第三話
【3】
それから彼は、毎週約束どおりの時間に、ふらりと玄関の前に現われた。どこから来たのかなんて想像もつかない。
なんだかんだで始まった変な座談会――ほとんど一方的に私が喋る――は、なぜかベランダで行なわれるようになっている。ベランダにコーヒーセットを持ち込み、毎回蒸れる。
なぜベランダになったのかは、単純だ。
再開したあの日から、初めての月曜日のこと。ドキドキしながら待っていた私に「ベランダが広いっていいな」と開口一番に告げた彼の所為だ。そのまま会話が続かないので、「行く?」と聞くと、少し嬉しそうに頷いた。なんだ、結局ベランダに行きたかっただけかと思ったのは秘密だ。
それから、不思議と月曜日に天気が悪くなることはほとんどなかった。神様なんて信じていない私だけど、それでもちょっと気を利かせてくれたのかな、なんて思ったりした。
彼は朝の九時きっかりにやって来て、コーヒーを一杯飲んで――お代りはしない――三時くらいに帰っていく。その間に、私と彼がすることは、ぼーっとベランダに座って空を見上げる、寝る、町を見る、ぼそぼそと喋る、くらいのものだ。
何をしたいのかと言われると、即座に答えることは出来ないけど、でも心地よいのは確かだった。月曜日に彼が家にいると、ここが私の帰ってくる場所だと思える。安心する。そしてこれからまた一週間、頑張っていこうと思えるのだ。彼の足に頭をおいて目を瞑り、髪の上にぎこちなくのせられた手を感じている時は、本当に幸せな気持ちになる。
そんな日々が一ヶ月ほど続いて、まさに春真っ盛りな、ある月曜日のことだった。
彼が手に小さな素焼きの鉢植えを抱えて、やってきたのは。
*
「もう少ししたら、行く」
頭にのせられた彼の手が、急にこわばったような気がして目を開けた。
初夏の空は驚くほど眩しくて、思わず目を細める。
言った内容は分かっていた。別に驚かない。
彼なら、いついなくなってもおかしくない。それくらいは、覚悟していたから。いつ、こんなことを彼が言ってもおかしくないって。そう思っていたから。
それがただ、再会してからちょうど三ヶ月経った、今日だっただけで。
「そう」
短くだけ答えた。
覚悟していたはずなのに、心の底で感情が暴れまわっている。
――ダメだ。
これ以上彼に迷惑はかけられない。
誰か知らない。名前も知らない。でも、大切な彼だからこそ、これ以上の迷惑はかけたくない。
でも、なぜ彼は――『もう行く』と言わずに『もう少ししたら行く』といった?
「なら、この花がひらいたら……」
ミヤコワスレが咲くまでは――行かないで欲しい。
誰にも彼を止めることなどできないのに、するべきではないのに、ちょっとした我儘だった。もしかしたらという期待だった。今までの関係が、私の我儘だったにもかかわらず――
「了解」
なのに彼は頷いた。花が咲いたらな、そう言って珍しくしっかりと私の顔を見た。笑っていた。ポンと私の頭をたたいて立ち上がる。
そして、
「帰る」
そう言って、手を上げてベランダを出て行った。私はじゃぁと言って、そのままミヤコワスレを眺めていた。止める気には全くならなかった。
なぜだろう、いつまでと決めないうちは自分で納得していたのに、決めたとたん怖くなった。月曜日に愚痴を聞いてくれる名前も知らない人がいなくなるだけだけれど。今まで三年間いなかった人が、またいなくなるだけだけれど。
開花の時期なんて調べられるわけが無かった。