第十四章拾参 親衛隊を蝕む影
曹華副隊長が同じ親衛隊の隊員に襲撃された――その報は、瞬く間に蒼龍京の軍中に広がった。
しかも、襲撃者の一人は馬成。親衛隊に籍を置き、曹華と共に汗を流してきたはずの男である。
「仲間が仲間を狙った」――その事実は、天鳳将軍の部隊だけでなく、他の将軍の麾下にも衝撃を与えた。
兵士たちは口々に囁き合う。
「曹華副隊長が狙われるとは……」「内部に裏切り者が……」「黒龍宗の影か?」
その声は日に日に増し、士気の低下は否応なく広がっていった。
親衛隊は皇帝直属の精鋭であり、その崩壊は即ち国の屋台骨を揺るがす。
この事態は、単なる一兵士の暴走では済まされぬ深刻さを孕んでいた。
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その日の夜、天鳳将軍の執務室には、遅くまで灯火が揺れていた。
机上には報告書が積まれ、地図が広げられ、蝋燭の炎に照らされた二人の顔は険しい。
「……曹華を副隊長に据えたのは私だ。まさか、ここまで狙われるとは」
天鳳は低く呟き、深い溜息を吐いた。
趙将隊長は黙って頷き、しかしその眼差しは厳しかった。
「将軍、曹華は無事だった。それが唯一の救いです。だが――内部崩壊ほど恐ろしいものはありません。外からの敵よりも、内からの裏切りこそ脆い」
天鳳は机に置いた拳を固く握りしめた。
「黒龍宗がここまで入り込んでいる……私の目は節穴か」
趙将もまた、深い苦悩を抱えていた。
曹華を思う仲間の多くが彼女を守ろうとしている一方、冷ややかな視線を送る者もいる。
「士気を保つために、早急に真相を明らかにせねばならない」と二人は結論づけた。
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数日後、捕らえられた馬成と「路地裏の男」は、厳しい取り調べを受けた。
鞭打ち、吊し上げ、火で炙られる――凄惨な責め苦に、最初は口を閉ざしていた二人も、やがて限界を迎えた。
「……黒龍宗……密使が……いた……」
呻くように馬成が吐き出したその言葉に、尋問を担当していた兵士たちは息を呑んだ。
「密使……やはり背後に……!」
だが、二人の口からそれ以上の情報は引き出せなかった。密使の素性も所在も、徹底して隠されていたのだ。
「まるで影だな……」
報告を受けた天鳳は、椅子に深く沈み込んだ。
趙将もまた渋面を浮かべ、「密使を突き止めねば、同じ悲劇が繰り返される」と苦々しく呟いた。
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ついに天鳳は決断した。
「もはや一部隊だけで抱える問題ではない。蒼龍京を守る五将軍、全員に伝えねば」
宮廷の会議室に、五人の将軍が揃った。
天鳳将軍、麗月将軍、影雷将軍、土虎将軍、そして牙們将軍。
冒頭、天鳳は席を立ち、深く頭を垂れた。
「まずは、私の部隊の不始末を謝罪する。曹華副隊長が狙われた一件、黒龍宗の影響が内部に及んでいることは間違いない」
その声は重く、会議室を圧した。
「襲撃者の供述で、密使の存在も判明した。だが、その姿は未だ掴めておらぬ」
麗月も影雷も土虎も、黙って聞き入っていた。
彼らの目には不信と警戒、そして深い懸念が浮かんでいた。
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その重苦しい沈黙を破ったのは、牙們将軍だった。
「……天鳳将軍。その密使の男なら、私が仕留めた」
場の空気が一変した。
「何……!?」
麗月が眉を上げ、影雷は険しい顔で牙們を見据えた。
牙們は手を叩き、部下を呼び入れた。
部下が抱えてきたのは、大きな木桶。
蓋を外すと、中には生々しい人間の首が沈んでいた。血の匂いが会議室を満たす。
「これが、黒龍宗の密使だ」
牙們の声は冷ややかだった。
彼は首を指し示し、麗月・影雷・土虎に問いかけた。
「この顔に、見覚えはあるか?」
三人は一様に目を凝らし、やがて首を横に振った。
「心当たりはない」
「私の兵に、このような者はおらぬ」
会議室には再び沈黙が落ちた。
血の匂いと、桶に沈む首が、その沈黙をさらに重苦しいものにしていた。
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天鳳は深く息を吐いた。
密使は確かに存在し、その首はここにある。だが、なぜ彼が曹華を狙ったのか、どこから入り込んだのか――闇は深まるばかりだった。
「……黒龍宗は、我らのすぐ傍まで迫っている」
会議室の空気は、張り詰めた弦のように緊迫していた。
牙們は冷然と黙し、麗月も影雷も土虎も、それぞれの胸中に不安と疑念を渦巻かせていた。
そして、曹華を巡る暗い影は、ますます深くなっていくのだった――。




