第二章 曹華伝四 戦場と閨の悩み
訓練場で私は、自分が「女だから弱い」という先入観を打ち砕いた。
模擬戦での鮮やかな勝利は、嘲りを嘲り返し、日々の真剣な鍛錬は兵士たちの信頼を勝ち取っていった。やがて訓練場に私を蔑む者はほとんどいなくなり、彼らは一人の武人として私を認め、対等に扱ってくれるようになった。
だが、戦場や訓練場での居場所を得たその反面、私を取り巻く別の問題が現れた。
それは、宮廷内に巣くう女官たち――華やかな衣裳と冷ややかな視線を持つ彼女たちからの、陰湿な嫉妬と嫌がらせだった。
噂は、矢のように広がった。
「天鳳将軍に色を売っているらしい」──根も葉もない中傷。
「兵士たちに股を開いて取り入っている」──下劣な侮蔑。
昼の廊下、私の畳の間に小さな紙切れが滑り込まれていた。そこには嘲るような筆致で「女は処世術で動く」とだけ書かれていた。ある夜、風呂上がりに羽織っていた薄い上衣の裾が誰かに引かれ、裾が汚されていたこともあった。些細な嫌がらせの積み重ねは、心をじわじわと蝕む。
彼女たちのやり口は露骨だが巧妙だった。兵士たちの前では愛想よく振る舞い、目に見えぬところで毒を糸のように撒く。噂は人の口を伝って本来の意味をねじ曲げ、次第に私の周囲に「色事でのし上がった女」という影を落としていった。
私は、こうした女の戦いに慣れていなかった。故郷の村には、こうした陰湿な争いはなかった。父や母の教えは誠実さであり、人の価値は手で働いて示すものだった。ここでは顔立ちや振る舞いひとつが刃となる。それがどう対処していいのか、私は理解できずにいた。
やがて、嫌がらせは日常の小さな嫌味から、職務にも影響を及ぼす段階へと移った。書類の順番が意図的に入れ替えられ、私に不利になるような取り次ぎが行われる。厨房での食事が冷たく置かれるようになる。表向きは些細であっても、その累積は私の立場を蝕んだ。
私は考えた末に、天鳳将軍に相談するという屈辱的な一手に出ることにした。父の仇であり、いずれ討たねばならない相手に、個人的な悩みを預ける——その行為自体が、自分の矜持を破るようで苦しかった。だが、白華と興華の行方を知るため、この地で生き延びるためには、如何なる羞恥をも飲み込む覚悟が必要だった。
執務室の重い扉の前で、私は深呼吸をひとつした。将軍は書類に目を落としたまま、私の報告を待っている。声は震えたが、事実を淡々と伝えた。
「女官たちが、私に対して嘲りや噂を流し、職務に支障を来しています。対処の方法が分かりません……」
天鳳は書類から顔を上げ、私を一瞥した。反応は —— 驚きでも哀れみでもなかった。
しばらく沈黙が続き、やがて彼は小さく笑った。
その笑みは決して慰めのものではなく、どこかこの状況を面白がっているかのように見えた。
「私は――“実力で黙らせろ”と言ったはずだが?」
彼の言葉は冷たく、だが明快だった。私は反論の言葉を持たなかった。将軍の言葉は、私にとって再び重い枷となると同時に、試練を越えるための単純明快な指針でもあった。
「…返す言葉もございません」
私が頭を下げると、天鳳はさらに付け加えた。
「女の嫉妬ごときで、お前の“価値”を失うな。面倒な噂は人を殺せはしないが、立場を蝕む。故に、お前は己の力量を磨き、結果で黙らせるのだ。――そして、時に策略も用いるが良い。だが愚かな報復は禁物だ」
その言葉は冷徹だが実務的だった。天鳳は単に力頼みの解決を求めているわけではなく、状況を戦略的に扱う術も教えようとしているのだと私は感じた。
私は問い返した。どうすればいいのかと。天鳳は一枚の書き付けを私に渡した。そこには、宮内の行事予定と、女官たちの名簿、そして小さな矛盾点がいくつか赤で印されていた。
「まずは、見える場所で己を研げ。次に、同僚の弱点を把握し、味方を作る。噂は流す者に返るように仕向けよ。だが――直接的な対決は避けよ。公の場での崩れは、君の価値を致命的に損なう」
天鳳の指示は実務的で冷静だった。私は言われた通りに動き始めた。見える場所で剣を振るい、仕事を正確に行い、細かな気配りで周囲の不満を小さくしていく。噂を流す女官の行動パターンを記録し、些細なミスを突くことで相手の信頼を徐々に奪うように仕向けた。これは、私にとって新しい戦い方だった——刃ではなく術(ことばと行動)で戦う戦法である。
やがて、宮廷内の空気は少しずつ変わり始めた。女官たちの嘲りは次第に力を失い、公の場で私を毀損する者は減っていった。兵士たちの間での私への敬意は宮内にも伝播し、やがて一部の女官は私に距離を置くようになった。だが、それは決して完全な勝利ではない。常に監視の目と噂の火種は残り続ける。私の心は静かな疲労で満ちていった。
それでも私は学んだ。ここでは剣だけが道ではない。知を以て立つこと、立ち回りを知ること、それもまた戦であると。
天鳳が与えた試練は、私を鍛え、少しずつ、この敵地での「居場所」を作り上げてくれた。私がこの場所で生き延びるための、もうひとつの武である。




