第十四章拾弐 顕現の真実
中庭に吹き荒れた烈風が、ようやく収まりを見せた。砕けた石畳の上には、血に染まった彗天の骸と、剣を握ったまま立ち尽くす興華、そして雪嶺大将と凍昊中将の姿があった。興華の肩は大きく上下し、荒い息と共に胸中の激情を吐き出している。雪嶺もまた、老練な将でありながら、その瞳には深い疲労と痛みが宿っていた。
やがて、人々が駆け付けてくる。最初に現れたのは清峰宰相、そして霜岳大司徒。その背後には、皇子皇女たちの姿もあった。さらに、荘厳な衣を翻して現れたのは、護衛を従えた氷陵帝その人である。
「……改めて問うが…これは、何事だ」
帝の声は低く、だが中庭全体を震わせるような威圧を帯びていた。
その場に膝をつき、血で汚れた剣を横に置いていた凍昊中将が、深く頭を垂れて答える。
「……彗天は、黒龍宗に堕ちました。中庭で興華殿と激突し、最後はこの私が止めを刺しました」
その言葉に、中庭に集った者たちの間にざわめきが広がる。黒龍宗――その名はこの国の根幹を蝕む闇として知られ、だがまさか、忠義厚き中将が堕ちていたなど誰が想像しただろうか。
次に雪嶺が一歩前に出て、帝と一同に向き直る。老将の声音は重く、抑えきれぬ痛みを帯びていた。
「……そして、彗天は白華を斬りました。この目で、確かに見たのです」
その場の空気が凍り付く。
宰相は顔を蒼白にし、霜岳大司徒は口を押さえて言葉を失う。天華皇女は「嘘……」と呟き、雪蓮皇女はその場に崩れ落ち、嗚咽を漏らした。華稜皇子は愕然と立ち尽くし、やがて力なく膝をついた。
氷陵帝ですら、表情を硬直させたまま動けない。忠義と才覚を兼ね備えた若き才女、白華がこの場にいないという現実――それは、国家全体の未来を揺るがす衝撃であった。
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雪嶺は沈黙を守ったまま、一同を導いて歩き出す。
「……皆様、こちらへ」
彼らが辿り着いたのは、先ほどの回廊の奥。そこには、横たわる「白華の亡骸」があった。
裂けた衣、頬に広がる蒼白、瞳は閉ざされ、血に濡れた体は冷たく沈黙している。
「……ああ……」
清峰宰相が呻き、霜岳大司徒は思わず目を覆った。
天華皇女は涙を流し、「白華……」と嗚咽する。雪蓮皇女も震える指先で亡骸に触れようとしながら、「いや……こんな……」と声を詰まらせた。
氷陵帝はしばらくの間、言葉を失い、ただ静かに佇む。だが、その帝ですら、目の奥に深い痛みを隠せなかった。
興華は亡骸の前に膝をつき、拳を固く握りしめた。
「……姉上……俺が……守るはずだったのに……!」
その声は嗚咽に混じり、血の涙のように胸を抉っていた。
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その時だった。
亡骸の胸元から、淡い光が零れ始める。
「……!?」
誰もが息を呑んだ。
光は柔らかく、しかし確かな力を帯びて広がり、亡骸全体を包み込んでいく。血で染まったはずの衣が透き通るように揺らぎ、肉体そのものが光の粒子となって崩れていった。
そして――。
その奥から、無傷の姿の白華がゆっくりと立ち上がった。
彼女の瞳は澄み切り、顔色ひとつ曇ることはない。その立ち姿は、まるで死の淵から甦った女神のように、凛としていた。
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「……白華……! これは一体!?…幻か……!?」
氷陵帝が声を震わせ、我知らず前に進み出る。
「白華殿……!」
華稜皇子は涙を浮かべて手を伸ばし、その名を呼ぶ。皇女たちもまた、嗚咽混じりに白華の名を叫んだ。宰相と大司徒は互いに視線を交わし、ただ驚愕に口を閉ざすしかなかった。
白華は静かに一礼し、毅然と答える。
「これは仙術です。私の霊力を媒体にした分身体。……こうでもしなければ、彗天中将の凶行を証明することはできませんでした」
その言葉に、皆は一斉に息を呑む。
「仙術……ここまでのものを……」
「若きにして、この胆力……」
宰相も大司徒も呟き、氷陵帝はしばし言葉を失った。
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華稜皇子は震える手を胸に当て、心の中で叫んでいた。
(……生きていた……白華殿……!)
死を覚悟した絶望から、光の奇跡による再会へ。胸に去来した安堵と歓喜は、かつての想いをさらに強くし、深く根付かせた。涙は止めどなく頬を伝い、胸は張り裂けるほどに高鳴っていた。
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一方で雪嶺は沈黙のまま、白華の背を見つめていた。
彼だけは、最初からこの仙術の仕掛けを知っていた。しかし――目の前で驚愕し、涙を流す人々を見ながら、胸の奥底に重い思いが去来する。
(……白華よ。お前は、どこまで背負うつもりなのだ……)
若き才女が、己の命を賭してまで守ろうとしている何か。その胆力を誇らしく思いながらも、同時に深い憂慮が胸を覆う。
(この若さで、この覚悟を……果たして、この国はお前に何をさせておるのか……)
雪嶺は静かに目を閉じ、再びその瞳を開けた時には、すでに決意が固まっていた。
――この才女の背を、何があっても守り抜く、と。
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白華の仙術が示されたことで、彗天の凶行は紛れもない事実として証明された。
しかし同時に、この事実は、黒龍宗がすでに白陵国の中枢を侵食していたことをも意味している。
白華は毅然とした声で言い放った。
「……これで隠し立てはできません。彗天中将は黒龍宗に操られていました。そして、この国を狙う影は、すでにここまで迫っています」
その言葉は宮廷全体を震わせ、一同は息を呑んだ。
やがて訪れるのは、さらなる混乱か、それとも結束か。
白陵国は、否応なく新たな局面へ突入しようとしていた――。




