火縄銃
鎌倉時代から戦国時代に、鉄砲伝来の話に便乗した。
第三部 瀬戸内海
第三章 火縄銃
第一節
泰凛と楓杏は、台風で玄界灘に出た途端に船が転覆して、気を失った。そして、倭寇の頭領、王直の船に乗せられ、二人が、気がついた時には瀬戸内海を航海していた。
王直は、安徽省の出身で若い時に塩商を行い、貿易商になった人物。元王朝から明王朝に変わった時に、日本の海賊、前期倭寇が1368年~1374年までに襲来して、地元の非農民が倭寇と手を組んで密貿易を始めた。そこで、明は1371年に海禁令を発動した。それから、この海禁政策はその都度に行われたが、1401年に当時の室町幕府と明で日明勘合貿易が成立し、正当な貿易が始まった。それでも、密貿易は若干少なくなったとは言続けられ、倭寇も存在していた。それが、1556年には明との公的な貿易が打ち切られてしまう。そのような時代に日本の豪商と手を結び、王直は平戸で倭寇の頭領になっていた。
1543年に種子島沖で明の船が漂流して、その船にポルトガルの商人が乗り込んでいて、火縄銃を所持していた。その船を救助したのが、種子島時尭で、種子島の赤尾木の港に導いた。船内にいたポルトガル人との通訳を担当したのが、五峯と言う明の人だったと言われています。その五峯が王直ではなかったか。そして、2挺の火縄銃を手に入れた。その火縄銃は、紀伊国那賀郡小倉庄(和歌山市吐前)の土豪、津田算長によって、紀州の根来(和歌山県岩出市根来)に持ち込まれ、日本製の火縄銃の生産が始まる。紀伊国那賀郡根来村の鍛冶師、芝辻清右衛門に日本製の火縄銃を作らせた。
芝辻清右衛門は火縄銃を完成したが、砲丸が火薬を使って、発射することが出来なかった。火器技術が必要で、火縄を点火させ、火薬が爆発する勢いで弾丸が飛び出す技術。その技術が、琉球王国に伝わっていた。
王直は、東南アジアから琉球王国に伝わった火噐技術者を船に乗せていた。そして、津田算長の依頼で、その火器技術者を連れて、紀州の根来まで行くため、平戸から関門海峡を通過して、瀬戸内海の小豆島に近づいていた。その時、泰凛と楓杏は目を覚ました。
「ひろりん、ここ、船の中だよね」
「あの島、小豆島だ この船どこに行くのだろう」
「おい、目を覚ましたか あなた達、平戸の海で浮いているのをこの船に その時は気を失っていたから」
「私達を助けて頂いたのですか ありがとうございます」
「名前はなんと言う」
「ひろりんとふうこと言います」
「名前からして、明の人間か」
「私は、ポンライで生まれました」
「渤海からどうやって、平戸にたどり着いたのか」
「私達も分かりません 最初は、青銅器の塊を燃やしていて、次に不老不死の霊薬を飲んで、そして、厳島神社に天叢雲剣を奉納して、蒙古軍が有明海に攻めて来て、その時に台風で、船から海に」
「何だと 今は元王朝が滅びて、明王朝の時代だぞ あなた達、いつの時代の人間だ」
「遠い昔みたいです」
「まぁ、いいや これから、紀州の紀の川流域の根来まで行くので、乗って行けばいい」
第二節
王直の船は、紀の川の河口から吐前の船着場に着いた。王直は、琉球王朝の火器技術者と泰凛と楓杏を降ろした。そして、小倉庄の津田算長の屋敷に。
「王直、種子島で別れてから、琉球王国まで火器技術者を探しに行ってくれて」
「はい、ここに連れてきました それで、火縄銃の2挺は」
「種子島から別れて、1挺は根来の芝辻清右衛門に預け、もう1挺は堺の商人、今井宗久に預けてある あれは室町殿(足利義輝)に献上するつもりだ」
今井宗久は、海辺から採れる海産物を保管する納屋(倉庫)を貸し付けて、利益を上げていた堺の商人。織田信長は、堺が商業都市に変貌しているのを見て、2万貫(矢銭:軍用金)を要求し、払わなければ、堺を焼き討ちにすると堺の商人におふれを出した。1568年に室町幕府の征夷大将軍、足利義輝が殺害され、織田信長が足利義昭を次期将軍に立て、上洛した年。その時、今井宗久は、織田信長に直接会って、2万貫を払うことを約束し、堺の豪商達を説得させた。その結果、織田信長の御用商人になる。織田信長は、武田軍との戦い、長篠の戦いで、火縄銃200挺を使って勝利した。その火縄銃は、御用商人であった今井宗久から調達したと思われる。
