吉野ヶ里
ここからが第二部になります。泰凛と楓杏が弥生時代の日本にタイムスリップしての話です。
第二部 対馬海峡
第一章 吉野ヶ里
第一節
泰凛と楓杏は、青銅器の塊から出る緑の煙を吸って、意識を失っていたが、誰かの大声で気がついた。
「ひろりん、だいじょうぶ」
「プー子も」
「あれ、ずいぶん景色が違うけれど ここどこなの」
「それより、青銅器の塊は」
「この穴のところにあるわ」
泰凛は、穴から青銅器の塊を取り出して立ち上がった。その時、目の前に大柄の厳つい男が仁王立ちしていた。
「あなた達、こんなところで気を失って寝ているので、大声を掛けたのさ」
「ここはどこなのですか」
「どこと言われても、答えられないけれど、このそばに私らの集落があるのさ ちょうど野ウサギを追いかけていて、あなた達が転がっているのに気がついた」
「あなたが右手に持っているのは、モリですか」
「槍だよ あなた達、海から来たのかね」
「ポンライで生まれて、魚獲りをしていたので、モリかと思った」
「ポンライ あぁ、蓬莱のことか」
「わしのおじいさんも、蓬莱から渡ってきたのさ」
中国に徐福伝説があって、紀元前200年頃に秦の始皇帝が不老不死の妙薬を欲しがり、徐福がその妙薬が東方の三神山にあると断言した。この三神山の一つが蓬莱です。実際は、そのような妙薬があるわけではなく、莫大な報酬をもらった徐福は、台湾や日本に逃げたと言う話が中国にある。そのような伝説が日本にも伝わって、日本各地に徐福伝説が存在しているのは事実です。徐福自身は、日本には渡ってこなかったとは思うが、その当時蓬莱にいた人達が日本に渡ってきたかも知れない。
「お前さんの名前は、何というのだ わしはとうけいと言うものだ」
「とうけいさん、ひろりんと言います」
「お嬢さんは」
「ふうこです」
「ちょっと気になっていたのだけれど、ひろりんさんが持っている塊は」
「これですか 青銅器の塊です」
「青銅器 その塊、どこで手に入れた」
「シーナンで」
「シーナンって、どこだ ここは扶桑の国だよ 大陸からか」
「あの海は、ポーハイ(渤海)じゃぁないの」
「あの海は、有明海だよ 大陸から舟でやってきたのか」
「それが、舟ではない」
「まぁ、いいや 取りあえず、その塊を持って、わしの集落に来い」
「はい、ついて行きます」
泰凛と楓杏は、蓬莱から見える海のさらに、東方の国に来たようです。中国の伝説では、東方の果てに扶桑という巨木が生えた国があると信じられていた。太陽が朝早くから昇り、元気な巨木が育つ国として、日本のことを『扶桑国』と言っていた。
第二節
泰凛と楓杏は唐兄に連れられて、海辺から少し山手に入ったところ、現在の佐賀県神埼郡吉野ヶ里町の吉野ヶ里遺跡辺りに唐兄の集落があった。周りには稲穂が頭を下げ、収穫期を迎えていた。
「あんた、どこに行っていたの この忙しい頃に」
「小ウサギを追いかけていたら、この連中に会ったのだ 今日は家に泊めてあげるから」
その時、楓杏が袖を上げて、田んぼに入っていった。
「手伝いましょうか 私も稲の収穫はなれていますから」
「お嬢さん どこの生まれかのう」
「ライチョウです」
「聞いたことないところだね まぁ、いいわ なんか気が合いそうだね 私、まろこみというの」
「ふうこと言います」
「あんた、収穫した稲、家まで運んで そこの兄ちゃんも」
唐兄と満呂小美は、この集落でも初老の方で、子供達も独立して、この集落で生活していた。この当時の有明海は、新石器時代の最終氷期が終わり、温暖化に。そして、今までの氷河が溶けて、海面が上昇した。これを縄文海進と言っている。泰凛と楓杏がこの有明海に現れた頃、弥生時代中期で、有明海は城原川や田手川から流れてくる土砂で、干潟となっていた。そんな干拓地に水田を設置し、田手川の中流に住居を置いて、集落を形成していった。唐兄の祖先もそうだが、この地方には紀元前3世紀ころから中国の江蘇省や浙江省や山東省の人達が渡来して住み着いていたようです。この佐賀県神埼郡吉野ヶ里町より西側に金立町がある。ここに、東名遺跡があり、縄文時代早期から前期にかけての集落跡や貝塚があり、この頃の人達は、中国から渡ってきた人ではなく、縄文人だったと思う。泰凛と楓杏が生き返った場所は、徐福が霊薬を求めて出港地として中国の『淮南衡山列伝』に記載されている河北省秦皇島市や浙江省寧波市慈渓市のようなところから、黒潮に乗って丸木舟でたどり着いた人ばかりの集落でした。そして、一挙に中国から渡ってきたのではなく、タイムラグがあったようで、最初は少数の集落であったが、次第に膨れ上がって大集落になった。唐兄の集落もその形体だった。
