第十章 白華・興華伝五十五 南進
軍議の決定から数日後。
白陵国の首都・白陵京を発った雪嶺大将の軍勢は、夏の陽射しを受けて南へ進軍していた。
白亜の旗が風にたなびき、鋼の鎧を纏った兵たちの行列は、どこまでも続く銀の河のようであった。馬蹄と兵の足音が大地を震わせ、進軍の号令は山々に反響した。
天脊山脈が遠くに聳え、その裾野に広がる平地が、彼らの目的地であった。
雪嶺大将は白馬にまたがり、厳然とした姿で軍を率いていた。その眼差しは山脈を越えた南方――蒼龍国の地を射抜いている。
「この地を守るは、白陵国の矛。だが矛は時に、敵の胸を威すために掲げねばならぬ」
彼の声は冷厳で、だが兵たちの胸を鼓舞する響きを持っていた。
やがて軍勢は山麓に到着し、整然と陣を敷いた。
騎兵は翼のように左右に展開し、歩兵は堅牢な方陣を組んで平地を固める。後方には投石機や攻城塔までも運び込まれ、まるで戦の火蓋が切られる直前の光景であった。
しかし――あくまでこれは「演習」である。
白陵国は国境を越えず、蒼龍国に直接刃を向けることはない。だが、その布陣の雄大さと規模は、南方の蒼龍国にとって揺るがし難い威圧となるに違いなかった。
白亜の旗が並び立ち、夏の風に翻る。
数万の兵の息づかいが一つの脈動となり、大地を震わせる。
雪嶺大将は高台に立ち、呟いた。
「蒼龍国よ、そして黒龍宗よ。我らが剣は眠らず。……そのことを忘れるな」
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天脊山脈の蒼龍国側、山麓に築かれた国境警備隊の小さな砦。
望楼に立つ兵士は、遠方の白陵国の陣に異様な光景を見つけた。
「……見ろ、旗が……数が多すぎる」
白亜の旗が夏の風に林立し、兵たちの金属鎧が陽光を反射して煌めいている。整然と布かれた陣、並ぶ攻城兵器――それは単なる「演習」の域を超えて、いつでも攻め込めるかのような構えだった。
望楼の兵たちは顔を青ざめさせ、砦の指揮官に急報を届けた。
「白陵軍、数万の軍勢が山麓に展開! ただちに首都へ伝令を!」
指揮官は蒼白な顔で頷き、すぐに馬に飛び乗った伝令が駆け出す。
蹄の音が山道に響き、乾いた風を切って首都への道を急ぐ。
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砦の兵たちは武器を握りしめ、緊張の中でじっと南の陣を見張り続けた。
「……やつら、越えては来ないよな」
「だが、あの規模を見せられて平気でいられるか?」
兵の間に冷たい汗が流れ、空気は刃のように張り詰めていた。
白陵軍は国境を越えず、ただ山麓に陣を構えるのみ。
だがその威容は、蒼龍国にとって「威嚇」の二文字に他ならなかった。




