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宝物

第一部 渤海

第五章 宝物

第一節

 泰凜はジーナンを出発する前、ある女性に出合った。ちょうど、良高が泰凜の塩を生活用品に交換して歩いていたころです。泰凜もりょうこうの後についていた時、奇麗な刺繍を施した衣服をまとい、首には、今まで見たことのない宝石をぶら下げ、腕輪もしていた。その女性が牛を連れ、塩を積んでいる泰凜に近づいてきた。

 「お兄さん、その牛に積んでいるのは塩ですか その塩、少し私に分けてくださらないでしょうか」

 「いいですよ その代わり、この塩と何か交換してもらえる物がありますか」

 彼女は、手を首飾りがしてある首の辺りに持って来た。

 「この首飾りの宝石のひとつをはずして、あなたに与えましょう」

 泰凜は、この女性を見つけたときから、その宝石には気になっていた。そして、楓杏の姿が目に浮かんだ。

 「その宝石ですか では、塩をこの器いっぱいにしてお渡しします」

 泰凜は、その宝石を手にした。そして、楓杏の土産として、懐に直し込んだ。

 泰凜は、良高達とウェイファンに帰る途中、ふと懐に仕舞い込んだ宝石が気になった。そして、懐から取り出し眺めていた。

 「ひろりんさん、その宝石、どうされたのですか」

 「りょうこうさんが、ジーナンで私の塩を生活用品に変えておられるとき、ある女性が現れて、塩とこの宝石を交換したのです」

 「その宝石、琥珀ではないのですか」

 「琥珀というのですか」

 「高価な品物ですよ。大切にしなさい」

 「プー子の土産にと思って、塩と交換しました」

 琥珀は、翡翠のように石ではなく、木の樹脂ヤニが長い歳月、地中に埋もれているうちに固形化した化石です。世界で琥珀の産出国の八十パーセントはポーランドのグダンスク市で占められています。中国では、雲南省、河南省、福建省、広西省、貴州省で取れ、日本では、岩手県久慈市、千葉県銚子市で産出されます。琥珀は、翡翠よりも古くから旧石器人によって、使用されていた宝飾品なのです。琥珀の化石で、アジア最古の遺跡は北海道の湯の里4遺跡と柏台1遺跡から琥珀の加工された化石が発見され、約2万年前とされています。

 泰凜は、この琥珀の宝石をまた懐に入れ、楓杏に見せたときの顔を浮かべながら、ウェイファンに足早に進めた。

第二節

 泰凜と良高達がウェイファンに着いた頃、太陽も西のジーナンの方に沈み、泰凜の心は、今までいたジーナンを偲ばせた。

 「りょうこうさん、私の牛が引っ張っている品物は何なのですか 生活用品だと聞きましたが」

 「ひろりんさんに伝えなかったが、ひろりんさんの塩と荷台を交換し、その残りは、ヂェンヂュウ(鄭州)辺りで取れた米だよ この辺りの米は良質なので この米を私に譲ってくれないか その代わりのひろりんさんが望んでいる物を私の倉庫から持っていけばよい それと、今度ウェイファンに来るときはこの荷台にたくさんの塩を積んできなさい」

 「では、私にも少し、この米を分けてください それと、りょうこうさんの倉庫から衣料品を頂戴いたします」

 「いいですよ」

 牛が引っ張っていた荷台は、両サイドに車輪が付いていた。この車輪の発明は、メソポタミア文明の基となったウバイド文化(紀元前5500年から紀元前4000年)を築いたウバイド人です。ウバイド人は、陶器を作るのにろくろを発明し、そのろくろの延長線上、紀元前4000年頃、農耕の灌漑を進めた以外に、銅の生産もはじめ、灌漑の土木を進める上で、土を運ぶために車輪を銅で作った。その後、メソポタミア文明は、北はカザフスタン、南はインドに波及していった。インドのインダス文明でも、紀元前3000年頃には車輪が使われていた。中国では、殷王朝が戦車を利用して、夏王朝を滅ぼしたのが、紀元前1600年頃だと伝わっているが、すでに、紀元前2000年頃には、ヒマラヤ山脈を越えたのか、中央アジアの西域から伝わったのかは分らないが車輪の付いた荷台が存在していたようです。