唐兄は稲刈りを終えた集落の人達を集めた。
「今日から、新しい仲間になった ひろりんさんとふうこさんだ みんな仲良くしてくれな」
「よろしくお願いします」
この集落にも嘉羅登という長老がいて、泰凛に声を掛けた。
「ひろりんさん、何処から来たのかな」
「からとさん、蓬莱からです」
「わしも、蓬莱から ここの集落の連中はほとんどが蓬莱からでのう」
この弥生時代中期、唐兄達が住まいしている土地には小さな集落が点々とあったが、弥生時代後期には、同じ中国から渡ってきた人達の個々の集落が結集して、大集落になり、小国家と変貌していく。泰凛が生き返った所は、現在、吉野ヶ里遺跡と言われているところでした。
第三節
泰凛と楓杏は、紀元前2000年頃に渤海が見える山東半島で生まれたけれど、紀元前200年頃の有明海で生活することになった。この地には、同じ故郷を持つ人達がいて、人柄も良くお付き合いできそうになった。でも、泰凛が育った生活環境よりも食べ物も豊富で、農耕具や釣り道具も良くなり、稲のたくさん収穫することができた。そして、収穫した米の貯蔵庫として、堀立柱建物もあった。さらに、集落の真ん中には広場があり、祭事を行うだろうと思われる場所に環状列石があった。
「ひろりん、あそこに」
「あれって、祭事場じゃないか プー子のお母さんがあそこで祈祷していた場所と一緒だね」
「とうけいさん、あそこまでプー子を連れて行っていい」
「あそこは、集落のみんなが集まって、収穫祝いやお日様に祈りを捧げる場所だよ」
楓杏は、唐兄がその場所を説明しているよりも早く、祭事場に小走りで。
「おぉい、プー子」
楓杏は、環状列石の真ん中に座り、母から習った祈祷を始めた。
「ふうこさんは、巫女なの」
楓杏は、立ち上がり袖をふりながら、呪文を唱え始めた。泰凛と唐兄は楓杏の祈りを直立不動で見ていた。楓杏の祈りが終わるまで。
「プー子、なにを神様にお祈りしていたの」
「お日様に、稲の収穫を報告していたの」
そろそろ、夕陽が金立山に沈もうとしていたとき、稲の収穫を終えた集落の人達が帰ってきた。
「ひろりんさんたち、わしの家に入りな」
「とうけいさん、はい」
「ひろりんさん、だいじに持っている青銅器の塊を見せてみぃ」
唐兄は、青銅器の塊を触り出した。
「この塊、わしに預からせてくれないか」
「どうされるのですか」
「隣の集落に青銅器に詳しい方がおられるので」
「実は、その青銅器の塊で鏡を作りたいのです そして、プー子が巫女をしているので、できた鏡を神様にお供えして、呪文を唱えて、神のお告げを聞こうと思っています」
「これで、鏡を作るのか それだったら、私が隣の集落のいちさろ様に」
「私も連れて行ってください」
伊知須侶は、その頃まだ普及していなかった製鉄の炉を持っていた。古代の炉は、昔よく使った魚を焼くのに使用した七輪を大きくした感じで、薪を入れるのに穴を掘り、地面に七輪よりも長細い煙突のような土器を据えて、下から加熱させる。青銅器の場合、土器に銅とスズと鉛をいれて、その筒状の上から入れて、蓋をする。後は、薪を下から入れて火を付け、よく燃えるように、炉の下から風を送る。炉の中が高温になり、土器の銅などが溶け出す。青銅器の鏡を作る場合、石に裏の模様を彫り、もう一つの石に表の型を彫って鋳型を作っておき、銅たちが溶けて段階で、鏡の鋳型に流し込む
第四節
「ひろりんさん、おはよう」
唐兄は、朝早くから泰凛を起こしに来た。泰凛は目を擦りながら起き上がり、枕元に置いていた青銅器の塊を持った。
「おはようございます いちすろさんのところに、連れて行ってくれるのですか」
伊知須侶の集落は、古くから信仰されている霊山で、佐賀県と福岡県の県境にある脊振山の麓にあった。
「いちすろの集落は、この川に沿って上流にある さぁ行こう」
