第十章 曹華伝五十八 交代
泰延帝の勅命を受けて七日。
麗月将軍と牙們将軍は、精鋭二万の兵を率い、北境へと進発した。
天脊山脈の麓、すでに陣を構えていた影雷将軍と土虎将軍の本営へと到着すると、すぐさま引き継ぎが行われた。
交代の手順は滞りなく進み、影雷と土虎は安堵の色を見せぬまま、無言で駒を引き渡した。守勢の構えを崩さず、冷徹な眼差しのまま彼らは後事を託した。
やがて、北境の陣に新たな二人の将が腰を落ち着けると、最初の斥候報告が飛び込んできた。
「白陵国の軍陣に、氷陵帝が直々に臨まれました。軍事演習部隊の視察と、士気高揚のための観閲行進が行われた模様です」
この報を聞いた瞬間、幕舎の空気は重く変わった。
麗月将軍は静かに息を吐き、長い睫毛の影に瞳を伏せる。
「……氷陵帝自ら、か。白陵国がただの演習にここまで重きを置くとは思えぬ。将兵に誇示するためか、あるいは我らへの示威か」
牙們将軍は腕を組み、険しい顔で唸った。
「狙いは二つに一つだ。蒼龍国を牽制し、黒龍宗の動きをも測ろうとしているのだろう。奴らの軍は大陸随一の規模、力を見せつけるだけで充分な圧だ」
「だが……」と麗月が言葉を継ぐ。
「それだけではない気がする。氷陵帝が最前線に姿を見せる――そこに何か、深い意図が潜んでいる」
牙們は不快そうに鼻を鳴らした。
「いずれにせよ、我らの役目は一つ。白陵国の出方を見極め、泰延帝に報告することだ。……無用な挑発は避けろよ、麗月」
その声音には皮肉が混じっていたが、麗月は表情を変えず淡く微笑む。
「心得ているわ。あなたこそ、血に飢えた槍を振るわぬことね」
二人の間に漂う緊張感。
その背後で、北境の冷たい風が幕を揺らし、遠く天脊山脈の稜線は蒼穹の下に沈黙してそびえていた。
――白陵国が動くのか、蒼龍国が動くのか。
両陣営は、今まさに刃を交える寸前の静けさを保っていた。




