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序章

 星の綺麗な真冬の夜。そこに一つの命が産み落とされた。


「――――」


 意識はあるが、何もわからない。ただ温かくて安心できる存在がいつも近くにあった。

 朝も夜も寝て過ごし、目が覚めると温かいモノを吸って空腹が満たされるとまた眠る。

 それが十日ほど経ったころ、何も無かった世界に光が広がった。

 真っ黒でフサフサの手足。同じ色の尻尾。この時にようやく自分の姿を知った。

「あなたはネコ。この世界は私達には意地悪だけど、産まれなければ良かったなんて思わないでね」

 ザラザラの舌で体を舐めてくれた母親はその数日後に動かなくなった。

 自分よりも大きな体は、それよりもっと大きなナニカが通り過ぎた後に真っ赤になって潰れていた。それがどういうことなのかわかる前に母親はヒトに片付けられてしまった。

 ――ヒト。ニンゲンとも言うらしい。

この世界が優しいのはヒトにだけ。むしろ、ヒトが世界をそういうふうにしてしまったのだ、と母親は教えてくれた。

なんということか。

それはあんまりにも卑怯――理不尽ではないか。

生まれた時から勝ち負けが決まっているなんて。

産まれるなら、ヒトでなければ幸せになんてなれなかったのだ。

ならばこのネコである自分に何が出来る。それも、まだ成熟してもいない幼い体で。生きることすらままならないのに。

路地裏というヒトの世界の隙間。異臭のするゴミに鼻を突っ込み、それにありつこうとするネズミを追いかけ、時には泥を喰らうことも試した。ここでなんとか生きようと奮闘してみたが、どうやら何が出来るのかわかる前に命が終わってしまうらしい。

一人きり、一匹だけで眺める何度目かの夕日が沈む。

空腹と寒さで衰弱した子猫は静かに体を横たえた。遠くに見える小さな光の一つ一つがヒトの物。あのどれか一つのある場所に生まれていれば、幸せになれたのだろうか。

そんな景色にゆっくりと幕が下りてゆく。もう二度と開くことはない命の暗幕。そう思ってみても名残惜しくもないほどにつまらない世界だった。

「…………」

瞼の向こうには何も見えない。こうしていればそのうちきっと、母親が迎えに来てくれるような気がする。それだけをただ、待つことにした。生きる素晴らしさを知らないせいか、尽きることに恐怖は感じなかった。



どれだけ時間が経ったのか。夜はまだ明けていない。なのに、この明るさはなんだろうか。もうほとんど眠りに落ちていたのに。目が覚めてしまった。

 眩しいモノが目の前にある。

 子猫はそっと目を開いてみた。

「…………」

 そこにいたのは、自分と同じ姿をしたネコだった。ただ、どういうわけか光っているのだから子猫にとっては不思議なことである。

 体が光っているのか、その周りが明るいだけなのか。よくわからないながらも、自分とは姿が似ているだけで違う存在なのだと悟った。

 体を横たえたまま、子猫は問うてみる。

「あなたは何?」

 すると光る猫は首を傾げてからこう答えた。

『私の名前はわかりません。なので、神様の使い――とでも答えておきましょう』

 不思議な声。聞こえていないのに、綺麗な音が頭の中に響く。

「カミサマって?」

 初めて聞いた言葉に子猫は聞き返す。それに対して光る猫は言葉を選んでいるように間を開けて返事をした。

『神様は、すべての世界の最も深層におられる存在です。最初はだれもが神様を知っていました。ですが時の流れに命はそれらを忘れ、神様がいることを信じなくなってしまいました』

「……よくわからない」

『構いません。存在だけを忘れず、心に留めてさえいれば神様は満足なのです。私の役目はそれを手伝うこと。ゆえに、神様の存在をもう一度広めるために私は存在しているのです』

「なんだかすごいんだね。……ボク、もう眠いよ……」

 掠れそうな声で子猫は言い、また視界に瞼の闇が垂れてくる。

 と、初めて光る猫が鋭い口調になって告げた。

『お待ちなさい』

「…………?」

『まだ眠ってはいけません。私はあなたに機会を与えに来たのですから。再びやり直せるチャンスを授けるために』

 光る猫が子猫の小さな額に口づけをした。すると、どういうわけか子猫に活力が漲ってきた。止まりかけていた思考がまた巡り回り出し、弱気になっていたことを恥じてもう少し頑張ってみようという気持ちになる。