唐兄と泰凛は、田手川の中流から枝分かれしている川沿いに歩き、古墳時代中期に築造された船塚古墳(佐賀市大和町大字久留間字東)付近に伊知須侶の集落があった。唐兄は、この辺りから山に入り、獲物を探して、狩猟にきていた。
「いちすろ、おはよう 今日は珍客を連れてきた」
「ひろりんです」
「それで、わしに何かようかね」
「ひろりんさんが持っている青銅器の塊を鏡にしたいらしい」
「わしは、青銅で剣や鍬を作っているが、鏡は作ったことがない 最初から鋳型を作らなければならない」
鋳型石材で適しているのは、彫りやすい柔らかめの粉末状の岩石が最適で、水酸化マグネシウムとケイ酸塩からなる鉱物、滑石が適している。その滑石は伊知須侶が住んでいる地域では、産出されなかった。その代わりに石英斑岩が使われていた。
「鏡の鋳型を作るには、柔らかい目の岩石が必要 わしのところにはそんな岩石がない」
「では、鏡は作れないのですか」
「そうだね 鋳型があれば作れるけれど」
泰凛は、伊知須侶の話を聞いて、愕然として体の力が抜けた。その時、唐兄が。
「ひろりん、力をおとすな ここから遠いが三郡山に行ってみるか」
「三郡山 そこには何があるのですか」
「わし、狩りをしているだろ かなり前だけど、獲物を追って、三郡山まで行ったことがある その山でわりと柔らかい岩石を見つけた」
「ここからどのぐらいで行きますか」
「2日ほどかかるかなぁ」
「行きます」
「わしの猟仲間で、みふかねがいているので、そいつに連れて行ってもらうかね」
「いちすろさん、三郡山に行って、鋳型になる岩石を取ってきます そうしたら、鏡を作ってくれますか」
「いいよ そうすると鏡の形を考えないと 丸型で、表は平らで、裏は鏡を持てるようにつまみを付けて」
「ひろりん、さぁ一度、わしの集落に帰ろう」
第五節
泰凛は箕賦珂根に連れられて、三郡山に向かった。脊振山の麓を東に進み、三郡山が見えてきたところで、三郡山系の麓を進むと菅原道真が九州に流罪された太宰府がある。そこから三郡山連峰の宝満山に向かう。
「ひろりんさん、この辺りで柔らかい目の岩石があると思う 探してみたら」
「みふかねさん、ありました」
泰凛は、宝満山の頂上付近で石英斑岩を見つけた。そして、宝満山の頂上に立ったとき、福岡平野と博多湾が見えた。福岡平野では、紀元前200年頃には、農耕民による集落が多く存在していたが、まだ国らしい様相ではなかった。
「みふかねさん、向こうに見える海」
「わしは、あの海の向こうから来たのだ」
「とうけいさんの爺さんは、ポンライから来たと言っていました」
「わしの爺さんは、燕国のシンラーから韓の国に入り、父は南下して弁韓で生活していたのだが、わしは海を渡って、那珂に着いた」
「ひろりんさんは、ポンライからだろう」
「昔、ポンライは斉国だった わしの先祖も元々は斉国にいたのだ」
「そんな国あったのか」
「ひろりんさんも、ポンライから来たのならそのぐらいは知っているはずだよ それが、秦国が斉国や燕国を制服してね」
「そんなこと、全く知らないのです なぜ、この地に来たことも ここはどこですか」
「倭国だよ」
「それは、最初に日が昇る東の国ですか」
「そうさ、秦の国よりもよほどいい国だよ」
泰凛は、改めて今の境遇が育った時代よりもかけ離れ、異国にいることに気がついた。それでも、現実として青銅器の塊を鏡に変えることの方が大事であった。
「この岩石をいちすろさんところに持って行かなければ」
泰凛は、楓杏が鏡の前にして祈祷する姿を早く見たかった。
「ふみかねさん、ありがとう ここから一人でいちすろさんとこまで戻ります」
泰凛は、自分が置かれている境遇に疑問を持ちながらも、現在置かれている境遇を理解しようとしていた。
「ひろりん、おかえり 柔らかい目の岩石がそれなの」
「この岩石を、いちひろさんところに持っていくんだ」
「ひろりん、なんか元気ないね」
「なんでもないのだ また、プー子にも話するよ」
泰凛は、青銅器の塊と柔らかい目の岩石を伊知須侶の所に持っていった。
「ひろりんさん、持って来たね それでは、鏡を作ろうとするか 少し時間がかかるので、待っていなさい」
