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第一話


【1】




 冷たい春雨のしとしとと降る、そんな日のカフェ。

 駅前なのに、なぜか訪れる人は少なく、私のような貧乏学生が幅を利かせている。

「よし、次に期待!」

 手元の不採用通知を破り捨てて、そう呟いた。こうするのも、もう何枚目だろう。最初のころは、豪快に破いて笑っていたものだけど、そろそろそんな余裕もなくなってくる。ここまで駄目なのはもしかしてこのカフェの所為じゃないのかと、恩知らずな考えが頭に浮かんだ。

「なわけないよね……」

 はあ、とため息が口をついて出る。

 いくら、全ての不採用通知をここで破っているからと言って、そんなことはありえない。でも、なら何が問題なんだろう。

 今年で短大も卒業。友達はもうほとんど内定が決まったし、決まらない人もそれぞれこれからのことを決めている。「あんたも今年中に何かやることを見つけなかったら、お見合いさせるからね」そう言うお母さんの言葉が、だんだんと身近に迫ってきていた。

 結婚は恋愛でするって決めていると言っても、「自分のやりたいことも見つけれない人が、どうしてそんな人を見つけられますか」と取り付く島もない。なら、絶対に就職してやると意気込んで始めたのに、返ってくるのは不採用通知ばかりで、私はもうどうしてよいか分からなくなっていた。

「なんで、就職なんてしなきゃいけないんだろう」

 そんな言葉が、思わず口に漏れてしまった。自立しなきゃいけないからだって、それは分かってる。それに、自分でお見合いさせられない為にする、という目標というか意地みたいなものもあった。けれど、返って来る不採用通知を見るたびに、自分の中でどんどんと働くことへのモチベーションが下がっていく。そんな私に、採用なんて手紙が来るわけがない。

 どんどんと鬱な方向へ思考が走り始めて、どうしようもなくなっていた時。

 ――トン。

 木と陶器の立てる軽い音が、不意に私を現実へと連れ戻した。

「へ?」

 思わず間抜けな声を出してしまった。

 見ると、目の前に湯気の立つコーヒーカップが置かれている。淹れたてのミルクコーヒーだ。その視線を上げると、そこには黒いパーカーを着た、大学生くらいの青年が、立ってこちらを見下ろしていた。その手にも、また湯気の立つコーヒーカップが握られている。

「あの……」

 このコーヒーは、と続けようとした言葉は、彼の放った一言に封じられた。

「――就職浪人」

 ぼそりとそう言うと、彼は向かいの席に腰を下ろした。低い、でもやけにはっきりと聞こえる声だった。 

 頭の中に、その言葉が入ってくる。

 心に触れる。

 そして、

「違うから!」

 思わず反論していた。言ってから、初対面の人に対する言葉づかいじゃなかったな、と思った。でも、お互い様だ。初対面の相手に「就職浪人」なんて声をかける人、聞いたことがない。

 どんどんと湧き上がってくる悪口雑言を飲み込みように、手元のコーヒーを啜った。

 ――トン。

 彼が、手に持ったコーヒーカップを机に下ろした。

 中身は、ブラック。なんだか格の違いの違いを見せ付けられているようで、腹がたった。どうせ、舌がお子様レベルですよ。

「何の用?」 

「……就職したいか?」

 彼が、ボソリと言った言葉の意味を理解するのに、しばらく時間がかかった。そして理解すると、今度は疑念が生じた。

 この人……なに? 

 なにかコネを持っているの?

「そ、そりゃあしたいけど……したいだけで就職できたら苦労も何もないわよ」 

 とりあえずは、そういう風に答える。

 彼は、それに対してはなにも言わずに、ずっと私の目を見つめていた。真っ黒な瞳。吸い込まれそうというよりは、沈み込んでしまいそうな、そんな感じの色合いだ。

 彼は、なにも言わない。何も言わずに、やはり私を見つめ続けている。

 自分から来ておいて、話を振っておいて、なにも喋らないなんてどういう非常識なヤツだろう。イライラしてその目を睨み返すと、不意に瞳が揺らいだ。

「……就職したいか?」

 彼は、同じ言葉を繰り返した。

 途端、彼の言いたいことが分かった。

「別に――したくない」

 口が自然とそう動いていた。

 それからは湧き上がるように、言葉が続いた。止める気すら起きなかった。

「私、まだ働きたくない。働かないといけないことは分かってる。親にこれ以上迷惑かけてもいけないし、こんな歳にもなって自立してないのは駄目だって……でも、就職しなきゃいけない時期だからって、無理やり就職するのは嫌なのよ! 私、周りの人が何でそんな事を自然と受け入れられるのか分からない。こんな惨めなことをしてまで、自分の未来を縛るのかが分からない。だって、まだまだ可能性があるはずじゃない」

