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三華繚乱  作者: 南優華
第十九章
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第十九章廿三 影の長 vs 赤鋼――名を背負う者

影が刺す。


 否――

 影そのものが、刃となって落ちてくる。


 赤鋼は吼えた。


 斧を、横ではなく「上」へ振り抜く。


 空気が爆ぜ、闇が歪む。


 衝突音は響かない。


 代わりに、空間そのものが軋み、きしりと悲鳴を上げた。


 赤鋼の腕に、嫌な重みがのしかかる。


 影の長は、一歩も下がらない。


 影が、影ではなく“質量”を持っている。


(……重い……!!)


 赤鋼は歯を食いしばり、膝が沈むのをこらえた。


 だが、倒れない。


 踏み抜いた足が、地面にめり込む。


 斧が、うなる。


「ォォォッ!!」


 渾身の力で、影を押し上げる。


 闇が裂け、黒い粒子のように飛び散る。


 影の長が、半歩だけ退いた。


 ほんの、半歩。


 だが——


 それは、初めての後退だった。


「……」


 影の長の目が、わずかに細まる。


 赤鋼は肩で息をしながら、斧を地に立てる。


「ようやく……下がったな」


 影の長は答えない。


 だが、その沈黙は、否定ではなかった。


(……この男)


(斬れないのではない)


(最初から、“斬るべきものとして存在していない”)


 影の長の攻撃は、どこにも刃がない。


 あるのは、「対象そのものを消そうとする圧力」だけだ。


 赤鋼は思う。


(……なるほど)


(影とは、“武器”じゃねぇ)


(“在り方”そのものか)


 斧を握る手に、力が戻る。


「……影」


 赤鋼は低く言った。


「お前、

 戦ってるようで……戦ってねぇな」


 影の長の視線が、赤鋼を射抜く。


「……?」


「お前は“勝つ”ためじゃなく――

 “果たす”ために、ここにいる」


 一瞬。


 影の長の影が、僅かに揺れた。


 ……否。


 揺れたのは、心の方だった。


「…………」


 影の長は、静かに答える。


「……鋭いな」


 赤鋼は、口角を上げる。


「武人だからな」


 影の長は、一歩だけ前へ出た。


 影が、再び濃くなる。


「……なら、問おう」


 その声は、影の長ではない。


 一人の男の声だった。


「お前は」


「“守るために”斧を振るうのか?」


 赤鋼は、即答した。


「当たり前だろ」


「奪うためじゃねぇ」


「ここにいる連中の背に、

 影を立たせねぇためだ」


 影の長は、しばらく赤鋼を見ていた。


 そして、静かに言った。


「……それが、名を持つ者か」


「?」


 影の長は、小さく息を吐いた。


「……羨ましいな」


 赤鋼は、思わず目を見開く。


「……は?」


「名を捨てた者には、

 “守りたい背中”は、もう存在しない」


 その言葉には、

 強がりも、威嚇もなかった。


 ただ――


 長い夜を生き抜いた者の、静かな告白だった。


 赤鋼は、斧を持ったまま、ふっと鼻で笑う。


「……なら、作ればいいじゃねぇか」


 影の長の目が、わずかに揺れる。


「……何を?」


 赤鋼は、まっすぐに言った。


「戻れる名前はなくても、

 守る背中は作れる」


「それが出来りゃ——

 影なんて、やめられる」


 一瞬。


 影の長の影が、かすかに薄くなった。


 ……だが。


 次の瞬間。


 地の底から、獣が吠えたような衝撃が、二人を貫いた。


 ――ズン。


 空気が揺れる。


 地面が、鳴る。


 そして——


 “瘴と牙が正面衝突した”気配が、

 遅れて、骨に届いた。


「……ッ!」


 影の長の眉が、初めて、大きく動いた。


 視線が、宵霞の方角へと走る。


(……あの男が……)


 赤鋼もまた、同時に息を呑んだ。


 胸の奥が、不穏にざわめく。


 黒狼族の長。


 黒牙。


(……あの衝撃)


(ただ事じゃねぇ)


 風が吹く。


 黒ではない。


 腐でもない。


 ただ、危機の風だった。


 影の長は、ゆっくりと姿勢を正した。


 刃のような影を、すっと引く。


「……失礼する」


 赤鋼は、まだ斧を構えたままだ。


「……どこへ行く」


 影の長は、宵霞のいる方角を見る。


 瞳が、わずかに細くなる。


「……同僚の安否確認だ」


 赤鋼は、鼻で笑う。


「奇遇だな」


 そして、自分も方角を変える。


 黒牙のいる方——


「こっちも、

 族長が気になってきた」


 一瞬。


 二人の視線が、交差した。


 敵ではある。


 だが――


 それぞれの“帰る場所”を思う者同士として、確かな共鳴が、そこにあった。


 影の長は、小さく口を開く。


「……名を持つ者よ」


「また、会えるか?」


 赤鋼は、笑った。


「影が消えてたらな」


 影の長は、かすかに口元を緩めた。


「……それも、悪くない」


 そして、影は霧のように薄れた。


 赤鋼は、ひとつ大きく息を吐き、斧を担ぐ。


「……ああ」


 低く呟く。


「生きてろよ、影野郎」


 そして――


 赤鋼もまた、走り出した。


 白を背負った狼のもとへ。



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