第十一章拾伍 帰還の道
一 白陵国・首都への帰還
天脊山麓での長き睨み合いと黒蓮冥妃の襲撃を経て、白陵国軍は撤収を終えた。
氷陵帝の馬車は、整然とした列の中心にゆるやかに進んでいる。幾重にも重なった護衛の兵が道を固め、戦火に晒されたとは思えぬ静けさの中、行軍は首都へと続いていた。
白華は帝の御座の隣に控え、姿勢を崩さずに外の景色を眺めていた。瞳は凛として揺らぎなく、重圧の中にあっても大国の客人にふさわしい気品を纏っていた。
その対照のように、興華は馬車の窓辺に座り、青々と広がる田野や遠くの山並みに目を奪われていた。大軍の影から解放された安堵が、幼さの残る横顔に柔らかい表情を浮かべさせる。
氷陵帝はそんな二人を横目に見やり、ふと心の奥で呟いた。
――やはり、この二人に流れるものは尋常ならぬ。
国を揺るがす大戦のただ中にあっても怯むことなく、むしろ静けさと強さを宿す瞳。
「器」という言葉が、帝の胸中に重く響いていた。白陵国の未来を背負う可能性、その片鱗を彼らに見ていたのである。
馬車の車輪が石畳を鳴らし、行列はゆっくりと都へ近づいていく。長き戦野を離れ、民の営みの中へ帰る道――白華と興華にとっては未知の未来へ踏み出す道でもあった。
二 蒼龍国・将軍の帰還を待つ宮城
一方その頃、蒼龍国の宮城は落ち着かぬ気配に包まれていた。
天鳳筆頭将軍と麗月将軍が北方から帰還するとの報は、すでに都に届いている。会談の成就、そして撤収の成功は国に安堵をもたらすはずだが、黒龍宗という不気味な影を思えば、喜びもまた薄氷の上のものであった。
将軍府の奥では、曹華が留守居役として奔走していた。
机に積まれた文を整理し、兵の配備を指示し、やがて到着する将軍を迎える準備を怠りなく整える。
その傍らには趙将隊長が控え、兵士たちの士気を見回り、緩みを許さぬ眼差しで陣を整えていた。
だが、曹華の胸中には任務とは別の思いが渦巻いていた。
――白華姉さん、興華……。
氷陵帝が「正体不明の二人の若者を庇護している」との噂。それが真実かどうか、確証はない。けれど、その曖昧な情報こそが、彼女にとって唯一の希望だった。
もしかしたら、あの二人はまだ生きているのかもしれない。遠い地で、別の名を与えられて生きているのかもしれない。
そう信じることでしか、曹華は戦乱の中で己を保つことができなかった。
彼女は文を置き、深く息を吐いた。
「必ずまた会える。きっと……」
心の奥でそう呟きながら、目の前の責務に再び意識を向ける。国を守ること、それがいずれ三人を結ぶ道になると信じて。
三 道の分岐と共通の影
白陵国の帰還の道は、帝を守りながら静けさを取り戻す道。
蒼龍国の待機の道は、将軍を迎えつつ未来の不安を抱く道。
二つの国はそれぞれに安堵を抱きつつも、胸の奥には同じ影を潜ませていた。
黒龍宗――大陸を覆う暗雲は、依然として消えることなく漂っている。
たとえ一時の平和を手にしても、その影がある限り、真の安寧は訪れぬことを両国の者たちは知っていた。
そしてその影は、やがて白と蒼の道を再び交差させることになる。
だがその時を、この日誰一人として予見することはできなかった――。