泰凛とプー子は、山の麓に木陰があったので、そこで座って待っていた。
「ひろりん、また話そうというのは」
「岩石を取りに行った山の頂上に登ったとき、海が見えた その海の向こうには、弁韓というところがあって」
「ポンライではないの」
「いや、その弁韓からずっと先に」
「ポンライに帰りたい」
「それが無理なのだ 帰っても今までの生活に戻れない」
「それはどう言うこと」
「全然知らない世界に来たみたいなのだ」
「私には、全く理解出来ない」
「周りを見ても、目新しいものばかりだろ ここで生きていくしか」
泰凛は、今置かれている環境が何となく分かってきたようでした。
「ひろりんさん、できたよ」
伊知須侶が、鏡を持ってきた。
「いちすろさん、ありがとうございます」
「わぁ、素敵な鏡」
第六節
泰凛と楓杏は、伊知須侶が作ってくれた鏡を大事そうに持って、唐兄の集落に向かった。
「ひろりん、これからどうする」
「山の頂上に登ったときに、海が見えたと話しただろう あの海の向こうに行ってみたい」
泰凛が玄界灘を見渡して、祖国の大陸に思いを募らせたのも分からないでもありません。反対に、朝鮮半島南部にまで追い詰められた人達、中国の人もいたでしょう。または、朝鮮半島で生活していた人もいたと思います。吉野ヶ里遺跡では、朝鮮半島の遺跡から発掘された無文土器が出土している。それと、青銅器も。この青銅器も朝鮮半島から渡って来たと考えられる。元々吉野ヶ里は、縄文時代には有明海の沿岸に位地し、縄文時代早期から縄文人が生活していた東名遺跡(佐賀市金立町千布)の近くに位地し、縄文人も生活していた。縄文時代晩期になると、佐賀県唐津市の菜畑遺跡から水田跡が発見されたように、早くから稲作が行われた土地でもあります。そんな吉野ヶ里に紀元前3世紀頃から対馬海峡を渡って、朝鮮半島から渡ってきた人達がいました。その人達と従来の縄文人の末裔達が共同生活を始める。そこには、長く続いた縄文文化と大陸か落ち込まれた文化の結合。青銅器の導入もそうでしょう。大規模な環濠集落もそうだったと思います。そして、ムラから小国家へと。一方で、縄文人と日本に渡来した人との混血も生まれました。その人達が吉野ヶ里だけでなく、福岡平野に広がり、中には朝鮮半島南部に移住する人達も出てきました。
唐兄の集落に戻ってきたとき、三郡山系の宝満山まで連れて行ってくれた箕賦珂根も狩猟から帰ってきた。
「ひろりんさん、鏡ができたのかね」
「このとおりです」
「おぉ、立派な鏡じゃぁ ヌクト(大韓民国慶尚南道泗川市勒島)で見た鏡よりいいぞ」
「ヌクトとは、どこですか」
「山の頂上に登ったときに、海が見えただろう あの海の向こうだよ」
ヌクトは、大韓民国慶尚南道泗川市に三千浦港があって、その港からモゲ島・草養島・八ッ島とあって、その次が勒島。その島に勒島遺跡があり、その遺跡から日本の弥生土器が発掘されたそうです。そして、勒島式土器が長崎県壱岐市芦辺町・石田町の原の辻遺跡から発見されています。このことは、弥生時代前期から勒島と壱岐島で交流があったことを示していて、壱岐島から佐賀県唐津市の松浦海岸から吉野ヶ里に人々が交互に移動していたことがわかります。
「みふかねさん、私、そのヌクトに行ってみたいです」
「海を渡ってみるか このムラには、ヌクトから来る人がいて、青銅器の塊を持ってくる その塊をいちすろさんのところに持っていって、青銅器を作るのだ」
「その人に会うことができますか」
「それよりも 壱岐島の原の辻の里へ行ってみるかね」
その時、唐兄が住居から出て来た。
「ひろりんさん、鏡を見せてください おぉ、赤い金色だ」
青銅器が遺跡から出土されると、青い濁った色で出て来ますが、それは銅自体が錆びているからで、新しい10円硬貨では、赤みが掛かっていて光り輝いています。青銅器も新しい時は、レッドゴールドだった。
「これから、どうしますか」
「海を渡って、ヌクトまで行こうと思います みふかねさんは、先ずは壱岐の島に渡ってはと言ってくれました」
「そうであれば、那珂の里に海の民で阿那がいるので訪ねていくかい」
「そうします いろいろとありがとうございました」
対馬海峡を舞台に、朝鮮半島と北部九州を描きます。