 「りょうこうさん、ジーナンで会った女性と交換した宝石、琥珀のことなのですが 高価な品物と言われていましたが」

 「ひろりんさんは、漆器を知っていますか」

 「黒光りをした器のことでしょ りょうこうさんの倉庫にありました」

 「漆器は、漆を塗って作られているのです」

 「琥珀と漆とどのような関係があるのですか」

 「琥珀も漆も天然樹脂からできているのですよ」

 「琥珀は、木の樹脂が地面に落ちて、長い歳月の間に固形になったものなのです」

 「分りました プー子に琥珀の宝物をあげようと思うのですが、説明できないとね」

 「琥珀がたくさん取れるヂェンヂュウに行きましょう ひろりんさんが作った塩をその荷台に載せていっぱい持ってきてください」

 泰凜は、早朝りょうこう達と別れをつげ、楓杏が待つライチュウに向かった。

第三節

 「ひろりん、お帰り」

 「プー子、いいもの見せようか」

 「何なの」

 「これ、琥珀というのだよ」

 「とても綺麗」

 「プー子の首飾りにと思って」

 「一生の宝物にするわ」

 泰凜は、楓杏にジーナンであったことを話した。そして、青銅器の話になった。

 「そうなの その青銅器を見てみたい」

 「この器は、土なんかで作られていないから壊れない」

 「そんなに硬いの」

 「そして、磨けば輝くので、自分の顔が映るぐらい」

 「私も青銅器を見てみたい」

 青銅器がメソポタミアのウバイド文化(紀元前5000年から紀元前3500年)で使われる以前は、石器を使用していたのではなく銅器だったのです。銅器が使われるようになったのは、中東で紀元前9000年とされ、イラク北部では銅製のペンダントが発見されている。先史時代の人がどのようにそのペンダントを製造したのだろうか。新石器時代の人が銅鉱石を見つけ、焼石にしてみた。するとその銅鉱石から変わった煙がでた。それを見たその人達は神様のお告げとでも思ったのでしょうか。それとも、不老不死を夢想したのでしょうか。このような偶然な出来事から銅の冶金術が発展していく。銅の冶金術の過程は、自然銅の冷間加工(350℃~500℃で加熱)、焼きなまし(展延性を向上させる熱処理)、製錬(鉱石を還元することによって金属を取り出す過程のこと)、インベストメント鋳造(高い温度で熱して液体にしたあと、型に流し込み、冷やして目的の形状に固める加工方法)であるが、東南アナトリアでは紀元前7500年には行われている。1991年にアルプスにあるイタリア・オーストリア国境のエッツ渓谷の氷河で見つかったアイスマンは、紀元前3300年のミイラだと言われ、そのアイスマンの側に純銅製の斧の頭が発見されていることから、その頃にはヨーロッパでも銅器が使われていたようです。

 銅の欠点は、鉄などに比べて軟らかいことですが、銅と錫を混ぜることによって、その欠点が解消されることが、青銅器の発展につながった。紀元前4000年頃、メソポタミアのウバイド人が偶々錫の混じた銅鉱石を冶金術で作ったところ、硬い銅器ができた。それが青銅器の始まりです。

 青銅器を作るには銅鉱石の他に錫が必要なので、中央アジアのアンドロノヴォ文化(紀元前2300年~紀元前800年)は銅鉱石と錫を求めて、カスピ海北部からシベリア南部まで広がり、古代ギリシャのミケーネ文化(紀元前1450年~紀元前1150年)では、植民地政策がとられ、穀物と錫の交易が盛んになった。

 銅の冶金術が紀元前7500年頃に東南アナトリアから発生し、青銅器が紀元前4000年頃、メソポタミアから、西は南ヨーロッパに、東はシベリア南部まで広がったのが、中国に青銅器と冶金術が伝わったのは、紀元前1600年頃の殷王朝からです。

 「プー子、この荷台に塩がいっぱい積める位できたら、一緒にジーナンからヂェンヂュウまで行こう」

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