第二十三章拾伍 一合、焰と紫電
合図は、なかった。号令も、挑発もない。
ただ――互いが互いを見据え、来ると理解した瞬間、焰と紫電は同時に地を蹴った。
紫叡の蹄が大地を叩き、土砂が跳ねる。鼻息は荒く、だが歩調は乱れていない。戦場の空気を踏みしめ、進むべき距離を測っている。
対する焔魄は、炎でありながら確かな質量をもって駆けた。蹄が触れる地面は黒く焦げ、だが動きは生き物そのものだ。焔魄は首を低くし、紫叡を正面から捉え、戦う意思を隠しもしない。
二騎は、一直線に間合いを詰める。
曹華は月穿を構えた。名槍は、初めて握ったとは思えぬほど手に馴染む。重心は低く、穂先は意志を持つかのように静止している。
朱烈もまた、炎で形作った槍を構えた。刃ではない。炎を凝縮した“槍”という概念そのもの。熱は周囲を歪ませ、空気が軋む。
――一合。
すれ違いざま、二本の槍が交錯した。
轟音。
火花が散る――否、火花ではない。炎でもない。純粋な衝撃が、空間を叩いた。
月穿が炎槍を弾き、同時に炎槍が月穿を押し返す。刃が触れた瞬間、紫叡と焔魄が同時に踏み込んだ。二頭の脚力が加わり、力は拮抗する。
鍔迫り合い。
槍身が軋み、低い金属音が鳴る。
紫叡は前脚を踏ん張り、体重を後ろへ移し、曹華を守る位置に自然と入った。
焔魄は一歩も退かず、朱烈の攻めの軌道を理解しているかのように、首を振り、炎の尾を揺らす。
曹華が、息を吐いた。
――重い。
だが、押されてはいない。
朱烈が、愉しげに笑う。
「……よいな」
声は、近い。
次の瞬間、二人は同時に反転した。馬を操り、距離を取り、再び踏み込む。
再度、槍が撃ち込まれる。
曹華の突きは鋭く、無駄がない。紫電の名に違わぬ直線。
朱烈はそれを受け、受け流し、炎槍で穿つ。炎が舞うが、曹華の動きは鈍らない。熱に怯む気配は、微塵もなかった。
数合。
撃ち、弾き、避け、受ける。
朱烈の槍が、曹華の脇を掠める。
曹華の月穿が、朱烈の肩口を穿つ――炎が弾け、肉体に届く前に散る。
そして、再び距離が開いた。
朱烈は、明らかに昂っていた。
焰が揺らぎ、焔魄の炎もまた高く立ち上る。
「……とてもよいなぁ、曹華」
声音には、隠しようのない愉悦が滲んでいる。
「妾と、こうも正面からやり合えるとは。炎に怯まぬ者は久しい。妾の焰が“足枷”にならぬ敵など、な」
朱烈は槍を軽く振るい、炎を散らす。
「麗月でさえ、傷を負った。熱は恐怖となり、動きを鈍らせる。――だが、そなたは違う」
視線が、曹華を射抜く。
「柏林の血。炎を受け入れぬ躰。火傷もなく、熱に恐れもない。だからこそ、こうして堂々と妾と槍を撃ち合える」
笑みが、深くなる。
「……愉しい。とても愉しいぞ」
曹華は言葉を返さなかった。
確かに撃ち合えている。
だが――胸の奥で何かがざわついていた。
朱烈は本気だ。だが、全力ではない。
そして、この戦場に来ている冥将は、朱烈一人だけなのか。
それとも――。
そして、先ほど朱烈が口にした言葉。
――龍脈の器。
その響きが、胸の内で嫌な余韻を残す。理解するより先に、拒絶が走った。理由は分からない。ただ、嫌だという感覚だけが、確かにあった。
曹華は月穿を握り直す。
紫叡が、短く嘶いた。
焔魄が、それに応えるように炎を揺らす。
焰と紫電は、再び向かい合う。
この一合は、始まりに過ぎない。
だが――すでに戦場は、二人を中心に回り始めていた。焰と紫電が、同じ地平に立った瞬間だった。
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