第十一章拾漆 帰還のとき
蒼龍国・天鳳将軍の凱旋
蒼龍京の大城門がゆるやかに開かれ、黒羽を象徴する軍旗が風に高くはためいた。
戦場の塵をまといながらも整然と進む軍列。その先頭に立つのは、蒼龍国筆頭将軍・天鳳であった。
国境での長きにわたる緊張を終え、彼とその一行はようやく都へ帰還したのだ。
街路の両脇には民が詰めかけ、兵の姿を目にして口々に歓声をあげる。
「将軍がお戻りになったぞ!」
「蒼龍は安泰だ!」
民衆の声は、疲れた兵たちの胸に温かな力を注いでいた。
将軍府の正門前。留守を預かった曹華と趙将隊長が、厳然と整列して待ち受けていた。
曹華は深呼吸をひとつしてから前へ進み出る。胸の鼓動は少し早く、緊張というよりは安堵と期待の入り混じった高鳴りだった。
二十歳の娘としての心と、副隊長としての責務。その両方が彼女の表情を引き締める。
「――お帰りなさいませ、天鳳将軍」
曹華は丁寧に一礼し、澄んだ声を放った。その響きには、隠し切れぬ安堵がにじんでいた。
天鳳はわずかに頷き、穏やかな眼差しを彼女に向ける。
「趙将、曹華。留守をよく務めてくれた。おかげで心置きなく国境に臨めた」
その一言に、曹華の胸に熱いものが込み上げた。
――あぁ、この背を支えるために、私は剣を取り、盾を掲げてきたのだ。
彼女は一歩進み、柔らかな微笑を浮かべて返す。
「将軍がご無事で戻られたこと……それだけで十分でございます。兵も皆、心から安堵いたしております」
隣に控えていた趙将も「まったくですな」と声を添えた。
すると天鳳の口元に、ほんのわずかな笑みが生まれる。
それは曹華にとって、何よりも重い戦功に勝る報酬のように思えた。
だが、彼女の胸奥では別の影が揺れていた。
――白華姉さん、興華。
氷陵帝が「正体不明の若者を庇護している」との噂。真偽は不明で確証もない。
それでも、曹華は信じたかった。必ず生きている、と。
拳をそっと握りしめ、心中で静かに誓う。
(たとえ再会がいつになるか分からなくても……私は必ず、この国を守り続ける。そしてまた、三人で笑える日を――)
その時、行列の後方から雷毅が姿を現した。
鎧は煤けていたが、その瞳は変わらず真っ直ぐに光を放っている。
曹華の顔にぱっと笑みが広がり、思わず駆け寄った。
「雷毅! 無事で、本当によかった……」
声には年相応の少女らしい響きが混じっていた。副隊長としての緊張を張り詰めていた曹華も、心の奥底ではただ再会を喜ぶ娘に過ぎなかった。
雷毅は一瞬驚いたように目を丸くしたが、すぐに柔らかな笑みを返した。
「曹華殿も変わりなく……。留守を預かってくださり、感謝いたします」
二人の間に、言葉以上の思いが交差した。
しかし曹華はそれを胸に秘め、再び副隊長としての顔へと戻る。
「……これからが本当の務めです。共に、将軍をお支えいたしましょう」
その声はしっかりと、責任を背負う響きを宿していた。
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白陵国・首都への帰還
一方その頃、白陵国の首都では氷陵帝の馬車が宮城へと入城していた。
随行していた白華と興華も、ついに帰還を果たしたのである。
玉座の間に姿を現すや否や、清峰宰相と霜岳大司徒が慌ただしく駆け寄ってきた。
「白華殿! ようやく戻られましたか!」
「お戻りいただけて本当に助かります! 政務が滞って仕方がないのですぞ!」
両名の大げさな声に、白華は小さく肩を竦めて苦笑した。
「……私はただの補佐にすぎませんのに。宰相や大司徒がおられて、政務が止まるなどあり得ないでしょう」
しかし清峰と霜岳は同時に首を振り、声を張り上げる。
「いや! 白華殿がいなければ文が前に進まぬのです!」
「さあ、すぐにでも机に向かっていただきたい!」
困惑する白華を見かねて、氷陵帝が苦笑混じりに口を開いた。
「宰相、大司徒。せめて今日くらいは休ませてやれ。若い身に、あまり負担をかけてはならん」
その一言に、二人は渋々ながら押し黙った。
白華は深々と頭を下げ、帝の温情に感謝した。
――この国にあって、私が背負うべきものが確かにある。だが、それでも今は少しだけ、安堵の息をつきたい。
その頃、興華は既に近衛隊の兵舎に向かい、訓練を再開していた。
「まだまだだ…姉上たちに追いつかねば……」
幼さの残る声の奥に、確かな決意があった。
彼の姿を見た若い近衛兵の一人が小声で漏らす。
「……あれが噂の若者か。帝が目をかけるはずだ」
興華は振り返らず、木剣を構えた。額に汗を滲ませながら、ただ前へ進もうとする。
彼の胸には、二人の姉と共に歩んだ日々の記憶がまだ鮮やかに燃えていた。
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白陵国では、帝と共に帰還し、政と武それぞれの場で新たな役割を果たし始める白華と興華。
蒼龍国では、将軍の凱旋を迎え、希望と責務を胸に誓い直す曹華。
それぞれの道は異なれど、三人の華は確かに同じ空の下にあった。
しかしその空には、なお黒龍宗という影が漂い続けている。
安堵の時も束の間、やがて再び試練が訪れることを、誰もが心の奥で感じていた――。




