第十六章拾陸 炎と風、剣舞の応酬
火と風が、戦場の中央で交錯した。
朱烈が双刃を振るうたび、空気は赤い波となって揺れ、
大地は熱を孕んで震える。
だが天鳳将軍は、退かない。
黒刃がしなるでもなく、力任せでもなく、
ただ美しく、流れるように軌を描いた。
朱烈の双刃が炎の弧を生み、
天鳳の黒刃がその炎を裂く。
音はふたつしかない。
火が生まれる音。
風がそれを断つ音。
その二つが絶え間なく呼吸のように繰り返され、
戦場はいつしか、ただその“応酬”だけに支配され始めていた。
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「……すごい……」
雷毅が私の横で呆然と呟いた。
私も同じだった。
いや、言葉にできること自体が羨ましかった。
目が離せない。息が乱れそうになる。
だが私は、胸の奥に落ちている記憶を抱いていた。
第七砦。
私は“あの日”にいたわけではない。
ただ――
炎のあとに残されたものを、見た。
焼けた梁に手を這わせた。
崩れ落ちた砦の壁に、爪あとが残っていた。
声にならなかった叫びが、黒い焦げ跡に刻まれていた。
武具が溶け、床に固まっていた。
刃を握ったまま倒れた兵の姿は、もはや形ではなかった。
ただ、「生きたい」という痕だけが、そこにあった。
(私は……あの日、火に焼かれたのではない。)
(“生”に触れたのだ。)
焼け付く匂い。
立ち上る白い灰。
風に乗って流れていく声なき声。
私は、目を逸らさずに見た。
声を出せなくなるほど、胸の奥が熱くなるのを、知っていた。
あれが「炎」だ。
(朱烈は……あの日の「生きたい」を、まだ燃やしている。)
だから彼女の火は醜くない。
ただ、悲しいほどに強い火だ。
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朱烈が、双刃を強く振り上げた。
炎が螺旋の花弁のように空へ広がる。
「天鳳!」
雷毅が叫んだ。
だが天鳳将軍は、微動だにしない。
黒刃が、空へ向けて静かに構えられた。
「――断つ。」
風が走った。
炎の花が、まっすぐに裂かれた。
その裂け目を通して、朱烈の瞳と天鳳の瞳がまっすぐ重なる。
「炎は燃え広がる。」
朱烈が言う。
声は、笑っているようで、泣いているようでもあった。
「人の願いも、そうだ。」
「だから斬る。」
天鳳は、ただ答える。
斬撃ではなく、呼吸として。
朱烈は笑う。
本当に、心から愉しげに。
「そなたは、炎の形を斬ろうとしている。」
「……違うのか。」
「違う。」
朱烈は双刃を下げ、足を大きく踏み込んだ。
「炎とは形ではない。
炎とは “生きたい” だ。」
雷毅が息を呑む。
私は、心臓が強く跳ねるのを感じた。
(生きたい。)
あの日、砦の兵は確かにそう叫んでいた。
声にならない声で。
焼けついた手で。
崩れゆく壁に、爪を立てながら。
(私は……その願いを見た。)
朱烈が双刃を振り抜く。
炎が地を薙ぐ。
天鳳は踏み込みと同時に跳び、
黒刃でその炎の“流れ”ごと切り開いた。
まるで、風が道を作るように。
「天鳳。」
朱烈が呼ぶ声は、美しかった。
「そなたは斬りすぎる。
願いを。
心を。
生き残りを。」
天鳳の動きが、一瞬、止まった。
(……将軍。)
私は、知っている。
天鳳将軍は、生き残り続けてしまった者だ。
焼かれなかった者の痛みを、知っている。
だからこそ、斬る。
「私は、炎を終わらせる。」
「だから斬れぬ。」
朱烈は、炎ではなく微笑で返した。
「炎は、終わりではない。
炎は、始まりだ。」
火が一気に吹き上がった。
天鳳は、真正面からその炎へ踏み込む。
黒刃が振り抜かれた。
炎が割けた。
だが――
まだ燃えている。
(将軍は……炎だけを見ている。)
黒刃は炎を斬れる。
だが炎を生む願いは、まだ斬られていない。
(私は……わかってしまった。)
私と雷毅は、ほとんど同時に息を吸った。
「曹華。」
「……ああ。」
私の声は震えていなかった。
(私は、燃え残りの中に立つ者。
炎を見た者。
炎を抱いた者。)
(だから、私には見える。)
炎と風の狭間。
願いと終わりの交差点。
(――そこに、私の立つ場所がある。)
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