 ぽとり、と雨漏れのような音がして、それがテーブルに落ちた自分の涙が立てた音だと気付いた。何で泣いているんだろう、私。

 言葉はとめどなく続く。

「でも分かってる。うちは、私を短大に入れるのが精一杯で、これ以上私が何もせずにふらふらしていたら迷惑がかかるって。それに、就職しなかったからといって、私はほかにやりたいことがあるわけじゃないから……、だからそんなわがままを言ってられないんだって。でも――でも、嫌なのよ! なんだか知らないけど、嫌!」

 言い切って、荒く息をついた。

 すぐに気付いて、

「あ、……ごめん」

 そう彼を改めてみると、何も変わらない状態で、話を聞いていた。

 コーヒーカップの中身は、減ってすらいない。

「別に、いい」

 彼がボソリと呟いて、めんどくさそうに私の前のコーヒーカップを指差した。

 これを飲んで落ち着けと言うことなのだろうか。

 荒い息とともに、香ばしい、少し冷め気味のミルクコーヒーを胃の中に流し込んだ。それを見て、彼も一気に自分のコーヒーを飲みほす。コーヒーの生暖かい温度とともに、心の中に熱い何かが広がっていった。それが、新たに目から溢れ出す。テーブルにいくつもの水滴が弾ける。

 心のなかにあった、もやもやが、少し晴れたような気がした。

 そうか、私は聞いてほしかったんだ。

 この想いを。

『――トン』

 コーヒーカップを置いたのは、同じタイミングだった。重なって予想以上に軽快になった音を聞いて、私は自分が泣いているのも忘れて、笑ってしまった。

 空になったカップとカップ。中はほんのり茶色と黒。

 向かい合う私たちの間には、不思議な空気が漂っていた。なんだか優しいような、険しいような――どこか、安心できるような。

 これだけは、言わなければいけない。

「ありがとう――、これからもめげずに頑張る。聞いてくれて、ありがと」

 ちゃんと伝えられているか不安だったから、二回言った。

 ありがとう、と。

 彼は、おそらくこのカフェの常連だったのだろう。そして、私がよく不採用通知を破り捨てているのをみて、ちょっと慰めに訪れたのだ。外見は大学生のようでも、それ以上に歳を取っていることは十分にありえる。

 ――と、その時。

 ドン、とテーブルの上に置かれた物があった。大量の紙束を、彼がどこからか取り出したのだ。

「働かなくてはいけない。それでも、ただ働くことに意義を見出せない。なら、色々と働いてみればいい。そして並行していろんな事をやってみればいい」

 彼が初めて長く喋って、一枚を紙束の中から取り出した。

『アルバイト大募集』そう書かれていた。

「アルバイト……?」

「もし、働いてみて、その仕事が好きになったら。死に物狂いで働いてみれば、もしかしたらそのまま採用されるかもしれない」

 よく見ると、アルバイト大募集の下に『社員登用あり』そう書かれている。

「これは、貸すから」

 彼は、紙束を指さしながらそう言った。

 そして、がたりとそのまま立ち上がり、背を向ける。

「――あ、まっ……」

 引き止めようとして声をかけたのに、なぜかきちんとした言葉が出なかった。のどの奥でつっかえたように出てこなかったのだ。

 彼はそのまま素早く支払いを済ませ、雨の降る中へと傘も差さずに歩き出してゆく。その背中をただ私は見つめていた。

 目の前の紙束を、手にとって見る。アルバイトや研修、そんなもののチラシばっかりだ。これだけ集めるのに、どれくらいの苦労があったのか、想像もつかない。

 彼と話しているうちに心の中に生まれた熱いものは、まだしっかりとそこに居座っていた。

 やりたいことは、まだない。

 けれどただの就職もしたくない。

 なら――やりたいことを探す。アルバイトをしながらでも、アルバイトの中からでも探してやる。

「よし! 徹底的に探してやる」 

 そう呟いて、こぶしを握る。

 ふと、彼が『貸す』と言っていたことを思い出した。聞き流していたけれど、思い返せば確かにそう言った。なら――

「また、会えるんだよね……」

 声に出して呟いてみると、意外に恥ずかしかった。

 そういえば、名前も聞いていない。

 なぜ私に、こんな事をしてくれたのかも聞いていない。

 けれど、彼はお人よしに違いない。

 そう思った。




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