第十九章拾漆 影の長 vs 赤鋼
赤鋼の斧が、大地を砕く。
乾いた破裂音とともに、鍛冶陣の地面が砕け、金床が跳ねた。
炉の火が爆ぜ、火の粉が夜闇に散る。
七つに分かれた“影”のうち、三つが断ち切られた。
――だが、消えない。
斬られた影は、地に落ちる前に溶け、再び人の形を結び直す。
まるで、斬られることが「ただの動作」とでもいうかのように。
赤鋼は歯噛みする。
「……斬れねぇ。潰しても……戻ってくる」
だが、下がらない。
赤鋼は一歩、踏み込む。
地が、低く鳴る。
「ならよ――
“壊れるまで”叩くだけだ」
斧を構え直す。
刃ではなく、柄の奥。
鉄の塊そのものを、武器として使う構え。
その瞬間。
影の長が、初めて一歩、素早く距離を詰めた。
風を切る音すらない。
“影”が、斬るのではなく――**“喰らう”**ように赤鋼へ迫る。
「……っ!!」
直感で、赤鋼は身体を捻った。
肩口をかすめた“何か”が、肉を削ぐ感触。
遅れて、血が噴いた。
赤鋼は地を転がるように後退し、立て直す。
その目が、鋭く光る。
「……影に、刃があったか」
影の長は、わずかに首を傾げた。
「“影は何でも持てる”
そう思わなかったか?」
低い声。
感情のない、だが嘲りでもない静かな声。
「剣でも、毒でも、記憶でも。
――恐怖でさえも、形にできる」
影が、変わった。
七つの影が溶け合い、一つになる。
背丈は、倍。
輪郭は、人に似て非なるものに。
赤鋼は、斧を肩に担ぎ、口の端を吊り上げる。
「……便利な身体してやがる」
そして、吐き捨てる。
「だがな。
“殴れるもんは、全部敵だ”」
次の瞬間、赤鋼は走った。
巨影に向かって――真正面から。
斧が振り下ろされる。
刃ではない。
鉄の質量が――
空間そのものを殴る。
ドン……ではない。
“歪む音”がした。
見えないはずの空間が、ひしゃげ、引き裂かれる。
影の長の身体が、ぐにゃりと歪んだ。
「……!」
初めて、影の長の声に“揺れ”が生まれた。
巨影が、後退する。
赤鋼は追う。
逃さぬ。
斧を横薙ぎに振るう。
影の胴が……削れた。
“削れるはずのないもの”が、欠けた。
「……っ、さすがだ」
影の長の声に、初めて明確な感嘆が混じる。
「“重さ”で影を殴るとは……
――赤鉄族の族長」
名を呼ばれ、赤鋼は嗤った。
「影だの夢だの、難しいことはわからん。
だが……」
斧の柄を、地に叩きつける。
「ここは、北だ。」
そして、低く言い切った。
「軽いもんは、叩き潰される」
赤鋼が、再び斧を構えた、そのとき。
影の長は、未だ倒れぬまま、静かに立ち直った。
歪んでいた影が、ゆっくりと“元に戻る”。
しかし――完全ではない。
輪郭が、わずかに、乱れている。
「……やはり」
影の長は、独白のように言った。
「北は、“器”を奪う場所ではない。
――“砕かれる場所”だ」
その声に、初めて“楽しさではないもの”が宿っていた。
「お前たちは……深い」
赤鋼は、肩で息をしながら言い返す。
「深ぇのは、地面だよ。
ここに立つなら――
足を取られる覚悟をしろ」
再び、二人は踏み込んだ。
影と鉄。
形なきものと、重きもの。
決着は、まだ来ない。
だが――
この瞬間。
北方部族連合は、確かに“測られ”、
そして――測り返していた。
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