アルデバランはまた少し黙ると、笑顔で言った。
「あなたは、わたしを呼んだことがありますね」
俺は膝から崩れ落ちそうになった。
あの時か。
あの時の発信か。
「わたしを呼んだあなたに、一度会ってみたいと思ったのです」
あの時の地球外への発信の成功により、若かった俺は逮捕された。俺の先生も、神経が衰弱して死んだ。
あれはお前達に届いていたのか。
「あの時わたしを呼んでくださり、ありがとうございました。さようなら」
アルデバランの姿はちっぽけな羽虫に変わると、ふっとかき失せた。
ああ、と俺は頭を抱えた。
俺はあの時怒ったんじゃなかったんだ。
熱帯夜にうなされながら見た夢のストーリーをほぼそのまま書きました。
夢の中ではほとんど神の視点だったため、主人公の性格を後付した結果、ひどい人間嫌いになってしまいました。
夢ではその後、主人公は政府に軟禁状態で研究させられていました。
研究中、主人公は突然強大な力を持つミュータントと化し、人を傷つけるのを恐れて施設から逃亡します。
そこで何故か私は施設で働くメイドとなり、主人公を助けに行くためエレベーターを待っているところで目が覚めました。
夢の続きを見たら、また書いてみたいです。