『さあ、あなたの望みを叶えてあげましょう。言わなくてもわかりますが……自分で宣言することに意味があるのです』

「…………? 望みを叶えてくれるって、なんでもいいの?」

『ええ。私に不可能なことはあなたには思いつけないでしょう』

「うん……? じゃあ、……幸せになりたい」

『幸せに、ですか。それだけでは漠然とし過ぎている。では、どうすればあなたは幸せになれると思いますか?』

「どうすれば…………じゃあ、ヒトになれたらきっとボクは幸せになれる」

『――人になりたい。それがあなたの望みなのですね?』

「うん。そんなことができるの?」

『それはあなた次第です。私は実現に繋がる力を与えるだけ。心配はありませんよ、意思があれば簡単なことです』

 光る猫と子猫との間に眩い光が生まれ、その中から奇妙な物体が姿を現した。

「なあに、これ」

 子猫は臭いを嗅いでみるが、どうやら見えるだけで触れないようだ。

『天秤という道具を知っていますか? 神様の持ち物なので貸与、つまり使い終われば返してもらいますが』

「これでボクは人間になれるの?」

『使い方を誤ると取り返しがつかなくなるのでよく覚えてくださいね。――これは、〝禍福の天秤〟という神具です』

「かふく……?」

『はい。幸運と不運は(あざな)える縄のように絡み合い、表裏一体であると言葉があります。これはそれを司る力を持つのです。二つ、左右に皿があるでしょう。今は何も乗っていない状態で、左右で釣り合いが取れています。片方があなたの、もう片方は別の誰かに決めて使います。この皿にあなたは重りを載せることができ、それがつまり幸運を表します。重りを乗せられて沈んだ皿の持ち主には幸運が訪れ、反対に皿が浮いたほうには同じ絶対値の不運が掛かる。これの幸運を貯めれば、猫に産まれたあなたが人間になることも可能だということです』

 長い説明を子猫は一生懸命に頭を働かせて理解した。

「えっと…… ボクが幸せになったら誰かが不幸になって……それをいっぱいやると、ニンゲンになれるってことだね」

『ええ。ですが、猫から人間になるにはたくさんの幸せが必要です。おそらく……この天秤の皿が地面に着くだけの幸せ、三回分。断っておきますが、皿が地面に着くということはその相手は――』

「んん……ごめん。それ以上はわからなくなっちゃうから、また使いながら覚えるよ」

『…………。わかりました。その先のことはあなたが決めなさい。では、その天秤を貸し与える分、こちらも対価を頂きます』

「対価? でもボク、何も持ってないよ?」

『大丈夫ですよ。私が貰うのはその優れた耳を片方だけ。手ぶらで帰るとややこしいので、担保を貰う決まりなのですよ』

 耳を貰う、と聞いて子猫は不安を抱いたが、拒む暇はなく一瞬の出来事だった。

『天秤を返してもらう時に、ちゃんと戻してあげますから』

 光るネコが子ネコの左耳をぱくっと咥え、感触だけがそのまま消えた。痛みは無い。

『あなたの願いが叶った時にまた私は現れます。頑張って下さい』

 光る猫がそう言った瞬間、子猫の意識がふっと遠のく。

 目が覚めた時には朝だった。体が妙に軽く、生まれ変わったような気分である。

――夢じゃない。

 自分の中に確かにあの天秤の存在を感じる。そしてあるべき場所に左耳が無かった。

「…………」

 この力を使えば自分は人間になることができるとあの不思議なネコは言っていた。

 まるで嘘みたいな話だ。

 だが、それを信じる以外に自分には目的も生きがいも何も無い。

「うん、……頑張ろう」

 子猫は歩き出す。小さな足の歩幅はとても頼りなく、不安になるほどに軽かった。

 その先に見据えた人の世界に子ネコの体から溢れんばかりの夢を抱き、たった今、彼女の冒険が幕を開けた。


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