第十三章陸 執務室の二人
親衛隊の訓練場に響くのは、槍と剣がぶつかり合う乾いた音だった。
夕陽が赤く差し込む中、曹華と雷毅が向かい合っている。互いに汗をにじませ、だが眼差しは真剣そのものだ。
「雷毅、また同じ癖が出てる。重心が後ろに逃げてるよ」
槍を突き込んだ曹華が素早く引き、指摘を投げる。
雷毅は苦笑しながら剣を構え直す。
「……ああ、やっぱり見抜かれてたか」
「何度目? 同じ手を繰り返すのは私、嫌いなんだ」
次の瞬間、雷毅が鋭く踏み込んだ。剣の切っ先が槍の軌跡を追い、曹華は体を滑らせてかわす。彼女の足取りは舞のように軽やかで、雷毅はそのたびに「敵わない」と感じさせられた。
だが、劣勢でも彼は退かない。曹華と打ち合うことで、自分の剣は鍛えられている――その確信が胸にあるからだ。
稽古がひと区切りつくと、二人は肩で息をしながら互いに視線を交わした。
「……やっぱりお前、強くなったな」
「鍛えてるからね」曹華は短く返し、口元にわずかな笑みを浮かべた。
それは戦場で見せる冷徹さとは違う、年相応の娘らしい笑顔だった。
雷毅の胸が熱を帯びる。だが彼は何も言わない。ただ、また剣を握り直した。
(俺は、この人を守りたい。戦友としてだけじゃない。だけど……)
胸の奥の想いを言葉にすることなく、雷毅は再び剣を構えた。曹華もまた槍を握り直し、二人の影は夕暮れの訓練場に溶けていった。
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夜が訪れるころ、将軍府の執務室。
天鳳将軍は分厚い報告書を机に並べ、正面に座る趙将隊長と話を進めていた。
「親衛隊の状況はどうだ」
将軍の問いに、趙将は少し口元を緩めた。
「曹華と雷毅、この二人のおかげで締まっております。互いを競い合い、兵たちの士気を引き上げております」
天鳳の表情に柔らかな色が差した。
「……あの二人は歳も同じ、よき競い手だな。私情を持ち込むこともないだろう。安心して見ていられる」
趙将も頷いた。
「はい。兵たちもあの二人を見て励まされています。曹華は女性でありながら一目置かれ、雷毅は彼女に並ぼうと必死。微笑ましいものですよ」
二人の間にわずかな笑いが漏れ、重苦しい戦乱の時代に一瞬だけ穏やかな空気が漂った。
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だが、会話はすぐに現実の重さへと戻る。
天鳳の声が低くなる。
「……しかし、黒龍宗の影が京の空気を濁らせている」
趙将も表情を引き締め、報告書の束を差し出した。
「街の噂をご覧ください。曹華に関する悪評が流され始めています。『若い女が将軍府を動かしている』『天鳳様に取り入っただけの小娘だ』――根も葉もない話ばかりですが、耳に入れば心を曇らせる者も出てきます」
天鳳は書面を受け取り、しばし無言で目を走らせた。
紙に刻まれた言葉は鋭い毒のようであった。
「……噂は兵の心を蝕む。だが、それ以上に気になるのは親衛隊の中の不穏な気配だ」
天鳳の声は低く、しかし確信を帯びていた。
趙将が頷き、眉間に皺を寄せる。
「はい。外の噂よりも内の崩れの方が恐ろしい。内部崩壊ほど脆いものはありません。巡回を増やし監視は強めていますが、見えぬ火種は消しにくい……」
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やがて天鳳が口を開いた。
「曹華と雷毅を守れ。二人は親衛隊の要だ。黒龍宗はそこを突く」
趙将は深く頭を垂れ、拳を胸に当てた。
「承知しました。どのような影が忍び寄ろうとも、必ず守り抜きます」
窓の外では夜風が吹き抜け、遠く街の灯が瞬いていた。
そこに潜む影を見据えるかのように、二人の将は視線を交わした。
「趙将……我らが気づいている以上に、敵は先を打っているやもしれん」
「だからこそ、こちらも心を一つにせねばなりませんな」
その言葉に、二人の決意が交差した。
戦場で剣を振るう戦いではない。だが静かに、確実に進む影との戦いが、すでに始まっていることを二人は悟っていた。
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曹華と雷毅の青春めいた鍛錬の情景と、天鳳と趙将が語る暗雲の予兆。
光と影が交錯する蒼龍国の夜は、静かでありながら不穏なざわめきを孕んでいた。
「影はすでに、我らの傍にいる」
天鳳の胸にその思いが過ぎる。
やがて訪れる嵐を前に、執務室の灯火は小さく揺れ続けていた――。




