表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
三華繚乱  作者: 南優華
第十九章
305/319

第十九章廿四 北の闇、再び揺れる

夜は、まだ終わっていなかった。


 瘴が引き、牙が鳴りやみ、ようやく訪れかけた静寂を――

 紫の気配が、切り裂いた。



---



夜気を裂いて、紫の影が舞い降りる。


 それは“現れた”というよりも、

 「宵霞の隣に最初からいた」かのような不自然さだった。


 幻冥将・紫霞。


 宵霞が膝をついているのを見た瞬間、

 彼女の表情から、初めて“軽薄な笑み”が消えた。


(……兄上が、ここまで負傷するとは……)


 宵霞は、荒い呼吸のまま、視線だけを上げる。


「……来るなと言ったはずだ」


 紫霞は、かがむこともせず、

 指先だけで宵霞の血に触れ、瘴の残滓を“読む”。


「それは“無理な相談”でしょう」


 口調は軽い。

 だが、瞳の奥は――笑っていない。


「この程度で死なれてしまっては……

 黒龍宗の冥将も、安くなってしまいます」


 宵霞は薄く、笑った。


「……悪いな。

 量り違えた」


 紫霞は一瞬、目を伏せた。


 それは術師の顔ではなかった。

 冥将の顔でもなかった。


 ——ひとりの“妹”の顔だった。



---



 その瞬間――


 空気が、裂ける。


 赤鉄族長・赤鋼は、紫霞の背へ、斧を叩きつけていた。


「冥将……!」


 怒号とともに、鉄塊のような一撃が振り下ろされる。


 ――そのはずだった。


 だが。


 紫霞の姿は、刃が届く寸前で“揺らいだ”。


 斧は、何もない空を叩き割る。


 地面が抉れ、火花が飛んだ。


「……チッ」


 赤鋼は舌打ちする。


 確かにあった。

 殺意も、霊力も、重みも。


 だが――

 “命中した手応え”だけがない。


 背後から、冷えた声。


「……野蛮な男」


 振り向いた赤鋼の前に、

 無傷の紫霞が、すでに立っていた。


(……最初から、すり替えていやがったか……)


 赤鋼は奥歯を噛む。


 幻冥将。

 正面から斬れる相手ではない。



---



 次に現れたのは、光を持たない影。


 夜の隙間から滲むように現れた人影。


 ――影の長。


 彼は、赤鋼と紫霞、両者を一瞥し、

 そして――宵霞を見る。


 傷の深さを、一目で察した。


「……随分、深いな」


 宵霞は答えない。


 代わりに、紫霞が告げた。


「……狼に、噛まれました」


 影の長は、ほんの僅かにまぶたを伏せる。


「……そうか」



---



 そのとき――

 香の匂いが、夜風に混じった。


 陣の暗がりから、

 ゆっくりと現れた影。


 獅紫族の巫女長――徨紫。


 視線はまず、宵霞へ。


 次に、黒牙へ。


 そして――


 地に伏す、灰牙で止まった。



---



 黒牙は、立ってはいた。


 だが、その呼吸が、異様だった。


 浅く、荒く、そして――苦しい。


 右腕は、瘴に焼かれたように爛れ、

 すでに感覚が薄れている。


 拳を握ろうとしても、

 もう完全には応えない。


 灰牙は――

 さらに深刻だった。


 地に伏し、

 胸がわずかに上下しているだけ。


 唇は紫色に変わり、

 皮膚には、瘴の斑。


 瘴気中毒。

 生死の境界線にいる。


 徨紫は、息を呑んだ。


「……まずい」


 巫術では追いつかない。

 今すぐ地脈に繋がなければ、命を落とす。


「……運ばなければ」


 北の聖域へ。


 そう思った――その時。



---



 紫霞は、兄を一瞬だけ振り返る。


 宵霞は、まだ意識はある。


 ――だが、今すぐ殺される状況でもない。


(……なら)


 視線が、徨紫へと戻る。


 そして――


 静かに、笑った。


「……今日は、そうするわ」


 その言葉に、

 徨紫の眉が、わずかに動く。


「……何を?」


 問い返した、その“刹那”。



---



 ふっ――


 紫の気配が、一瞬だけ――二つに割れた。


 次の瞬間、

 紫霞の“姿”が、揺らぐ。


 否。


 増えた。


 徨紫が、はっと息を呑む。


「……しまッ――」


 遅かった。


 紫霞の分身体は、すでに気配を薄め、

 夜と溶け合うように――本陣へ。


 その口元に、

 あの笑みを貼り付けて。


 誰にも届かぬ、声が風に混じる。


「……ここまで来たんだもの」


「白華の顔、拝んでおかなくちゃね」



---


夜は、終わらない。


 牙は傷つき、

 瘴は残り、

 影は――白へと、忍び寄った。



---

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