第七章 曹華伝三十一 別働隊
谷を抜ける別働隊の軍列は、しなやかに大地を進んでいた。
麗月将軍の旗の下に集う兵は、整然とした足並みを崩さず、まるで舞うように揃った隊列を維持している。
その歩調には焦りも乱れもない。彼らの指揮官が誰であるかを示すように、端正で、優雅で、そして冷徹だった。
だがその時――金城国の伏兵が、山の影から矢雨を放ち、谷道を塞ぐように雪崩れ込んだ。
突然の襲撃に、もし他の軍であれば混乱は免れなかっただろう。
だが麗月将軍は眉一つ動かさない。唇に微笑を浮かべ、扇を軽くひらめかせた。
「……来たか。舞台は整ったな。」
麗月の声に呼応するように、兵たちは乱れることなく陣形を転じた。
親衛隊長の碧蘭が前に出て、冷静な号令を飛ばす。
「左翼、盾を構えろ! 弓兵は二段構え、前列はひざをつけ!」
その声は矢雨の中でも澄んで響き、兵たちの動きは寸分の狂いもなく整えられた。
同時に、副隊長の白玲が馬を駆って麗月の近くに躍り出る。
長い白刃が煌めき、迫り来る敵兵の喉を正確に断ち切る。
一閃ごとに舞う血飛沫が、まるで紅の花弁のように散った。
白玲の戦いぶりは力任せではなく、研ぎ澄まされた美と速さで敵を薙ぎ倒すものだった。
彼女の背後には、麗月将軍の旗が翻る。守るべきは将の威光、崩してはならぬは軍の調和――白玲の刃はその象徴だった。
敵兵たちは最初こそ勢い込んで飛び込んできたが、麗月軍の統制に圧倒され、やがて足を止める。
麗月は扇で口元を覆い、囁くように命じた。
「恐怖を刻め。彼らに、美しい死を与えよ。」
碧蘭と白玲を中心に、親衛隊が刃を振るう。
無駄のない連携で敵兵を一人、また一人と斃していく。
谷道に響くのは断末魔と血の音だけだった。
---
戦のさなか、白玲はふと心をよぎる影に気づいた。
――曹華。
昨日、軍議の席で対面した、天鳳将軍の副官。
若さに似合わぬ毅然とした眼差しと、皇帝から直々に声を掛けられたという経歴。
初陣であるはずの娘が、あの場に立っていたことは、記憶に深く刻まれている。
「曹華……あなたは今、どのように戦っているのか。」
白玲は刃を振り払い、血を散らした。
その瞳には、一瞬の迷いも油断もない。だが心の奥で、戦場の別の場所にいる“あの女”を思い描いていた。
同じ副官として、同じ女武官として、互いに避けては通れぬ宿命を感じる。
敵兵の首を跳ね飛ばしながら、白玲は小さく呟いた。
「いずれ……必ず、知ることになる。」
麗月の笑みが背後から漂う。
別働隊は、その日のうちに谷を突破し、後背を突く布石を打った。
麗月は戦場を見渡し、扇を畳む。
「これでよい。さあ、明日は舞台の幕が上がる。」
血と鉄の匂いが谷を満たす中、白玲の胸に残ったのは、曹華という名の小さな棘だった。




