第二十三章拾肆 誘われる紫電
灼矢の余熱が、ようやく戦場から引いていった。爆ぜた炎が残した焦げ跡と土埃の中を、紫叡が駆け抜ける。蹄が大地を叩くたび、湿った土と焼けた匂いが混じり合った空気が跳ねた。
曹華と紫叡は、再び朱烈と焰魄の前に辿り着く。距離は、もはや遠くない。突撃でも、間合い探りでもない。互いの息遣いが届く距離で、四つの存在は静止した。
風が、止んだ。
焰魄の蹄が地に触れるたび、赤熱した跡が残る。だが、その炎は荒れ狂っていない。獣の形をした焔は、じっと紫叡を観察するように首を巡らせていた。まるで、相手の力量を測る闘獣のように。
それに応えるように、紫叡が低く息を吐く。鼻先から白い息が零れ、前脚がわずかに地面を探った。逃げるためではない。踏み込むための確認だ。
朱烈は、その光景を眺めながら、実に満足げだった。口角が、ゆっくりと吊り上がる。愉悦と、期待と、そして余裕。
――まだ、本気ではないという余白を残したまま。
「よいな、曹華」
艶やかな声が、静まり返った戦場に落ちる。
「そなた、実に良い。そして……その躰に流れる柏林の血…」
曹華の背筋に、微かな震えが走った。
「炎を寄せ付けぬ体質……炎を拒むのではない。炎が、入らぬ。冥妃様の言う“龍脈の器”というやつか」
その言葉を聞いた瞬間、心臓が強く脈打つ。
――嫌悪感。
理由は分からない。だが、確かに感じた。胸の奥、触れられたくない場所を、他人の指でなぞられたような不快感。
曹華は無意識に、月穿を握る手に力を込めていた。
朱烈は、その反応すら愉しむように、喉を鳴らす。
「……まあ、よい。今は、そんなことはどうでもよい」
一拍。
焰が、朱烈の背で静かに揺れる。
「妾を楽しませてくれ、曹華。次は――そなたからかかってくるがよい」
それは命令ではなかった。挑発でも、強要でもない。試しが終わった、という宣言。
朱烈の掌に焔が集まる。形を成し、伸び、やがて一本の槍となる。炎でありながら、確かな質量と威圧を宿した得物。焰魄もまた、低く鳴き、脚に力を込めた。
曹華は、静かに息を吐く。
朱烈は、まだ自分を試している。
だが、それはもう「値踏み」ではない。
対等に刃を交える資格があるかどうかの、最後の確認だ。
紫叡が、短く嘶いた。
焰魄が、その音を受けて蹄を踏み鳴らす。
二頭の馬が、同じ角度で地に立つ。
互いに視線を外さず、次に起こることを理解しているかのように。
曹華は月穿を構えた、初めて握る槍。
だが、不思議なほど、しっくりと馴染む。まるで――武に選ばれた槍だと、直感が告げていた。
朱烈も炎の槍を肩に担ぐ。
四つの存在が、同時に“構えた”。
戦場は、完全に静止している。
だが、それは嵐の前の沈黙に過ぎない。
次に動くのは、焰か。
それとも、紫電か。
――曹華は、誘われていた。焔冥将・朱烈によって、本当の戦いの場へ。
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