第十四章参 路地裏の罠(三)
馬成の剣が振り下ろされる。路地裏の男の刃が横から迫る。
曹華は小刀を握りしめ、必死に受け流し、身体をひねって刃の軌跡から逃れる。肩口に焼けるような痛みが広がるが、それでも瞳に諦めはなかった。
その瞳を見て、馬成の心にさらに憎悪が燃え上がった。
「なぜ……! なぜお前はその眼を失わない!」
仲間であったはずの彼女に裏切られたと信じ込み、自らの選んだ暗い道を正当化するかのように、馬成は怒号を上げながら剣を繰り出す。
屋根の上から眺めていた密使は、冷ややかに笑った。
「よい。憎悪は剣を研ぐ。殺せ……馬成」
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その瞬間――鋭い金属音と共に、路地裏に甲高い警笛の音が響き渡った。
「曹華殿!」
声と共に駆け込んできたのは、親衛隊の隊員たちだった。その先頭に立つのは趙将隊長。そして雷毅。彼らの後ろには五人の隊員が続いていた。
「馬成! 何をしている!」
雷毅の声が轟く。怒りに燃えるその眼差しは、剣を振るうよりも鋭い迫力を帯びていた。
趙将隊長は素早く状況を把握し、即座に命じた。
「二人を囲め! 武器を叩き落とせ!」
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親衛隊員たちは訓練で鍛えられた迅速な動きで馬成と路地裏の男を取り囲む。混乱した二人は抵抗を試みたが、多勢に無勢だった。馬成の剣は雷毅の渾身の一撃によって弾き飛ばされ、路地裏の男もまた背後から隊員に取り押さえられた。
「放せ! 俺は……!」
馬成はなおも叫んだが、押さえ込まれ、地面に叩きつけられた。彼の瞳には、怒りと後悔と、説明のつかない恐怖が混じっていた。
曹華はその様子を見届けると、力が抜けるようにその場に膝をついた。小刀は手から滑り落ち、荒い呼吸だけが胸を上下させる。
雷毅が駆け寄り、肩を支えた。
「曹華! 大丈夫か!」
曹華はかすかに笑みを作ろうとしたが、声にはならなかった。胸の奥でただ、(……来てくれた)と呟いた。
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屋根の上からその光景を見ていた密使は、舌打ちをした。
「……くだらぬ。好機を逃したか」
彼は音もなく立ち上がり、屋根から飛び降りようとした。その口元には、もはや愉悦ではなく、苛立ちが浮かんでいた。
「馬成、役立たずめ。曹華よ、貴様は長くは生きられぬ……」
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その時だった。
「どこへ行く」
密使の背後から低い声が響いた。驚いて振り返った瞬間、冷たい閃光が身体を貫いた。
「……っ!」
密使は絶叫し、膝を折った。振り返った視界に映ったのは、闇に佇む一人の男。その輪郭を見た瞬間、密使の目は驚愕に見開かれた。
「……お前は……牙們……」
血が口端から溢れ、声はそこで途切れた。密使の身体は力を失い、石畳に崩れ落ちた。
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路地裏に残されたのは、縛られた馬成と路地裏の男、そしてへたり込む曹華。そのすぐ脇に雷毅が寄り添い、趙将隊長が厳しい眼差しで全体を見渡していた。
だが、その屋根の上で密使を仕留めた男――牙們の正体を知る者は、誰一人としてまだいなかった。
夜の路地裏は、静けさを取り戻したように見えた。だが、曹華の胸には強烈な不安と恐怖、そして何より、己が誰かに狙われているという現実が焼き付けられていた。




