第十五章壱 曹華の復帰
休暇の日々は瞬く間に過ぎ去った。
路地裏での襲撃から十日。曹華は心身を整え、再び親衛隊副隊長としての職務に戻ることとなった。
復帰の初日、彼女は朝早くから制服を整え、槍を背に執務室の前に立っていた。
紫叡の厩舎での時間が心を癒してくれたものの、胸の奥にはまだ小さな緊張と不安が残っている。
それでも足取りは迷わなかった。
「私は戻る。親衛隊に、そして自分の場所に」――その思いを胸に、扉を叩いた。
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執務室の扉を開けたとき、そこにいたのは天鳳将軍と趙将隊長であった。
将軍は机の上の文を束ね、顔を上げる。その眼差しは厳しく鋭い――だが、どこかに安堵の色が見えた。
「曹華、入れ」
その声に従い、曹華は深く一礼した。
報告は簡単なものではなかった。
あの夜の襲撃、同じ親衛隊員が敵となり、刃を向けたこと。
そして必死に抵抗し、雷毅と仲間に救われたこと――。
曹華の言葉は途切れ途切れになりながらも、正確に、冷静に事の経緯を述べていった。
部屋の中には紙をめくる音もなく、ただ彼女の声と、静かな沈黙だけが流れていた。
すべてを語り終えたとき、曹華は深く頭を垂れた。
「以上が、襲撃事件の顛末にございます」
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しばしの沈黙の後、天鳳将軍が椅子から身を乗り出した。
その目は依然として鋭く、まるで訓戒を与えんとするように曹華を射抜く。
だが、その瞳の奥には確かな安堵が揺らめいていた。
「……よく生き延びた」
短く、それだけを言った。
声は厳しい。しかしその声音には、曹華を案じていた心が隠しきれずに滲んでいた。
隣に座していた趙将隊長は、もっと率直だった。
曹華を見つめる眼差しには、娘を思う父のような温かさがあった。
曹華が彼の娘と同じほどの年齢であることも、きっと関係していたのだろう。
「曹華……本当に無事でよかった…」
その声音には心からの安堵がこもっていた。
曹華は胸の奥が熱くなるのを感じた。休暇中、何度も孤独と疑念に苛まれたが、今この瞬間だけは、確かに「守られている」と実感できた。
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面談ののち、三人は揃って路地裏の現場へ向かった。
すでに血痕や瓦礫は片付けられていたが、そこに刻まれた気配は消えていなかった。
壁のひび割れ、焦げ跡のように残る痕跡――そこに立てば、あの夜の惨劇がいまだ生々しく蘇る。
天鳳将軍は足を止め、腕を組んだ。
「この場で親衛隊が裏切りを働いた。黒龍宗の影は、我らの背後にまで忍び込んでいる」
趙将隊長は周囲を静かに見渡した。
「……曹華、副隊長が無事だったのは奇跡に近い。だが、この痕跡を見れば分かる。奴らは本気でお前を葬ろうとした」
曹華は唇を噛んだ。
自分の命が狙われた現実、その裏に黒龍宗の影。
それでも彼女は静かに頷いた。
「はい。だからこそ、この職を投げ出すわけにはいきません」
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その言葉に、天鳳将軍の眉がわずかに動いた。
「……曹華、お前は強情だな」
苦笑のようなものが、その口元に浮かんだ。
趙将隊長は優しく頷いた。
「だが、それが曹華副隊長の良さでもある。強さと優しさを併せ持つ者だからこそ、隊も従うのだ」
曹華は二人の言葉に胸を熱くし、深く頭を下げた。
「必ず……応えてみせます」
その瞬間、心の中にあった澱のような不安が、少しずつ溶けていくのを感じた。
孤独ではない。信じてくれる者がいる。
彼女は再び槍を握る覚悟を固め、復帰の第一歩を踏み出した。
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こうして曹華は、復帰初日に天鳳将軍と趙将隊長の前で顛末を語り、現場を共に視察した。
厳しい眼差しの奥に潜む安堵、父のような温かさ――それは曹華にとって大きな支えとなった。
彼女の胸には、改めて強い決意が芽生えていた。
「私は、もう迷わない。仲間を信じ、自分を信じる」
その瞳は力強く輝き、曹華の新たな日々が、静かに始まっていった。




