第十七章参 北への道は白く
朝はまだ来ていなかった。
白陵京は薄い灰色の光に包まれ、宮門の石段には霜が静かに降りていた。
白華は、馬へ歩み寄った。
淡い灰白の毛並みをもつ若駒。
張り詰めた空気の中でも、目は揺れていない。
「……今日から、あなたは 清影。」
白華の指先に触れられ、清影は静かに鼻を鳴らした。
それは声を出さない肯定だった。
「良い馬だ。」
低い声がした。
振り向けば、そこに 雪嶺大将がいた。
老いたという言葉の影はひとつもない。
その佇まいは、剣より鋭く、山より揺るがない。
「北道は長い。風も地も、優しくはない。」
「承知しています、雪嶺大将。」
「なら、よい。」
雪嶺はそれ以上言わない。
言葉は必要ないと知っているからだ。
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厚手の外套が白華の肩へかけられる。
「北の風は、心に刺さる。」
掛けたのは 凍昊中将だった。
雪嶺より少し若いが、その目は同じ景色を見てきた瞳だった。
「凍えそうになったら言え。俺が代わる。」
「ありがとうございます、凍昊中将。」
「礼はいらん。生きて戻れ。」
その一言に、優しさはなかった。
だが、温度はあった。
「北境までは俺が同行する。そこから先は、お前の呼吸だ。」
「……はい。」
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そのとき、足音が一つ。
興華が歩み出た。
白華の外套の紐を、そっと結び直す。
指先が震えているのに、動きは丁寧だった。
「……いってらっしゃい。」
かすれた声。
泣き声ではない。
泣けない、声。
白華は微笑んだ。
「またね。」
それは、約束ではなく 帰るための言葉。
興華の喉が震えた。
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その少し後ろに、華稜皇子が立っていた。
白華と視線が交わった。
「白華殿。」
「華稜皇子。」
「白陵は揺らぐかもしれない。
だが……倒れはしない。」
「信じています。」
「あなたが帰る場所を、揺らがせはしない。」
それは、恋を飲み込んでなお残る 誓いではなく、意志 だった。
白華は深く頭を下げた。
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そして、最後に氷陵帝が進み出る。
「白華。」
「はい。」
「行け。」
命令ではない。
許しでもない。
その選択を、国が受け止めるという宣言。
「白陵は、お前の帰りを待つ。」
「……感謝いたします。」
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白華は 清影 に跨る。
凍昊中将が並び立つ。
北へ伸びる街道は、霜で白く輝いていた。
白華は振り返らない。
振り返らないことが、ここに残したすべてを尊ぶ証だった。
白き華は、北へ向かう。
その道は雪ではなく――
揺らがぬ覚悟の白だった。
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