第十章 白華・興華伝五十八 氷陵帝による観閲
天脊山脈の麓に展開された陣営は、整然と並ぶ天幕、煙を上げる炊事場、整備された物資庫や兵の列。
その規模と統制の整いように、白華も興華も思わず息を呑む。焚かれる篝火が夜空を朱に染めていた。
氷陵帝の専用天幕は、他の幕舎よりも一際大きく、四方に白銀の旗が翻っている。白華と興華は、その天幕に雪嶺大将と凍昊中将とともに呼ばれていた。
氷陵帝は卓に広げられた地図を前にしていたが、顔を上げると低い声で告げた。
「明日、余は駐屯軍を観閲する。観閲式というものだ。白陵国の威容を示すためである」
白華と興華は互いに視線を交わす。
観閲という儀式がどういうものか、よくは知らない。兵たちの訓練を視察するものかと考えたが、雪嶺大将が補足した。
「観閲式とは、陛下が直々に軍を御覧になり、その士気を鼓舞する大事な式典じゃ。凍昊中将が観閲部隊指揮官を務め、儂が執行者を務める。――白華、興華。お前たちも見学を許される。陛下の御威光と軍の力を、その目に焼き付けるがよい」
「……はい」
白華は素直に頭を垂れた。興華もまた、緊張の面持ちで頷く。
氷陵帝は二人の様子を見てわずかに笑んだ。
「戦場だけが国の力ではない。兵の整えられた姿、秩序、それこそが国を保つ礎となる。明日、お前たちにそれを示そう」
やがて謁を解かれ、天幕を出ると、夜風が頬を撫でた。
遠くでは整列の練習を繰り返す兵の号令が響いている。
白華はその声を聞きながら、小さく呟いた。
「……これが、帝峰大陸最大の国の軍……」
興華は拳を握りしめ、力強く言った。
「姉さん。俺たちも、この目にしっかり焼き付けよう」
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翌日――
夜明けとともに陣営は緊張に包まれた。
数万の兵が整然と並び、甲冑が朝日に煌めく。旗手が掲げる白亜の旗は風にたなびき、槍の穂先が一斉に光を返していた。
まず、観閲部隊指揮官の凍昊中将が馬上にて臨場。
「――観閲部隊指揮官臨場!部隊敬礼!」
号令が響き、各部隊の指揮官が一斉に声を張り上げ、全軍が直立し、凍昊中将に敬礼を捧げた。
凍昊はその敬礼を堂々と受け、槍のような眼差しで全軍を睥睨する。
次に雪嶺大将が進み出る。
「執行者、臨場!」
その威風堂々たる姿に、凍昊が馬上で敬礼を送り、全軍もまた雪嶺へ敬意を示した。
やがて――氷陵帝が玉座の都から持ち込まれた白馬に騎乗して臨場する。
「観閲官、臨場!」
その瞬間、全軍が息を呑み、観閲部隊指揮官・凍昊中将の号令が轟く。
「――氷陵帝陛下に対し、最敬礼ッ!」
槍と剣が一斉に掲げられ、盾が大地を打ち鳴らす。轟音のような敬礼が陣営全体を震わせた。
白華と興華も思わず息を呑む。帝の存在感は、兵数万をも従える覇気そのものだった。
氷陵帝は雪嶺大将を従え、凍昊中将を随行に、馬を進める。
部隊巡閲が始まった。
各部隊は直立不動に並び、指揮官の号令とともに敬礼を送る。
氷陵帝はその一つひとつを厳然と受け、しかし時折、満足げに頷いた。
やがて巡閲を終えると、観閲行進が始まった。
太鼓と角笛の音が響き渡り、先頭の騎兵が一糸乱れぬ隊列で進み出る。槍兵、弓兵、工兵、そして近衛隊。整然とした列が続き、その迫力に白華と興華は胸を打たれた。
「……これが……白陵国の軍の力……」
興華の声は震えていた。
白華もまた、ただ無言でその光景を見つめていた。
氷陵帝は高台に立ち、行進する兵を悠然と見下ろした。
その眼差しは冷徹でありながら、どこか誇らしげでもあった。
「――よい。これぞ白陵国の矛であり盾だ」
式典を見届けた白華と興華の胸には、ただ圧倒的な力の実感と、その背後にある帝の威光の重さが刻まれていた。




