表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
三華繚乱  作者: 南優華
第十八章
280/331

第十八章拾伍 三華、世界の盤面へ

大陸に、目に見えぬ震えが走った。


 誰もそれを意図して起こしたわけではなく、誰もそれを感じ取れるわけでもなかった。


 ただ――

 三つの場所で、三つの華が同時に“形”を得た。


それだけで、大地は静かに応じた。


その意味を即座に理解できた者はただ一人。

黒蓮冥妃のみであった。


だが、物語はまず「北」から始まる。



---



夜の北原は、星すら凍りつくほど澄んでいた。

だがその空気は、昨夜とは違う。


黒狼族の陣営の空気が“深く沈んだ安定”をまとい、

赤鉄族の鍛冶場は“間違いを恐れぬ熱”を帯び、

獅紫族の巫具には“曖昧さなき光”が宿った。


――北が、白華を認めた証。


白華は大幕の外に立ち、

吐く息を静かに見つめていた。


その背後に、黒牙の低い声が落ちる。


「白華。

 お前は“客”ではなくなった。」


白華は振り返る。


黒牙は大地のような沈黙を保ちながら、

それでも確かに告げた。


「北は、お前を“名”として扱う。」


名とは役ではなく、肩書でもない。

存在そのものを示す言葉。


白華の心臓が小さく震えた。


「……名として、ですか。」


黒牙は、ほんのわずかに頷く。


「北原を行けば、お前の名は先に歩く。

 人はそれに倣う。

 それが“名”だ。」


赤鋼が鍛冶場から戻り、白華を見やる。


「お前の言葉は重く、

 お前の姿は軽くない。

 それが北では“力”となる。」


徨紫は白華の横顔を見つめながら、

焚いた香の香気を指先で絡めて微笑んだ。


「あなたの中には、剣でも火でもない。

 けれど……“気配の芯”がある。

 あれは光と影が同じ高さで立つ時にだけ生まれるもの。」


「芯……ですか。」


「ええ。

 器ではない。

 けれど器に触れる“質の似た何か”。

 北はそれを見ている。」


白華は静かに胸に手を添えた。


(私は……ただ、道を選んで来ただけなのに。)


だが、北はもう白華を“ただの客”として扱わない。


白華の名は、それ自体が動き始めたのだ。



---



金城国の王都を包囲した蒼龍軍。


夜明け前、曹華は紫叡の背に跨り、

戦場に残る血と土と風の匂いを吸い込んだ。


その周囲には、

蒼龍軍の兵が無言で視線を向けている。


敬意と畏怖。

希望と驚愕。


全てが入り混じった眼差しだった。


「曹華殿……あの方が、紫電の……」


「嶺昭の軍をたった一陣で割ったという……」


「いや、一陣ではなく、一駆けだ……」


噂は尾を引き、形を変えながら、

やがて“事実”として喉に残る。


曹華の槍は紫に光り、

紫叡の蹄は雷のように地を震わせた。


天鳳将軍もまた、戦場を見渡しながら言う。


「曹華。

 お前の刃は、風を切り裂くより速い。」


曹華は首を振った。


「……違います。

 私はただ――前へ進んだだけ。」


だが天鳳はその否定を受けず、

静かに続ける。


「戦場が、お前の動きに合わせて形を変えた。

 それは“武”が名となる時の現象だ。」


曹華の武は、ただ強いだけではない。

戦場そのものを“変える”。


曹華が前へ出れば、敵の軍勢は揺れ、

紫叡が走れば、兵の心が震える。


それが“紫電の曹華”という名の始まりだった。


ふと、曹華は空を見上げる。

夜明けの薄紫色が、紫叡の毛並みと重なった。


(姉上……興華……

 私は……ここにいます。)


胸の奥に小さな火が灯った。

それは戦いの火ではない。

生きている家族への願い。


その願いが力に変わる――

曹華自身がまだ知らないだけだ。



---



白陵宮。


興華は夜の訓練場で息を整え、

木剣を握り直していた。


華稜皇子が微笑む。


「興華。今日の動きは鋭い。」


「まだ……まだです。」


興華の瞳は、かすかに紅を帯びていた。


それは怒りでも悲しみでもない。


――目覚めの兆し。


華稜皇子はそのことに気づき、

だが言葉には出さない。


ただ並んで立つ。


(この男は、俺を“対等”として見てくれる。)


それでも――

胸は静かに温かかった。


だがその瞬間。


庭の端に立つ石灯籠の火が揺らぐ。


風ではない。

温度でもない。


霊脈の底が、ふっと震えた。


華稜皇子が眉を寄せる。


「……今のは……?」


興華は小さく首を傾ける。


「何か……冷たいものが……

 通った気がしました。」


影は見えない。

声もない。


ただ興華の“中”を見通すように

黒い気配が一度だけ触れた。


――器の密度を測るように。


興華はそれに気づかないまま、

背筋に人ならぬ寒気を覚えて振り返った。


(誰も……いない。)


だが、黒龍宗は確かに“見た”。


興華の器が――

芽吹いたことを。



---



夜。


北方、蒼龍、白陵。


三つの地は千里以上も離れている。


だがその夜、

地脈の底でごく短い震えが走った。


白華の“名”。

曹華の“武”。

興華の“器”。


三つが同時に“形”になったことで生じる、

世界のごく浅い共鳴。


北方の空気がわずかに澄み、

蒼龍の風が鋭くなり、

白陵の灯火が揺らいだ。


人々は誰も気づかない。


ただ一人――

黒蓮冥妃を除いては。



---



黒龍宗の深奥。


冥妃は静かに瞳を開いた。


「……来たわね。」


卓上に置かれた黒蓮の花弁がひとつ震える。


冥妃は指先でそれを転がしながら微笑んだ。


「北方の“名”、

 蒼龍の“武”、

 白陵の“器”。」


三つの座標が揃い、

三つの力が立ち上がり、

三つの道が交差する。


「これで……ようやく盤が動く。」


冥妃は美しく微笑む。


「三つの華。

 三つ揃ってこそ、“龍脈”は開く。」


だからこそ――

だからこそ、奪う。


「奪いに行きましょう。

 三つとも。

 世界の核となる、その手前で。」


冥妃の指が黒蓮を弾いた。


花弁が風に乗り、

北方へ、蒼龍へ、白陵へ――

三方向へと散る。


黒龍宗の影が、

ついに大陸全土へ向けて放たれた。



---



その夜――

世界は知らぬまま、

静かに形を変えた。


白華の名が風に乗り、

曹華の武が雷となり、

興華の器が大地を震わせる。


三者はまだ何も知らない。


ただ歩いているだけなのに――

世界はすでに彼らを中心に回り始めている。


――世界は、三つの華を中心に回り始めた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