第十一章拾 白と黒と蒼
撤収の最終段階。残るは両国の最後の一部隊。
雪嶺大将と天鳳筆頭将軍は、再び両軍の中間地点に設営された天幕で向かい合った。
前回の会談では互いに探り合い、黒龍宗という影を見据えることで合意に至った。その後の撤収も順調に進み、今や大局は安定しつつある。だが、最後の一歩を見届けるため、両国の指揮官は再び会したのだった。
随行には、白陵国から凍昊中将、蒼龍国から牙們将軍。
天幕の外では、それぞれの親衛隊が厳重に警戒を固めていた。
空気は前回よりも和らいでいたが、それでも張り詰めた緊張は消えない。
この場にあるのは両軍の大将たち、そして――黒龍宗が再び動くのではないかという予感であった。
会談が始まって間もなく、突如として外から鋭い叫びと剣戟の音が響いた。
闇から滲み出るように、黒き影――影兵が天幕を取り囲み、外の親衛隊へ襲いかかったのである。
槍が折れ、焚き火が散らされ、混乱が走る。
だが即座に牙們将軍と凍昊中将が前に出た。
「怯むな! 斬り払え!」
牙們の剣閃が闇を裂き、数体の影兵を粉砕する。
「隊列を乱すな! 私に続け!」
凍昊の重槍が地を踏み砕き、兵たちを鼓舞する声が響く。
二人の猛将の奮戦により、親衛隊の士気は瞬時に持ち直し、天幕の外では防衛線が築かれた。
牙們と凍昊は互いに視線を交わし、言葉なく頷く。今は国も立場も関係ない――ここを守り抜くことこそが役目だ。
二人の将が立ち上がることで、親衛兵たちは恐怖を押しとどめ、隊列を組み直して応戦した。
影兵の群れはなおも蠢くが、凍昊と牙們の奮戦によって天幕の防衛線は保たれた。
こうして天幕の内に残されたのは、雪嶺大将と天鳳筆頭将軍、そして――
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静寂を裂くように、天幕の中央へと黒い霧が滲み出す。
やがて、その霧から一人の女の姿が現れた。
黒蓮冥妃。
闇を纏い、妖艶にして冷ややかな気配を放つ黒龍宗の副教主。
「……ようやく顔を揃えたか。白陵の将、そして蒼龍の将よ」
その声は艶めいていながら、同時に魂を凍り付かせる威圧を孕んでいた。
天鳳は即座に立ち上がり、手を剣の柄に添える。
「やはり……黒龍宗。貴様らが背後にいたか」
雪嶺大将も椅子を押しのけ立ち上がり、片手で大刀を握った。
「黒蓮冥妃――噂に名高き黒龍宗の女傑か。ここに姿を現すとはな」
黒蓮冥妃は艶やかに微笑み、二人を見渡す。
「滑稽なものだ。互いに剣を突きつけ合っていた者どもが、いまや同じ机を囲んでいる。だが、貴様らの盟約など無意味だ。黒龍宗の前では、いずれ等しく滅びる」
雪嶺の眼が鋭く光る。
「脅しに来たか。だが、我らはお前たちの掌の上で踊る木偶ではない」
天鳳も冷静に告げる。
「盟約を嘲ろうとも構わん。だが、この両国を弄ぶことは許さぬ」
黒蓮冥妃の笑みが深まり、その瞳に妖しい光が宿る。
「ならば教えてやろう。龍脈を狙う“器”が、近くに在る。お前たちの国の中にな」
その言葉は、確かな挑発だった。
雪嶺も天鳳も心の奥で動揺を覚えながらも、決して表には出さない。
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黒蓮冥妃は艶やかに片手を翻し、闇を刃と化して放った。
「まずは、力を試してやろう」
天鳳が即座に剣を抜き放ち、鋭い一閃で受け止める。
「……来るか!」
同時に雪嶺も大刀を振り下ろし、闇の刃を弾き飛ばす。
「ぬるいぞ!」
二人の攻撃を黒蓮冥妃は片腕で受け流し、余裕を滲ませる。
「ふふ……なるほど。名ばかりの将ではないようだ」
しかし、天鳳と雪嶺は即座に視線を交わし、無言で連携する。
雪嶺の大刀が力強く薙ぎ払い、天鳳の剣が鋭く突き込む。
二つの刃が絶妙に重なり、黒蓮冥妃を左右から挟み込む。
「……っ!」
余裕を見せていた黒蓮冥妃の口元に、初めてわずかな苛立ちが浮かぶ。
闇を纏って後退し、二人の攻撃を辛くも受け流した。
「思ったよりも……骨があるな」
天鳳の瞳は鋭く光る。
「黒龍宗の副教主だろうと、我ら二人で斬り伏せられぬ相手ではない」
雪嶺は豪快に笑い声を上げる。
「よかろう! 冥妃とやら、ここでその命を賭けてみるがいい!」
黒蓮冥妃の瞳が冷たく細められ、闇がさらに濃さを増していく。
戦端は、もはや避けられぬものとなっていた。




