表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
三華繚乱  作者: 南優華
第十九章
284/331

第十九章参 紫電の影、蒼龍の空を裂く

風の匂いが変わった。


 蒼龍国軍・第一軍団と第二軍団が金城国の王都を包囲して数日。

 城壁はひび割れ、外郭の民はすでに避難を終え、王都の上空には重たい砂塵が渦を巻いている。


 深く息を吸い込んだ瞬間、肺の奥を刺すような違和感が走った。


(……これは、砂ではない。)


 紫叡が首を小さく振り、わずかに身を伏せる。

 その反応を見た雷毅が、近くで槍を構え直した。


「曹華、感じたか?」


「……風が、火を隠している。」


 雷毅の眉が跳ねた。


 蒼龍の戦場で、火が風に紛れることなど本来あり得ない。

 まして、この周囲の風はすべて——


(天鳳将軍の“風”だ。)


 その風の流れが、どこかで“乱されている”。


 異変は、戦場の後方。

 蒼龍軍の補給線、そして傷兵が控える野営地のあたりだ。


(そこを狙う……?)


 敵はもう金城国軍だけではない。

 金城国の王都は崩れつつあり、抵抗はほぼ形だけになりつつある。


 だからこそ——


「黒龍宗。」


 呟いた瞬間だった。


 不意に、風が“止まった”。


 天鳳の風あるところ、止まるはずのない風が、だ。


 紫叡が耳を伏せ、砂を蹴った。


 それはまるで——

 “何かが通るために、風自体が退いた”かのように。


「来る!」


 叫ぶより早く、影が燃えた。


 遠方の丘が、赤く染まる。

 炎の柱が静かに立ち、次いで爆ぜた。


「後方が……燃えてるだと!?」


「違う! あれは火ではない、術だ!」


 炎が噴き上がる方向から、一斉に声が悲鳴へと変わっていく。


 その炎は——

 金城国軍が使う粗い火術ではない。

 燃え広がる前に形を変え、地を滑るように進む。


 黒蓮冥妃の意志を受ける“炎術師部隊”。

 朱烈の炎とは違うが、同じ系譜に属する“黒龍宗の火”。


(後方を焼き切り、包囲を逆に崩すつもり……!)


 狙いは明らかだった。


「紫叡!」


 私は紫叡の腹を軽く蹴り、戦場の外縁まで一気に疾駆する。


 火柱の向こうに、人影が揺れた。


 鎧は軽い。

 色は黒。

 炎術者特有の、揺らぐ“心核”の脈動。


 六人。


 いや——風に紛れる“気配”まで数えるなら、八人。


(これは……ただの刺客じゃない。)


 戦場の流れを壊すための、術者部隊。


 雷毅が追いつき、汗を拭いながら叫ぶ。


「曹華! どうする!?」


「——止める。」


「……だろうな!」


 雷毅は振り向かずに走り、親衛隊へ指示を飛ばす。


「後方を守れ! 遊撃隊、右側から展開! 天鳳将軍へ伝令を飛ばせ!」


 そして私の隣に戻って言った。


「お前は前だ。後ろは俺たちが守る。」


 紫叡の呼吸が一拍だけ深くなる。

 胸の内の火が、再び点いた。


(……白華。興華。)


 その名を思っただけで、血が強く巡る。


 “生きている”と冥妃に告げられた。

 怒りでも悲しみでもない。


 ただ、会いたい。


 その想いが胸を震わせ、紫叡の脚へ伝わった。


「行くよ、紫叡。」


 紫叡は嘶き、地を裂いた。


 紫電が走る。


 視界の端から端まで、戦場の色が変わる。


 火術者たちの周囲に、炎の結界が立っていた。

 地を焦がさぬ“固定式の火”。

 その代わり、接近すれば焼ける。


(炎で守る……なら、その外を断ち切る。)


 私は槍を前に出し、紫叡の走りを最小限に絞った。

 速く、短く、深く。


 刃が結界に触れる寸前——

 天地を割るような風が後方から吹いた。


 天鳳の風。


「曹華、下がるな!」


 振り向かずとも、その声の強さでわかった。


 次の瞬間、風の刃が火の結界を切り裂いた。

 炎が悲鳴を上げるように揺らぎ、術者たちの中心が露出する。


「いまだ!」


 雷毅の声が響き、遊撃隊が左右から突入する。


 私は紫叡に身を預け、炎の奥へ踏み込んだ。


 一人目の術者の腕が、紫電に弾かれた。

 二人目は雷毅が背後から叩き伏せた。


 残り六名。


 炎の奔流が紫叡の足元を舐める。


 しかし、その熱は——

 紫叡の走りではなく、私の心を燃やした。


(壊させない。)


 私が、生きて辿り着かなければ。


(白華姉さんにも、興華にも……会えない。)


 槍がうなり、三人目が崩れた。


 火の術が形を保てなくなり、空気が歪む。


 その隙間を天鳳の風が吹き抜ける。


「曹華、押せ!」


 風が紫電を押し、紫電が風を裂く。


 蒼龍の風と、私の紫電が重なった。


 一瞬で四人目、五人目の術者が倒れ、

 最後の術者が膝をついて炎を消した。


「……黒龍宗が、本当に……」


 術者の噛みしめた言葉は、そこで途切れた。


 残ったのは、火の残滓だけ。


 雷毅が息を吐きながら槍を肩に担いだ。


「まさか後方を狙うとは……」


「金城国の王都包囲が進んだせい…じゃない。」


 私は地に刺した槍を握り直し、空を見た。


「——黒龍宗が、“戦場に入ってきた”。明確に。」


 風が止む。

 天鳳が私の横に立った。


「曹華。」


「……はい。」


「前を向け。まだ終わらせるな。」


 天鳳の黒刃には、炎は映っていない。

 だが、風が刃に沿って流れ、こちらへ返ってくる。


「守るべきもののために戦え。」


 その言葉に、紫叡が嘶いた。


 王都の城壁が、遠くで鳴動する。

 火と風の戦いは終わった。

 だが、本当の決戦は——これから。


 私は槍を構え、紫叡の背を叩いた。


「行こう、紫叡。」


 紫電が、ふたたび戦場へ走る。


(白華、興華……)


(必ず、生きてそばへ行く。)


 蒼龍の空を、紫の雷が裂いた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