今井宗久は、大和国高市郡今井村(奈良県橿原市今井町)の出身で、元は近江源氏佐々木氏で武士の出。それが堺に出て、納屋宗次に身を寄せ、武具商・皮革商の武野紹鴎の娘婿になり、堺の豪商となっていく。また、武野紹鴎は、茶道にもたけていたので、今井宗久も茶道を習得し、戦国大名と茶道でも繋がりを持った。
津田算長は、楠木正成の末裔とされているが、河内国交野郡津田の城主、津田周防守正信の末裔です。この当時の津田算長は、小倉荘の領主でした。そして、室町幕府から瀬戸内海で人や物を運ぶ権利を与えられていた熊野水軍と手を組み、薩摩国まで行っていたと言われています。
「火器技術者を芝辻清右衛門に連れていくことにしよう 後ろの二人は」
「火器技術者の助手です」
王直は、泰凛と楓杏を火器技術者、范椋の助手と偽ってくれた。
「私、ひろりんと言います ここにいるのはプー子です」
「はんりょうです 君たちは王直さんの船で、話ているのをまた聞きしていたので、だいたいのことは理解しています 私も明国から琉球に渡って来たひとりです」
「火器って、どんな技術で、どんな仕事をするのですか」
「まずは、火薬を作る」
「火薬ですか」
当時の火薬は、黒色火薬と言われ、木炭と硫黄と硝石(硝酸ナトリウム)を混合して作られた火薬。その当時では、日本では森林国のため、木炭は容易に手に入り、硫黄も火山国のために手に入った。硝石は、南蛮貿易から手に入れるしかなかった。後に、富山県の五箇山で尿と草木を土と一緒にして、硝酸バクテリアを作る作業によって、硝酸ナトリウムを作り出した。これを塩硝または、煙硝とも言われた。これにより、織田信長軍は火縄銃を多用かして、天下統一を成し遂げた。
「今回は、火薬は持って来た 火縄銃に使う砲丸も」
「火縄銃に火薬と砲丸を詰め込むのですね」
「それで、火縄銃から出ている火縄に火をつけると、火薬まで火が行き、火薬が爆発する その威力で弾丸が飛び出す 火縄銃は、そのような仕組みになっている」
「早く、火縄銃を見たいです」
第三節
津田算長は、范椋と泰凛と楓杏を連れて、芝辻清右衛門の鍛冶作業所がある根来庄に案内した。
「よう、あなた達が来るのを、首を長くして待っていた 火縄銃も何挺か出来ています」
「出来上がった火縄銃を見せてくれないか」
「算長さんは、火縄銃の出来栄えを見たいのですね」
「持ってきます」
芝辻清右衛門は、算長から預かった火縄銃と模倣した火縄銃を持ってきた。
「ううん、よく出来ている 早速、范椋に渡して、試し打ちをしてみよう」
范椋は、芝辻清右衛門が作った火縄銃を手にした。そして、持参した火薬を長い棒で筒口(銃口)から押し込み、その後、弾丸を入れた。そうすると、芝辻清右衛門が用意した的に銃口を向けた。そして、火縄に火を付けた。火縄は、火縄銃の筒まで入った瞬間、爆音がして、弾丸が飛び出した。弾丸は的を通り抜けて、落下した。
「凄い」
津田算長が叫んだ瞬間、その場にいた人達は、拍手喝采。
「これは、使える すごい武器になる 清右衛門、よくやってくれた」
「でも、火薬が 范椋さん、火薬はどのように作ればいいですか」
「木炭と硫黄と硝石の混合です」
「木炭と硫黄は、何とか用意できるが、硝石は」
「硝石は、日本にないと思います」
その時、芝辻清右衛門が頭を抱えている時、津田算長は。
「硝石は、王直に頼もう あいつだと他国で探してくれる范椋、王直と一緒に行ってくれるかひろりんと言ったな あなた達は、ここにいなさい」
泰凛と楓杏は、芝辻清右衛門の手伝いをすることになった。
「清右衛門さん、わたしら、何をすればいいですか」
「そうだな、火縄を作ってもらおうか 山に行って、ヒノキの枝が欲しい そして、皮を剥いて、細長く糸のようになるように それと、太めの枝を切って、燃やし、木炭を作って欲しい」
