第二十三章拾陸 焰の外で、糸を引く
戦場を見渡せる高台は風が強かった。岩肌を撫でる乾いた風が低木の葉を鳴らす。その音は眼下で轟く衝撃や叫びとは明らかに異なり、まるでこの場所だけが戦の外に切り取られているかのようだった。
玄鉄はそこに立っていた。眼下では焔と紫が交錯している。
焔冥将・朱烈の焰。
そして、それに抗う紫電――曹華。
槍と槍、焔と意志がぶつかるたび、空気が歪み、衝撃が波のように戦場へ広がっていく。
「……曹華が、出てきたか」
低い呟きが、風に紛れて消えた。
想定の範囲だ。
朱烈があれほど派手に動けば、曹華が出てこないはずがない。あの女は逃げない。誰かが命を賭して前に立てば、必ずその背に並び立つ。
「……冥妃様の命は、曹華の確保」
玄鉄は淡々と胸中で反芻する。
殺すな。だが、壊れても構わない。戦場の中央に縫い止め、退路を断ち、選択肢を削り取れ。
朱烈は、その役に最適だった。
強く、派手で、戦を愉しむ。
曹華を“相手”として認め、真正面からぶつかる――その姿は、戦場の視線を否応なく集める。
「……闘いに夢中になりすぎるのが、朱烈の難点だがな…」
小さく息を吐く。
だが、それも織り込み済みだ。
朱烈が本気で愉しむほど、曹華は深く戦場に引きずり込まれる。
「……曹華との闘いを、心待ちにしていたのは事実だろう」
玄鉄はしばし黙し、焔と紫電が交差する様を見つめた。
「……もう少し、待つか」
今はまだ動かない。盤は熟しつつある。
そして――
一方その頃。
南方戦線へ向かう街道を二騎が疾走していた。周囲の部隊を置き去りにする勢いで馬を駆る。
天鳳筆頭将軍と牙們将軍。
土埃を巻き上げながら、二人は全体から先行していた。空気が変わり始めている。戦場が近い。
牙們が前方を見据えたまま静かに言った。
「……このままで行けば、あと一刻ほどで蒼龍国軍の駐屯地に入れますな」
淡々とした声音だったが、その裏に焦りがないわけではない。
天鳳は風を切る馬上で頷く。
「……まだ、蒼龍国軍が敗北して撤退している様子ではないな」
視線は遠く、戦場の気配を測っている。
「だが――急がねばならん」
天鳳の声がわずかに低くなった。
「…冥将が二人出てきて、麗月が敗れる前に」
それは蒼龍国として決して許されない事態だ。南方戦線の崩壊は、そのまま国威の失墜に直結する。
牙們は短く息を吐いた。
「……承知しております。南方戦線で負ければ、翠林国が勢いづく。さらに南の瀚海国も必ず動きますな」
天鳳は強く手綱を引いた。
「だからこそ、ここで黒龍宗を食い止める」
馬の速度が、さらに上がる。
二人の背後で、蒼龍京から伸びる街道が、急速に遠ざかっていった。
再び、高台。
玄鉄は、戦場から一瞬だけ視線を外し、背後の気配に目を向けた。
影の中に控えていた男――翠林国の陣地に出入りしていた密使。
「……瀚海国へ走れ」
声は低く、短い。
「北進の時期だと、伝えろ」
密使は一言だけ答えた。
「……御意」
その姿は、風に溶けるように消えた。
玄鉄は、再び戦場へ視線を戻す。
焔と紫電が、なおも激しくぶつかり合っている。
「……走れ、紫電」
感情のない声。
「前に出れば出るほど、盤は動く」
焔の中で刃を交える者たちの背後で。焔の外で糸を引く者がいる。この戦はまだ勝敗を決めていない。
だが、戦争の行方は、すでに静かに編まれ始めていた。
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