第二十章漆 紫電、再始動
朝の空気は、驚くほど澄んでいた。
戦いの翌日の朝とは思えないほど、空は高く、雲は薄く、風は静かだった。第七砦は、昨夜までの喧騒が嘘のように、静かな息遣いに包まれている。
復旧作業はすでに夜明け前から始まっていたが、兵たちの動きには追い立てられるような切迫はない。
各々が自分の持ち場を淡々とこなし、剣の音の代わりに、木槌や鋸の音が響いている。
私は雷毅と並んで、輜重隊の用意してくれた朝食を口に運んでいた。
「……美味しい」
「だろ?」
雷毅は、妙に胸を張った。
「命張るのは焼け跡だけで十分だ。たまには、まともな飯で胃袋を守らねえと、将軍殿が先に倒れる」
「どの将軍の話?」
「全部」
雷毅は、笑った。
湯気の立つ椀からは、炊きたての麦飯の匂いがする。干し肉の入った汁物も、身体の芯に染みてくるようだった。戦場にあった気配が、少しずつこの砦から抜け落ちていく気がする。
そのときだった。
使令兵が、私たちの前に立った。
「曹華殿、雷毅殿。
天鳳将軍がお呼びです。執務室へ。」
「……来たか」
雷毅が立ち上がり、軽く首を回す。
「さて、“戦争が終わった後の戦争”とでもいくか」
「……嫌な言い方」
だが、否定はできなかった。
朝食を終えたばかりの私と雷毅は、天鳳将軍の執務に使われている部屋へ向かっていた。
「……なんだと思う?」
「説教だったら帰りたい情報はある。」
「安心しろ、俺もだ。」
軽口を叩きながらも、二人とも足取りは自然と正された。 執務室の扉を押し開く。
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中にいたのは、三人だった。
中央の机に、天鳳将軍。
その左右に、見慣れぬ二人の将が立つ。
「入れ。」
短く言われ、私たちは一礼して中へ入った。
「まず、紹介しよう。」
天鳳が言う。
「第一軍団長を務める蒼嵐副将軍と、第二軍団長を務める烈舟副将軍だ。」
まず、左側の蒼嵐が静かに頷いた。
岩のように動かぬ眼差し。 角張った頬、鋭い顎。 その立ち姿から、彼が「崩れぬ将」であることは一目でわかった。
「……噂は聞いている。紫電の曹華。」
次に、右の烈舟が朗らかに笑う。
「いやあ、実物は美人だな。
あのな、軍の連中、もう語り草にしてるぞ。
"雷が女に化けた"ってな。」
「それは褒めているのですか?」
「最高に、な。」
蒼嵐は短く顎を引く。
「……あの突撃を見て、
"この戦は勝った"と判断した。」
その一言が、何よりの評価だった。
天鳳が、地図の上に指を置く。
「さて、話に入る。」
地図には、粗く塗られた勢力図。
金城国の一帯が、蒼龍の色に囲われている。
「私は、親衛隊と共に蒼龍京へ戻る。」
雷毅が小さく息を呑む。
「第一軍団と第二軍団は、この第七砦に駐屯。」
蒼嵐が淡々と続ける。
「金城国の治安監督も兼ねる。
統治は金城に任せるが、生殺与奪の一線は蒼龍が握る。」
烈舟がにやりと笑う。
「交代で駐屯だ。
砦は蒼龍のものだと、骨まで叩き込む。」
天鳳がこちらを見た。
「曹華。」
「はい。」
「お前は、京へ戻る。」
少し、胸が緩んだ。
「……だが、休ませはしない。」
当然か、と思った。
「数日後、お前は南へ向かえ。」
雷毅が言う。
「南……翠林国、ですか。」
「そうだ。」
天鳳の黒い瞳が、揺れない。
「麗月の戦線へ援軍として入れ。」
烈舟がぽん、と手を叩く。
「おお、噂の紫電が南へ行くのか!」
蒼嵐も、ふっと微かに口元を緩めた。
「……向こうは戦場が硬直している。
雷は、よく響こう。」
天鳳が、静かに告げる。
「“紫電”の異名を、最大限に使う。」
胸が、ひとつ鳴った。
「敵に、
"曹華がいる"と知らしめろ。」
私は、頷いた。
その瞬間――
遠い記憶が、胸の底から浮かび上がる。
翠林国国境。
山あいの故郷の村。
煙と剣と、逃げ惑う人影。
(……戻るのか。)
今度は逃げるのではなく。
走る側として。
雷毅が、私の背に視線を送る。
「……行くんだな。」
「行く。」
天鳳は短く言った。
「曹華。」
「はい。」
「――生きて帰れ。」
それは命令ではなかった。
将が、戦場へ送り出す者にかける、
ただひとつの言葉だった。
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