「分かりました 硫黄はどうします」
「硫黄は、私と一緒に取りに行こう」
「硫黄はどの辺あるのですか」
「紀の川を下り、玉津島(和歌の浦)に温泉が湧いているところがある その温泉の源泉付近にある」
「温泉に入ることが出来るのですか」
楓杏はそれを聞いて、嬉しそうな顔をした。
和歌の浦は、平安時代に編集された『万葉集』で、山部赤人が「やすみしし わご大君の 常宮と 仕へ奉れる 雑賀野ゆ そがひに見ゆる 沖つ島 清き渚に 風吹けば 白波騒き 潮干れば 玉藻刈りつつ 神代よりしかぞ 貴き 玉津島山」と詠まれた。この大君とは、第45代聖武天皇のこと。そして、聖武天皇が23歳の時に和歌の浦に行幸し、その光景を宮中で山部赤人が詠んだ歌です。
第四節
泰凛と楓杏は山に行って、檜の枝を芝辻清右衛門の鍛治場にもっていき、火縄銃を作り、枝を燃やして灰に。芝辻清右衛門と和歌の浦に硫黄を取りに行った。芝辻清右衛門が作る火縄銃も20挺程出来上がった。
芝辻清右衛門が火縄銃を作っていると言う噂が広がり、根来寺の僧兵などが火縄銃見たさに芝辻清右衛門を訪ねて来る人が増えてきた。紀伊国海部郡雑賀庄(和歌山市内)からやって来て、何挺かの注文をする地侍も現れてきた。これが後の鉄砲隊で知られる雑賀衆です。
荒れた土地を開墾した時に、その領地を荘園として与える班田収授法が大化の改新以後に制定され、紀伊国でも、貴族達が開墾を初め、人が住まなくても初期の荘園が誕生している。その後、743年に墾田永年私財法が制定された頃から、紀伊国の寺社が荘園を管理するようになり、代表的なのは日前宮領と大伝法院(後の根来寺)領でした。鎌倉時代に入って、武家社会になり、これらの紀伊国の寺社領に人が住むようになり、そこに自衛権のため、各地から地侍も。その荘園には、幕府からの支配もなく、商業的にも自由な市が開かれるようになり、そのような環境の中で、地侍も勢力を伸ばした者もいました。戦国時代になって、各地で農民の一揆が発生しますが、紀伊国でも同様で、土地柄、宗教が絡んだ一向一揆、1577年に雑賀一揆が起り、雑賀庄の地侍が織田信長軍と戦った。その時、火縄銃を使ったのです。
そうこうしている間に、王直の船が紀の川の根来庄の船着場に戻ってきた。そして、范椋が硝石を持ち寄った。
「硝石を持ってきました 木炭と硫黄は用意出来ていますか」
泰凛は、袋に入れてあった木炭と土器に入った硫黄を范椋に見せた。
「では、火薬を作りましょうか」
范椋は、袋に入っている木炭を粉状にして、硫黄が入っている土器に入れた。范椋は、黒色火薬用の白い粉末にした硝石を入れた。そして、土器の中で拡散して、固めるためにニスを足した。
「これで丸めれば火薬の玉ができます」
范椋は、泰凛と楓杏に特別大きな火薬の玉を作って、頭に火縄を付けた。
「この玉を、ひろりんにあげよう」
「爆弾ですか」
「誰かに襲われた時に、この玉に火をつけ、相手に投げれば爆発します」
「そんな場面はないとおいますが、木を倒すことは出来ますか」
「木を倒してどうするのですか」
「丸木舟を作りたい そして、渤海に向けて、船出して蓬莱に帰りたい」
泰凛が、范椋に言った時、楓杏も。
「私も」
泰凛と楓杏は火薬玉を持って、芝辻清右衛門と范椋に別れを告げて、山の麓に来た。ここで、檜の枝を採取した場所です。
「この間来た時に、丸木舟になりそうな木を見つけていた」
「木を倒したら、丸木舟の大きさに切って、幹を削らないと」
「ちょっと、時間がかかりそうだ でも、丸木舟でもう帰りたい」
泰凛と楓杏は、日本でいろいろなことを体験したので、元の時代と場所に戻りたいと願った。
「プー子、この木だ ここに火薬玉を置いて」
泰凛は、火縄に火を付けた。すると、大きな爆発音がし、木は根っこから倒れてきた。
「プー子、危ない」
泰凛と楓杏は、その倒れてくる木に頭を打ち、気を失ってしまった。
紀州は、木材の土地でもある。木材を江戸に運んで豪商になった。つぎは、江戸時代です。