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三華繚乱  作者: 南優華
第十六章
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第十六章弐 三部族連合会議

夜明けの気配が、幕屋の外を薄く満たしていた。

 評議の幕屋には焚き火はなく、中央の香炉から白い香煙が静かに立ちのぼっている。紫獅族の香だ。

 黒牙が奥に座し、左右に黒狼の戦士。向かいには赤鉄族の長・赤鋼、その隣に紫獅族の長・徨紫。

 密使は香炉の前に膝を折り、半歩下がって控えた。


 黒牙が、短く場を開く。


「……南は揺らぐ。北は“待つ”。」


 決まり文句ではない。現実の宣言だ。


 赤鋼が、低く鼻を鳴らす。


「蒼龍は三方に兵を割かねばならん。白陵は北へ割いている。

 ――で、北が待つことで何が落ちる。」


 密使は一礼し、香の白を見た。


「まず、お伝えすべきは白陵が何を抱えているかです。」


 徨紫の睫毛が微かに動く。

 黒牙は何も言わない。言わないことで、促す。


「白陵は、"とある二人"を庇護しています。

 名は今は伏します。正体の全ては白陵の内奥。

 ただ、確かなのは二人が“国家の力の割き先”になっていること。」


 赤鋼が初めて密使に目を向けた。


「数で言え。」


「北境への配備・護衛・内偵……目に見える戦力のみならず、判断の自由を縛っています。

 白陵は“二人を出せない”。そこが縛り目です。」


 密使は続ける。


「一方、蒼龍には一人います。こちらも名は伏します。」


 黒牙の目が、わずかに細まった。

 徨紫の指が、香炉の縁を一度、静かに叩く。


「――三。二と一。」


 徨紫の声は、淡く、鋭い。


「南の火の中心に、人がいるのですね。」


 密使は頷いた。


「兵や城塞だけで動く戦ではない、ということです。

 人が動けば、国が動く。

 白陵の二、蒼龍の一、――この三が、南の均衡を左右します。」


 赤鋼が唇の裏で小さく数え、短く言う。


「つまり、それを北が握れば、南の動きに“重し”を置ける。」


「簡潔に言えば、そうです。」


 香が淡く流れ、幕屋の奥で黒牙が言う。


「名はまだいらぬ。価値を言え。

 北にとって、その三人は何だ。」


 密使は、あえて宗教や神秘の言葉を避けた。


「交渉の核です。

 白陵は二人を失えない。蒼龍は一人を手放せない。

 北がそのうち一人を“預かる”だけで、南は北へ刃を向けにくくなる。

 また、北が“返す”と言えば、南は動きを止める。」


 赤鋼が即座に噛む。


「預かるにも費用が要る。護衛・食・医・冬の移動路。

 何を代に取る。」


「交易路の優先権、塩と鉄の比率の改定、北境における徴税免除の帯。

 白陵は払えます。払わざるを得ない。」


 徨紫が、わずかに顔を上げた。


「“預かる”というのは、客としてか。

 囚としてではないでしょうね。」


 密使は、即答した。


「客です。

 鎖は、北に似合わない。

 我らが望むのは北が“巻き込まれない”こと。客は楯になりますが、“餌”にしてはなりません。」


 徨紫の目が、そこだけ柔らかくなった。

 しかし声は厳しいままだ。


「医と儀は我らが司る。

 “誰”であろうと、名が落ちたなら、名にふさわしい扱いを受ける。」


 赤鋼が続ける。


「二人のうち、どちらを北が取るのが得か。」


 密使は一拍置き、慎重に言った。


「対外的な“揺れ”を最小で出すなら――**白陵が庇護している二人のうちの“片方”**です。

 蒼龍側の一人は、今、蒼龍の内政・軍の動きと深く結びつきつつある。

 そちらを動かせば、南は一気に燃え上がる。北が望む“待つ”を失う。」


 黒牙が、香の白の向こうでわずかに頷いたように見えた。

 徨紫の長い呼吸が、薄く変わる。


「――白陵が抱える二人。

 そのどちらかが、北に来る。」


 密使は、ここで初めて自分の刃を抜いた。


「こちらから、手を打つこともできる。」


 幕屋の空気が、ほんの僅かに逆巻いた。

 黒狼の若い戦士たちが、視線だけで互いを制す。


 黒牙は短い。


「言え。」


 密使は、跪いたまま頭を垂れる。

 その声音は、個としての覚悟を含んでいた。


「黒龍宗は本来、その“女”を殺すはずでした。

 ですが――私の独断で、方針を改めることができます。」


 徨紫の瞳が、ぱちりと開く。

 赤鋼の顎が、微かに止まる。


「殺すべき“標”を、北に引き渡す。

 客として。

 護りとして。

 交渉の核として。」


 香が高く上がり、すぐに低くなる。

 黒牙は、すぐには言葉を置かない。

 沈黙が、密使の首筋を冷たく撫でる。


 やがて、黒牙。


「……北は吠えぬ。

 獲物の影を見るまでは。」


 その“影”とは、名だ。

 そして、実利の表だ。


 赤鋼が静かに言う。


「客としてなら、費用を見せろ。

 護衛は何人、路はどこを通す、誰が迎え、誰が送る。」


 徨紫は別の刃で刺す。


「条件を言う。

 北の地では、血をもって誓わせる儀がある。

 客にはそれを課さない。

 ただし――“返す”時は、北の儀で“返す”。」


 密使は深く頷いた。


「承知。」


 徨紫の声が低く落ちる。


「名を。」


 幕屋の外、朝の気配がもう一歩だけ近づく。


 黒牙の視線が、密使の沈黙を計る。

 密使は、短く息を整え――

 まだ言わない。


「――次の評議で。」


 沈黙。

 刃のような静けさの中で、黒牙が結ぶ。


「よかろう。

 名と、路と、費用と、代。

 すべて持って来い。」


 密使は深く頭を垂れた。


(――ここまでが、私の独断の射程。)


 香の白がほどけ、幕屋の外で雪が細かく軋んだ。

 北はまだ吠えない。

 だが、牙は既に研がれている。

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