第二十章伍 復旧作業
夜が明けるより早く、砦は動き出していた。
第七砦は、蒼龍軍の手によって“前線基地”として息を吹き返しつつある。
金城国が降伏し、属国となったとはいえ、この地が蒼龍国の西方防衛線に変わりはない。
否――むしろ逆だ。
今この瞬間から、第七砦は
「蒼龍がここまで来た」
という事実を、金城にも、周辺諸国にも示すための“標”になる。
だからこそ、復旧は急がれた。情を挟む余地はない。
だが――
感情を捨てることができる場所でもなかった。
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砦の外縁では、工兵隊が崩落した外壁の再建に取りかかっていた。
焼け焦げた梁はすでに撤去され、今は新しい木材が運び込まれている。作業槌の音が、静かな朝の空気を叩き、砦の内外に「生きている音」を取り戻していく。
外堀では、土木兵が水路を整え、焼け落ちた木橋の基礎を固めていた。煉瓦と石が積まれていくたびに、
失われたものの上に、別の“日常”が積み上がっていく。
それを、私はしばらく無言で眺めていた。焼け跡の匂いは、まだ空気に残っている。
新しい木の香りと、混ざり合って。
(……上書きは、できないんだな。)
崩れたものは戻らない。
命も、声も。
ただ、跡地の上に別の時間が重なるだけだ。
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輜重隊は、砦内の広場に設営した仮設厨に火を起こしていた。
田鍋の湯気が立ち上ると、空腹の匂いが広がる。
兵たちは、水を運び、誰かは木箱を運び、誰かは釜の火を強めている。
この光景は、間違いなく「戦場」ではない。
だが――
ここにいる誰もが知っている。
ここが、戦場の“続き”であることを。
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「……おまえさ、思ったより現場向きだよな。」
雷毅が、土嚢を担ぎながら、ふいに言った。
「人の上に立つ感じじゃないのに。」
「褒めてる?」
「たぶん。」
私は、手にしていた工具を見下ろしながら、応えた。
「私、指揮より……整ってない場所の方が見えるだけ。」
「それ、逆に向いてんじゃねえの。」
雷毅は笑って、砦を示した。
「ここさ。
将の座からじゃ、見えねえぜ。
梁の傾きも、土の音も、兵の疲れ方も。」
私は、わずかに言葉を失った。
(……そういうことは、考えたことがなかった。)
「私は……」
言いかけて、飲み込んだ。
答えが、まだ形にならなかったからだ。
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第一軍団も、第二軍団も、親衛隊も、工兵隊も、輜重隊も、階級も、立場も関係なく、この日この時、第七砦にいる者は皆、兵だった。
瓦礫を運び、土を詰め、水を引き、火を起こす。
「奪う軍」ではない。
「壊す軍」でもない。
今ここにいる蒼龍軍は、
“建て直す軍”だ。
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天鳳将軍は、昼前に視察に訪れた。
誰よりも先に、焼け落ちた物見台の前に立ち、誰よりも長く、その黙した跡地を見ていた。
私は少し離れた場所から、その背を見つめる。
(……この砦は、将軍にとって……)
将軍は、ようやく振り返り、兵に言った。
「……続けろ。」
それだけだった。
だがその一言に、砦全体が応えたように、
工具の音が少しだけ、強くなる。
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私は、砦の外縁から内側へ目を移しながら、
小さく息を整えた。
祈りは終わった。
涙も、昨日で終わった。
そして今――
生き延びた者の、仕事が始まっている。
(……この砦は、生きている。)
もう、ただの墓標じゃない。
新しい炎が、
ここに再び灯されている。
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雷毅が、肩をすくめながら言った。
「なあ、曹華。」
「なに。」
「第七砦ってさ……
嫌な場所のはずなのに、
なんで今は、ちょっと……」
「……息をしてる感じがする?」
「それだ、それ。」
私は、わずかに笑った。
「たぶん……
ここで、誰かが“生きる側”に戻ったから。」
「なるほど。」
雷毅は、納得したように息を吐いた。
「じゃあ、しばらく――
この砦、俺たちの家だな。」
「仮住まいだけどね。」
「充分すぎるだろ。」
そう言って、雷毅はまた作業へ戻っていった。
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私は、砦の中央へと歩いた。
焼け跡の上に、
新しい石が置かれ、
新しい木が組まれ、
新しい火が灯る。
(……私も、進まないと。)
この場所に留まるわけにはいかない。
だが、確かにここは、
私の“足跡のひとつ”になった。
第七砦は、
再び息をしながら、
蒼龍国の西端に立っていた。
炎を失い、
それでも――
消えなかった場所として。
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