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三華繚乱  作者: 南優華
第一章
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第一章十二 二つの光

牙們に散々に嬲られた私は、もはや心も体も限界に達していた。

恐怖と絶望が血のように全身を巡り、思考は鈍く、視界は霞んでいた。

家族を護ると誓ったその決意さえ、風に散る砂のように崩れかけていた。


牙們は、そんな私を冷酷に見下ろし、右腕を伸ばした。

次の瞬間、彼の硬い手が私の首元を掴み上げた。


「――が、あ……っ!」


宙に吊られた体が激しく痙攣し、呼吸が喉で途切れる。

視界の端が暗く染まっていく。

だが、右手だけは――父から託された剣を、最後まで離さなかった。

血と汗で滑る掌でも、その刃だけは手放せなかった。


「これで……お父上とご一緒でございますよ」


牙們は、左手の長剣をゆっくりと掲げた。

その刃先に月の光が反射し、私の頬をかすめた。

胸か、喉か――どこに突き立てるかを、楽しげに選んでいる。


その瞬間だった。


――実は、白華と興華は逃げてはいなかった。


二人は、牙們から少し離れた森の木陰に身を潜めていた。

白華は、父から教わった護身術――「気の遮断の術」を使っていた。

後にそれが、柏林王家に伝わる古の秘術、

“触れた者の存在をこの世から霞ませる”認識阻害の術だったと知る。


白華は興華を抱きしめたまま、息を殺して震えていた。

妹弟を護るために術を使いながらも、心はずたずただった。

――このままでは曹華が殺される。

――なぜ、私は戦えないのか。

怒りと後悔が胸を焼く。だが、動けば興華が標的になる。

姉としての理性が、彼女の体を縛り付けていた。


興華は、白華の腕の中で小刻みに震えていた。

目の前では、大好きな曹華姉さんが血まみれになり、今にも殺されようとしている。

稽古でいつも笑っていた姉が、あんなにも強いと思っていた姉が――

今、牙們の手に握り潰されようとしている。


「興華、だめ……動かないで……! 離れたら、あなたまで……!」


白華が必死に抱きしめ、動きを止める。

だが、その抱擁の中で、興華の胸の奥から何かがふつふつと湧き上がっていた。

それは恐怖ではなかった。

姉を奪われるという理不尽への怒り――そして、家族を護りたいという強い願い。


次の瞬間、興華の体から、淡く透き通る光が滲み出した。

幼い彼には制御できないほどの力。

それは静かな湖面に一粒の雫が落ちるように、空気を揺らした。


その揺らぎが、白華の術に微かな乱れを生んだ。

光の揺らぎとともに、森の奥から一瞬だけ「存在の気配」が漏れ出した。


「……ん? 何だ……?」


牙們の鋭い目がわずかに逸れる。

その刹那、私は死の淵から蘇るように、全身の本能が叫んだ。


――今だ!


残されたすべての力を右腕に込め、

私は握りしめていた剣の柄を、牙們の右手の甲めがけて振り下ろした。


「ッがぁ!」


硬い骨を打つ鈍い音が響く。

牙們の腕が一瞬緩み、私は地面に叩きつけられた。

肺の奥に残っていた空気を一気に吐き出し、激しく咳き込む。


「……はぁ、はっ、かっ……!」


荒く息を吸いながら顔を上げると、牙們が右手を押さえ、

醜く歪んだ顔で私を睨みつけていた。

その目には、冷静さも品位もなかった。

小娘に傷を負わされたという屈辱が、理性を焼き切っていた。


「おのれぇええっ!」


牙們の声が咆哮に変わる。

丁寧な言葉遣いは消え失せ、代わりに剥き出しの怒号が森を震わせた。

彼の瞳は狂気の光に濁り、殺意が溢れ出す。


次の瞬間、牙們の視線が森の奥へと向いた。

――そこに、微かに残る“光”の残滓。


「今の……光、か……?」


牙們の顔に、戦慄と好奇が入り混じった表情が浮かぶ。

彼が感じ取ったのは、確かに“何か”の力――

自分の知らぬ、異質な存在の気配だった。


そして、その視線が向けられた先こそ――

私を救った、あの二つの光の在り処だった。

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